66、「しないと気持ち悪い」まで行けば勝ちーー社会的圧力の有無の問題
習慣というのは体が自動的に動くこと、とされている。しかし、実際にそこまでのところに到達するのは実際には難しいのではないか。
たとえばよく出されるのは歯磨きだが、私はこれは不適切な比喩ではないかと思う。というのは、これは女性における化粧(そして女性も当然歯磨きをする)に相当するようなものであって、社会的圧力の産物に思われるからだ。しないでいくのはみっともない、考えられない、といったものであって、それはほとんど必須のものである。これに類するものとして風呂があるが、最近は風呂キャンセル界隈というものが流行ってきていて恐ろしい。外出するのに風呂キャンセルは基本的にありえず、それでもいい、どうでもいいとなっている場合、内面的に大きな問題を抱えていると推察せざるを得ない。
社会的圧力の最たるものは言語であって、アメリカに行ったら嫌でも少しは英語を習得することになるだろう。旅行なら無理やり母国語とスマホ翻訳だけでやり過ごせるかもしれないが、生活となるとそうはいかないだろう。とはいえ、それは自分以外のみんなが英語を使っているからであって、それは社会的な圧力である。
このように習慣化には社会的圧力が有効なので、たとえばダイエットをするには誰かと一緒にやるといいとか、目標や体重をSNSで公開するのがいい、という話が出てくる。実際、これには大きな効果があると言える。
他方で、自明な社会的圧力がかかっていないものを習慣化することは難しい、ということでもある。
自明な社会的圧力とは、基準となる状態に対して現状が異なっている場合に生じるものだ。ということは、現状が基準状態になっている場合はかかってこない。たとえばダイエットをする人は、格闘家で体重制限まで落とさなければいけないとか、病気だから増やしてはいけないとか、そういうことがない場合には、基本的には美容目的で痩せたいという話になるだろう。ところが、人は、急に致命的な病気にかかることでもなければ、突然太ったり突然痩せたりするわけではないから、日常生活ではその変化がなだらかに吸収される。気付いたときに「あれ、太ったな」と自他ともに思うことにはなろうが、それがクリティカルなことになるとは限らない。太っていても優秀な人、お金持ちな人というのはいるわけだし、何なら太っていてもモテている人だっているわけだ。もちろん太り方の程度にも依る面はある。とはいえ、通常のBMI基準だと25を超えると太り気味判定だが、外見的にはほとんどわからない。
体重というのは運動習慣や食生活、それからストレスといった生活の全ての状況の結晶のようなステータスの一つであり、もし基準より上振れや下振れしているのであれば、調整した方がいいものではある。そして、出来るものならダイエットしたほうがいいはいいだろうな、と考えているにもかかわらずそれをしないのであれば、それは他の事情の方が重要だったり、それをする労力が著しくコスパが悪いという判断がされているということを意味するだろう。仕事が忙しくて運動をする暇がないというのはよくあることだし、体力をつけるための体力がない、というような皮肉も、長いこと語られ続けている。もちろん体質的に痩せてしまう、太ってしまうという人はいるだろうが、それは除外する。
それに対する対応を少しでもいいから継続的にすることが後々自分の利益になる、と分かっていることには、社会的圧力が効いていない。たとえば子供の友達がみんな塾に行っているとなったら、自分の子供にも塾通いをさせたくなるというのは、同調圧力でもあるのとともに、自分の子供の学力に不安を抱いている証拠であるから、それはマイナスをゼロに戻す作業である。このようなことには人々が突き動かされる。それは社会的圧力があるからである。他方、人並みになってしまえば、それより抜きん出るための行動を積極的に起こすのは難しい。というのもそのような振る舞いは構造的に「抜け駆け」ないし「孤高」になるし、またゼロをプラスにする作業であるから、やはり社会的圧力が効いてこない。
これをどうにかするには、環境が大事だとか、上述のような「宣言」が大事だとか、そういう話になってくる。意思ではどうにもならない、というよくある話だ。意思ではなく仕組み、意思ではなく環境、意思ではなく強制……。
とはいえ、内発的動機だけで何ともならんものだろうか、と考えるのも人情だろう。率直に言えば、恥をかくのを承知でSNSで宣言する方が、心理的ハードルは高いが、物理的には簡単だろう。他方、物理的なことが生じると難しそうに思えてくるが、物を動かした方が簡単、ということもよくある。たとえばジムを契約するとかトレーニンググッズを買うというのは、基本的には全く決定的ではない、と私は思う。契約して満足、買って満足で、あとは自分が損をしたことさえ受け入れればやらずに済むからだ。これに対して転居・転職は、生活がガラリと変わるからそういうわけにはいかないので効果的である。英語を体得したいならアメリカに住め、とはこの事情を具体的かつ凝縮的に表現した文言だと言えるだろう。それが試せるなら、試し得ではあると思う。
今回話したかったこととしては、とはいえ、そういった事情は置いておくにしても、うっかり何らかのことが「習慣」になる、ということがありえる、ということである。それは私の経験だが、私はちょうど、二つの習慣について、表題の「しないと気持ち悪い」という感情を抱くようになった。それを認識したときにはちょっとした驚きを感じた。
