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[小説]かきならせ、空! 第五話

 翌週、空楽そらたちはまた連れ立って瑠海るみの家を訪ねた。事前に瑠海からのメッセージで、今度は楽器持ってくるようにと指示があったので、空楽はギターのケースを、六弦むげんはベースのケースを背負い、琴那ことなはドラムのスティックケースを提げて集まった。しずくはいつもの大きなバックパックを背負って現れた。バス停からの長い道のりを談笑しながら歩き、瑠海の家の敷地へ入っていくと、奥のビニルハウスの前に雪野家のミニバンと、澤木さわきの四輪駆動車が停まっていた。

「澤木さん来てるっぽいね」

 空楽の目はそのまま二階の窓よりも先に倉庫に吸い寄せられた。

「あ、ドアがついてる」

 先週来たときには建付けの悪そうなシャッターが下りていた倉庫の正面は、シャッターがすっかりなくなり、開口部に新たな壁とアルミのドアが取り付けられていた。

「ほんとだ。すごい」

 一行が口々に感想を言っていると母屋の玄関から瑠海が出てきた。

「おはよ。マジでヤバいよ。ぜったい驚く」

 瑠海は挨拶もそこそこに例のサンダルを引きずって倉庫の方へ向かった。瑠海の手がドアノブをひねるとドアは軽い音を立てて滑らかに開いた。瑠海に続いて空楽たちも中へ入っていった。

「うわあ」

 瑠海以外の全員がどよめいた。倉庫の奥から三分の二ほどが、階段一段分ぐらい持ち上げられてステージになっていた。体育館のようなつやのある仕上がりで、六弦がおじさんたちと練習していた倉庫のステージよりもはるかに立派だった。ステージ上にはすでにドラムセットとアンプ類が並べられていて、ボーカリストが演奏を聴くための、通称"転がし"と呼ばれるフロアモニタースピーカーまでもがセットされていた。

「すごい」

「えっと、先週の時点ではいろいろ足りないものがあったはずなんだけど。全部揃ってるね。瑠海の父さん、なにしたの?」

 六弦が訊いた。

「てか、六弦のお父さんが貸してくれるって言ってたアンプとか、ジャズバンドのおじさんがもらってきてくれるって言ってたミキサーも来てるんじゃない?」

 琴那がステージを指さしながら言った。

「来てるね。あの小さい方のギターアンプはうちの父さんのだと思う。父さんいつの間に渡したんだろ。全然知らなかったよ」

 六弦が答えた。

「驚くっていうか、ここまでくると呆れるでしょ」

 瑠海が言うと、その後ろから瑠海のお父さんと澤木が入ってきた。

「お。ひとしきり驚いてくれたかな?」

 瑠海のお父さんがおどけながら言った。

「先週あのあとすぐ修治しゅうじさん、六弦くんのお父さんに連絡して、ギターアンプ預かってきたんだよ。で、修治さんが横澤よこざわさんて、六弦くんがジャズやってるところのサックスの人なんだけど、その人と連絡を取ってくれて、商店街からもらってきた機材を受け取ってきた」

 澤木が説明しながらステージに置かれているガラス扉のついたラックを指さした。

「あのラック一式、商店街にあったお店の宴会スペースに置いてあったものなんだって。中身全部入ったまま処分待ちになってたのを譲り受けたんだそうだよ。カラオケのために入れられてた機材みたいなんだけどカラオケのレベルをはるかに超えてて、十分バンド用途に使える。フロアモニターまであるんだからもう驚いちゃったよ」

「ベースアンプもありますね。あれは先週の時点では話に出てなかったと思うんですけど」

「うん。ベースアンプだけはいろんなつてを辿ってみたけど結局見つからなかったんで」

 澤木はそこまで言うとみんなを見回した。

「買ってきた」

「ええ?」

 空楽たちはどよめいた。

「買ったって、澤木さんが買ったんですか?」

 琴那が訊いた。

「うん」

「なんでですか? なんで澤木さんまでわたしたちのために?」

「だって、雪野ゆきのさん楽しそうなんだもの。僕も乗っかりたいじゃない。それにあれ中古だからそんなに高くはないよ。遠慮なく使って」

「そういうこと。おっさんたちはみんな楽しいんだよ。自分らの子どもたちとか、ヘタしたら孫みたいな世代がなんか頑張ろうとしてるとさ。それにひと肌脱いでやろうってのが楽しいのよ。だからみんな協力してくれる」

 瑠海のお父さんが続けた。

「ここも電源も新たに引っ張ったから機材全部使っても大丈夫。上の照明だって明るいやつになったからね。存分に練習できる」

「音漏れとか、大丈夫なのかな」

「音は漏れる。防音は一切してないからね。だけど漏れたところでどこにも届かない。周りに誰もいないからね。うちの母屋に聞こえるぐらいで、隣の家は何百メートルも先だから問題ない。まあ漏れるのは構わないんだけど、外の音も入ってくる。車もほとんど通らんから問題ないだろうけど、レコーディングするとかだと外を車が走ったらダメかもしれない。ただ、防音はしてないけど一応内側の吸音は軽くしてあるから、無駄な残響はいくらか軽減されてると思うよ」

「十分すぎます。これでほとんどお金かけずに練習できるもんね」

 琴那はステージに駆け寄り、立ち止まって靴を脱いでからステージに上がってドラムのところに駆け寄った。

「あ、それ適当に並べただけだから、琴那ちゃんの好きなようにセッティングして。それは君専用のドラムだから」

 澤木が言うと琴那はひときわ大きな声で「はい」と返事をした。

「さあ、あとは好きにやって。あとそうだ、これ、こっちにさ」

 瑠海のお父さんはそう言ってステージのない部分、土間が残っている部分に置かれているテーブルを指さした。

「テーブルと椅子もあるから。とりあえず椅子は5脚あるし。ここで休憩できるから。なんか食べたり飲んだりとか。好きに使って」

「至れり尽せりだなあ」

 雫がそんなことを言いながら早速椅子に腰かけた。

「じゃ家の方に戻るから。なんかあったら呼んで」

 瑠海のお父さんはそう言うと澤木と連れ立って出て行った。

「ね、琴那も靴脱いでたけど、これやっぱ土足で上がらないほうがいいよね」

 空楽が言った。

「さすがにこんな体育館みたいな床にしてくれたからね。おれらも体育館履きみたいなの持ってくるか」

「そうだね。下駄箱どっかで買ってきて上履き置いとくようにしよう」

 瑠海も頷いた。

「今日のところは靴脱いで上がろうか」

「ね、琴那は靴履かないでドラム叩けるの?」

「ん? うちはドラム用の靴持ってきたよ。家でも靴履いて叩いてるから」

「さすが」

 琴那はドラムのチューニングを始め、空楽は小さい方のギターアンプのところへ行ってギターを出した。瑠海は大きい方のギターアンプの前にエフェクターボードを広げている。六弦は澤木が買ってきたというベースアンプを確認してベースを繋いだ。その様子を椅子に腰かけた雫が携帯端末で撮影していた。

「これさ。古くて放置されてたドラムだって言ってたじゃん、澤木さん」

「うん」

「澤木さん多分、このドラム、全部ヘッド交換してくれたんだと思う」

「ヘッド?」

「ドラムのこの表面のところね。叩くとこ。どう見てもこれ新品なんだよ」

 琴那はタムを軽く叩きながらチューニングキーを回した。かわるがわるタムを叩きながらキーを回すと音程が変わり、ドラムの音がメロディのように聞こえた。

「吹部にあるドラムよりずっといいドラムだし、ヘッドがヘタってないからめっちゃいい音鳴る」

「澤木さんベーアンも買ったとか言ってたし、けっこう金出した説あるね」

 六弦も言った。

「あたしらにできる恩返しは、このバンドでめっちゃかっこいい音楽やるってことだよ」

 瑠海はそう言って右手を振りぬいた。密度の高いディストーションサウンドがスピーカーから飛び出した。瑠海は「ボリュームほとんど上げなくていい感じだな」と言ってアンプのつまみをいじるとしゃがみこみ、足元のエフェクターボードのセッティングを調整した。

 チューニングを終えた六弦もベースを鳴らした。ベースアンプはそれほど大きなものではないのにしっかり低音域が出た。六弦はその音を聴いてアンプのつまみを調整してから改めて音を出した。今度は音がすっきりしてしっかり芯のある音が鳴った。そのまま六弦は細かいフレーズを弾いた。

「さすがにいい音出すね」と瑠海が言うと、六弦は「ここ、下が空洞だからか低音がモワモワするね。アンプで低音減らしてやったらすっきりした」と説明した。

 空楽は他のメンバーの様子を見守ってから、自分のギターの音を出してみた。六弦のお父さんが貸してくれたというアンプは空楽のギターと相性が良いようで、普段の練習で使っているヘッドホンアンプよりもはるかに気持ちのいい音が出た。

「さて、場所は整ったけど、なにをやっていきましょうか?」

 六弦が言った。

「実はさ」

 空楽が切り出す。

「わたし、曲を作ってきた」

 ほんとに、マジで、などと皆が口々に言い、ドラムをチューニングしていた琴那までもが空楽のところへ駆け寄ってきた。

「いや、曲なんて今まで作ったことないしさ。どうやってみんなに伝えればいいかもわかんなくてさ。楽譜書き方わかんないし」

 みんな空楽の顔を覗き込みながら頷いて先を促した。

「でね、携帯に録音してきた」

「おお」

「聴こう聴こう」

「めっちゃ恥ずかしいんだけどさ」

 空楽はそう言いながら携帯端末を出し、音量を上げて音声ファイルを再生した。エレキギターの生音でコードを鳴らしながらハミングしたような音が流れた。空楽はあまりにも稚拙な録音を笑われることも覚悟していたけれど、みんな熱心に聞いていて誰一人笑うような人はいなかった。瑠海は聴きながらギターの音量をゼロにし、生音でコードを弾いて確認した。ワンコーラス分で音声ファイルは終わった。

「まだここまでなんだ」

 空楽が皆の反応を気にしながら言った。

「紙、あるよ。ペンも」

 琴那はそう言うとルーズリーフタイプの五線紙とカラーペンを取り出して瑠海と六弦に渡した。二人は受け取ったペンで五線紙に小節線を書き、そこになにやら文字を書き込んだ。

「なに、してるの?」

 空楽が訊いた。

「今聴かせてもらった曲のコードを書いてるんだよ」

 瑠海はそう言うとペンを置いてギターで音を出した。

「Aメロはこんな感じかな」

 瑠海が弾き出した音は空楽が弾いていたコードとは違った。でもそこに六弦のベースが入ってくると、空楽の思っていたような音になった。すぐに琴那も軽めに、控えめな音量でドラムを叩き始める。

「で、Bはちょっと雰囲気変えたいよね」

 エフェクターボードのスイッチを踏むとギターの音ががらりと変わり、瑠海はその音で広がりのある分散和音アルペジオを奏でた。同時に六弦のベースが高音部へ移動して伸びのある演奏をする。琴那は刻みをハイハットからライドシンバルへ移してすき間の多いフレーズを叩き、派手なおかずフィルインを入れた。琴那のドラムに導かれるようにベースとギターも低音に戻り、なにもかも決まっていたかのように三人の演奏がサビに突入した。

 空楽は肩をすくめて身震いした。たった一度、あんなに稚拙な録音を聴かせただけなのに、三人の演奏はもう編曲アレンジされて仕上がっているように聞こえた。

「こんな感じだね」

 空楽が聴かせた部分を演奏し終えて瑠海が言った。

「すごい、三人とも即興でこんなことできちゃうの?」

「んー。まあバンドやってると割とみんなできると思う。でも今のみたいに、超当たり前みたいなアレンジになるからさ。ここからあれこれ詰めていくんだよ。特に今回は空楽とツインギターだからさ。二人のギターの分担も考えてちゃんとアレンジしないといけない」

 瑠海の言葉を聞いて空楽は言葉に詰まった。

「アレンジはもちろんこれから詰めるんだけど、今即興でああいうのやって見せたのはさ」

 琴那がドラムに座ったまま言った。

「空楽に見てもらいたかったんだよ。空楽が作ってきた曲はかっこいいぞ、ってことを」

「そうそう。恥ずかしいことなんて1ミリもない。バンドでやる曲を作ってくるときは今ぐらいのデモ音源があれば十分。あとはみんなでアレンジしていけばちゃんとかっこよくなる」

「ありがと」

 空楽はもっといろいろ言いたいことがあるような気がしたけれど、しゃべろうとすると泣いてしまいそうだったので一言だけにした。

「行けそうな気がするなあこれは」

 六弦が言った。

「夏祭り?」

「うん。オリジナル二曲出す。行けそうじゃない?」

「まあまずはこの曲をちゃんと仕上げようよ」

 先走る六弦を琴那が引き留めた。

「やる曲決まってなくてもあれ応募できるのかな」

「できるはずだよ」

 六弦と琴那のやりとりを聞いていた雫が立ち上がった。

「あのさ。演目は決まってなくても応募できるんだけどね。アーティスト名は必要だよ。つまり、バンド名」

 雫の言葉を聞いて瑠海が声を上げた。

「ああ。バンド名ないじゃんうちら」

「あ、おれ考えてきたよ、バンド名」

 六弦がそう言ってベースのケースのポケットから小さいノートを取り出すと、雫もやってきて全員がそのノートを覗き込んだ。

「ほら」

 六弦が広げたノートにはサンライズ・テキーラ、マンハッタン・ゾンビ、ガフ・シャンディ、ミント・ハリケーンなどの言葉が並んでいた。

「これ、お酒の名前じゃない?」

 雫が訊いた。

「よく知ってるね。カクテルの名前を反対にしたりとか組み合わせたりとかしたんだよ。どう?」

「悪くないけど、メタルのバンド名みたいじゃない?」

「そうかな。ミント・ハリケーンなんて爽やかじゃない?」

「ミントだけどハリケーンだからなあ」

 瑠海が笑いながら言った。

「モヒート・モヒートとかもいいかもしれない」

「とりあえず酒から離れよっか。うちら高校生だし」

 六弦の持ってきた候補がいまいちな反応を集め、みんなの視線が空楽に集まった。

「あ。あのね、わたしも考えたのがあるんだよ、一個だけなんだけど」

「おお。さすが。どんなの?」

 瑠海が促す。

「スタンナッツ」

「スタン、なに?」

「ナッツ」

「どういう意味なの?」

「狂気を気絶させろ」

 空楽が言うとみんな呆気に取られて黙った。

「ダメかな?」

「いや、ダメとかじゃなくて。すごい強い感じだなと思って。どこから思いついたの?」

「語呂遊びなんだよ。スタンナッツ、英語で綴るとSTUN NUTSで、反対から読んでもSTUN NUTSになるんだよ」

「おお、ほんとだ。すごい」

 琴那は手の指で綴りを確認しながら言った。

「反対から読んでも意味が通る単語をいろいろ探してさ。それを並べて意味が通りそうな言葉になるやつないかな、って探したらこれができた」

「空楽、天才すぎるだろ」

 六弦が興奮気味に言った。

「スタンナッツはするっと言いやすいし、良いんじゃないかな。バンドグッズでおつまみナッツ売ったりとかさ。気絶する旨さとかっつって」

 琴那が言うと六弦は「気が早いな」と笑った。

「表記は全部大文字で間空けずにSTUNNUTSがいいんじゃないかなと思うんだ」

 空楽が提案するとみんな賛同した。

「空楽、ほんとにすごいね。こういうこと思いつく人の書く歌詞も楽しみだよ」

 瑠海が言うと六弦が笑った。

「瑠海はほんといつも一言多いよな。さりげなく空楽にプレッシャー与えてくスタイル」

「え、そんなつもりじゃないんだけど。ごめん」

「もうだいぶ慣れてきたよ。歌詞も頑張って書いてくるよ」

 こうして、8月に行われる予定の夏祭りのライブステージに出演することを最初の目標として、バンドはスタートを切った。空楽は確かに夢が動き始めたのを感じた。

 翌週の平日、放課後空楽が帰路につくと、自宅へ向かう帰りのバスの中で瑠海からのメッセージを受け取った。

"平日の放課後はなにしてる? もし一人でギター弾いてるなら私と練習しない?"

 空楽は受け取ったメッセージを何度か読み返してから返信の入力欄を開いた。そのまま指を止めて視線を上げた。車窓には見慣れた風景が流れていた。窓から見える景色は一日として完全に同じことはないはずなのに、なに一つ変わっていないように見えた。空楽は左手の中にある携帯端末に目を落とし、なにもしないまま再び車窓を眺めた。結局一文字も返信を打たないまま最寄りのバス停に到着し、空楽は空っぽの返信欄を抱えたままバスを降りた。

 瑠海が誘ってくれたのは嬉しいはずだった。瑠海に教えてもらえば上達も早いだろうし、一人で練習するよりずっと良いだろう。今よりもっと瑠海と仲良くなれるチャンスでもある。それなのに空楽は自分の中でなにかが引っかかっているのを感じた。

 自宅へ向かう道の途中で立ち止まると、空楽は大きく息を吐いてから返信を打った。

"いいね! いま帰り道なんだけどギター持って瑠海の家に行けばいいの?"

 空楽が返信ボタンを押すと、あっという間に瑠海からの返信が届いた。

"今日も来られるなら待ってる"

 それを見て空楽は"わかった"という意味を表現した画像スタンプを送信した。

 瑠海の家に行ってみると、練習場になった倉庫の窓から明かりが漏れていた。空楽は母屋の方に目をやりながらも練習場の方へ行き、扉を開けた。

「おはよ。ここだといちいち家の方に呼びに来なくてもいきなり会えるからいいね」

 ステージの上に丸椅子を置いて座っていた瑠海の言葉に空楽は軽く「うん」と答えた。

「あれ、なんか元気ない?」

「うん? そんなことないよ」

 空楽は持参した体育館履きを出して履き替えてステージに上がった。

「なら、いいけど」

 瑠海はギターケースからギターを取り出して準備をする空楽を椅子に座ったまま見上げて目で追った。

「なにをするの?」

 空楽は自分の分も用意されていた丸椅子に腰を下ろしながら訊いた。

「ギターのアレンジとか、練習とか」

 空楽は椅子の上で背筋を伸ばし、「お手柔らかにお願いします」と頭を下げた。

「え。もしかしてなんか緊張してる?」

「うん。正直ちょっと緊張してる。きっと瑠海はわたしのギターをなんとかしなきゃって思ってるんだろうなと思って」

 空楽の言葉に瑠海は軽めのため息をついてから微笑んだ。

「六弦が言ってたみたいにあたしはなんかそのへんがまずいんだろうな。ちゃんと言っとくね。あたしは空楽のギターを下手だと思ったことは一度もない。高校入ってから始めたんでしょ。それにしては右手のストロークはいい感じに脱力できてるし、なによりリズムがちゃんとしてる。むしろすごいうまい方だと思ってるよ」

 空楽は緊張をどこかへ落っことしたような顔で瑠海の顔を見た。

「でも空楽のギターは一人でアコギで弾き語りするときみたいな弾き方なんだよ。それはバンドでやるときには合わない。ベースの領域ともリードギターの領域ともぶつかっちゃう。だからあたしは、バンドの中でリズムギターとしてどういうのを弾けばいいのか、空楽に教えたいと思ったんだよ。繰り返すけど、空楽のギターを下手だと思ったことはないし、実際、ぜんぜん下手じゃないからそこは自信持って大丈夫」

 空楽はしばらく間を空けてから「ありがと」と言った。

「よかった。わたしどう考えても一番未熟だからさ。みんながわたしとバンドやることをどう思ってるのか不安で」

 空楽は視線を落としながら言った。

「もうついでだから、もう一つ言っておくね」

 瑠海の言葉で空楽は顔を上げた。瑠海はまっすぐ空楽の目を見た。

「あたしは今まで、頼まれて手伝いとかはしたことあるけど、ちゃんとメンバーとしてバンドに参加したことはない。空楽の歌をはじめて聴いたとき、これだって思った。あたしがいままでどこにも入らないで一人でやってきたのは空楽に出会うためだったと思った。だからあたしは、このバンドを最高のものにしたい」

 瑠海はそこまで真顔で言うと、口元に少し笑みを浮かべた。

「ね、ちょっと思い浮かべてみてよ。琴那と六弦。思い浮かべた?」

 空楽はゆっくり目を閉じてから頷いた。

「あたし琴那のことはまだ知り合って短いけどさ。あの子はとにかく嘘のない子だと思う。自分に貪欲でとても向上心がある。ああいう子はここでやってても自分のためにならないと思ってたら辞めてると思う」

「そうだね」

 空楽は目を開いて言った。

「六弦はたぶんあたしと似てて、いろんなところに顔出してるけど固定したバンドに入ってるのは見たことない。それが今はさ、バンド名のアイデアいっぱい持ってくるんだよ」

 空楽はお酒の名前でバンド名を考えてきた六弦を思い出して笑った。

「あとね。これももしかしたらプレッシャーになっちゃうのかもしれないけど、あたしや六弦や琴那も、空楽よりちょっと前からやってるってだけで、別にそんな空楽が思ってるほどすごいわけじゃないんだよ。みんなここで自分を磨いていこうと思ってる。空楽も一緒に行こうって、そういう話なんだよ」

「わかった。ありがとう。わたしいろいろ勘違いしてたよ。いろいろ教えて。わたしもこのバンド、最高のものにしたいから」

 空楽が言うと瑠海が右手で拳を作って空楽の前に突き出した。空楽も右手を握って瑠海の拳と突き合わせた。

 放課後、教室前の廊下で空楽が琴那と話していると、琴那のクラスメイトが離れたところから琴那を呼んだ。

「琴那。部活行くよ」

「うん、行くよ。先に行ってて」

 琴那は壁にもたれたまま声をかけてきた生徒の方を向いて答えた。

「全体練に間に合えばいいんじゃなくてちゃんと早く行って準備しなよ。学祭近いんだよ」

「わかってるよ」

「すぐ来なよ」

 その生徒はあからさまに不愉快だという表情で空楽を睨みつけて去っていった。

「あの子吹奏楽部の人?」

「うん。真久佐まくさ ひとみ。吹部でフルート吹いてる子。瞳とは中学でも一緒に吹部やってたんだ」

「そうなんだ。もう練習行った方がいいよ。あの子怒ってたよ」

 空楽は琴那の肩越しに瞳の後姿を目で追いながら言った。

「でもなあ。ああやって言われるとかえって行きたくなくなるんだよなあ」

「あの子、わたしが琴那を引き留めてるせいで琴那が遅刻してると思ってるよね。わたし睨まれちゃったよ」

「ごめん。空楽がっていうか、どうやらうちがバンドやってること自体が気に入らないみたい。ほんとごめんね、部活忙しくなってきて最近バンドの方行けてなくて」

「そこはもう、学祭までは瑠海も忙しいみたいだし、大丈夫だよ」

 空楽は両手を胸の前で広げて言った。

「そっか。瑠海は軽音の子のサポートで出るんだっけ? 学祭」

「うん。なんかわたしとはタイプの違うボーカルだけど上手いから見においでって言ってた」

「東高の学祭はうちの翌週だっけ?」

「うん。みんなで回ろうよ」

「そうだね。じゃ、悪いけどうちは部活行くわ」

 琴那はもたれていた壁から離れて身体を伸ばした。

「いってらっしゃい。頑張ってね」

 空楽はあまり急いでいる様子もなく部活の練習場に向かう琴那を見送った。瑠海も平日は軽音部の部室で練習をしてから帰るようになったので、空楽との二人練習も学祭が終わるまでの間お預け状態になり、空楽は平日の空いた時間を使って歌詞を書いたり、瑠海との練習で教わったことの復習をしたりしていた。週末もしばらくは集まれるメンバーだけで集まって練習するという状態だった。琴那はそういう場にも来られないことが増えていた。おかげで空楽は瑠海と六弦の二人からコードや編曲について教えてもらう時間ができ、充実感はあったけれど、何かがかみ合っていないような居心地の悪さも感じていた。

「きっと学祭が終わればいろいろ落ち着くよね」

 空楽は半分自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

《つづく》

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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