一つは他ならぬこの記事である。実は今回で65日連続を達成した。本当は「二ヶ月連続更新を達成した!」とかいう記事を書いておきたいところなのだが、機を逸してしまった。だが、明日か明後日にしれっとそういう主旨の記事を上げるかもしれない。上げたいと思ってる。
この記事はほとんどリアルタイムに更新している。本当は事前に記事を書き溜めておきたいと思っているが、全くそうできない。たまに早く書けることもあるが、基本的に日が終わる頃に書き始めて投稿している。おかげでこれがすっかり習慣になってしまった。ずっと続けているから、続けずに途切れさせることはまかりならん、と思っている。しないと気持ち悪いという感覚をある意味で超えている。一日に二度更新をしたこともあったから少しやりすぎなのだが、どんなに苦しくてもこれはやっている。仕事はしているが、逆にこれのために新しい仕事をセーブしているまである。それはどうなんだ?と思わないでもないのだが、この習慣は当座はそれだけの価値が自分の中にあるものになっている。
もっとも、継続だけを目的に自分のやりたいようにやっているのであって、他の色々なことを諦めているという面も大きい。クオリティは諦めている。書くことを優先している。他方、ハードルを下げてもっと楽にしたい、というモットーで継続しているのに、全く字数が減らない。これは本当に問題だと思っている。800字くらいでまとめるべきなのだ、と本当は思っている。ただ、それを諦めた方が継続はしやすかった。このチューニングは次なる課題である。他方、この一週間は移動により作業環境が変わったため、ヘッダー画像をつけたり本に言及してリンクを貼ったりといった基本モチーフを諦めた。それは、した方がいいことであるが、継続の方が優先だ、という判断からであった。最高効用・最高効率を考えれば理想的ではないかもしれないが、何かを継続するときに何を犠牲にすればよいかの参考にはなるかもしれない。
もう一つは、地味に私がやっている習慣であるが、「腹筋ローラー」である。腹筋でもいいのだが、ローラーである。実はこれは2014年くらいからやっていて、2〜3年続けたあと全くやらなくなって、また1年後に再開して、また止めて、それで3〜4年やっていなかったという状態だった。よくやっていた頃は一日2〜3単位を30回くらいやっていた。これを、この2月くらいから復活して、今に至るまで継続している。
とはいえ、これはnoteとは異なって毎日途切れずにやっているわけではない。普通に1日あくとか、やってまた1日あいて、というようなことはあった。しかし、週平均で4回以上はやっている。
腹筋ローラーのようなものを持続させるコツは「完璧を求めない」だと当初から考えていた。一日空いたら「記録が途切れてしまった〜」と思ってしまったら、全てが台無しになったという自暴自棄に陥り、継続をやめてしまうだろう。1日2日休んだっていいのだ、歯抜けでも続けて全体平均を上げればよい、という考えで行っていた。それは何年も前の時期のときもそうであって、とはいえ、時間が大きく相手からの再開は新しくやるようなものであったから、マインドセットの調整にはかなり配慮した。今は1日30回程度をやっているが、最初は10回くらいからにしたし、面倒だったら5回でもいいということにしていた。やれば記録はつく、というのが重要なインセンティブになった。
ところが、今年に入ってこれを再開するにあたっては、ある情報が重要な後押しになっていた。それはどこかの大学の調査で、三ヶ月継続したが週4以下になるものはその後にわたっての習慣として定着しにくかったが、三ヶ月にわたって週5以上で継続したものはその後も習慣として定着しやすかった、という内容である。それについて裏取りはしていないが、指針とするには非常に的を射た感触を持った。実際、週5でいいということは、逆にいえば、週2ではサボれるということである。私は基本的に毎日ローラーをしていたが、緊急事態があって忙殺されたりなどでしないこともある。しかし、3日連続で抜けるということはなかなかなかった。というか恐らく無かった。毎日やるという気概でいけば、週5という数値は達成できる。そして私の三ヶ月はとうの昔に過ぎ去っている。
この結果、最近の私は、とうとう、腹筋ローラーを転がさないと気持ち悪い、という感情を抱くようになった。この話は都市伝説ではないかと思っていただけに、驚きを感じている。だから、たとえばローラーをせずに外出しそうになったときには、このタイミングでしてしまおうと、荷物を解除してローラーを転がしているのである。
これは、ローラーを転がすのが、非常に簡単な作業である、というのがある。家で出来るし、ローラーと空間があればその場で転がすことができる。逆に、ローラーを転がせないほど床が散らかっていたら終わりである。それだけは避けなければならない。他方、もしもジム通いなどを習慣化しようと思ったら、週5でやるのはかなりハードルが高いだろう。もし実現するとしたら、会社や学校から家までの帰路の途中にあるジムを契約して、トレーニングはしなくていいから必ず立ち寄ること、といったようなセッティングをするのは必須だと思われる。逆にいえば、帰路の途中にジムがなければほぼ不可能と言える。
しかし、手近にあるもの、家の中でできるものであれば、週5を3ヶ月というハードルを超えられるかもしれない。少なくともチャレンジはできる。それには転居や転職といった大きな変化は必要ないのだ。けれども、少しずつでも現実を変えていきたいと考える人には、手近な場所手近な材料でまず初めてみるといことは、強くお勧めできる。そして、最初の3ヶ月を超えて、その習慣が1年2年と継続したとき、あなたは驚くほど大きな成果を得ているはずである。
