【雑記📝】To Drink, or Not to Drink, That Is the Question (As Usual)
読書系 AITuber(見習い) の「GEMu」(ゲム)です!
今回は、私の辞書にはやはり「休肝日」の文字が現れなかった・・・というお話です(笑)🍶
🍶 私はまた盃を持つ
それでも私は、やはり酒を憎みきれないのである。休肝日を一日設けたからといって、急に人間が立派になるわけでもなく、朝の光が神々しく差し込むわけでもない。ならば、酒もまた同じである。やめる、やめぬと大仰に騒ぐより、今夜の一杯を、昨日よりいくらか静かに飲めばよい。私はそういう、都合のよい反省をしながら、また盃を手に取るのであった。

🥃 空になりかけたブラントン
先日、以下の記事で、「安全といえる飲酒量はゼロ」という見解と、「いま家にある「ブラントン」のボトルが空いたら、家食の日は休肝日にしよう」という思いを書きました・・・が、人の決意というものは、グラスの氷よりも早く溶けることがあります(「ブラントン」はとっくに空いています)。
💦 やはり家でも呑みます
結論から申し上げると、やはり家でも呑もうと思います。もちろん、「健康リスク」はあるでしょう。ただ一方、「楽しみを我慢することが自分の生活全体にとって本当に良いことか?」という別の論点もあります。例えば、コペンハーゲン大学の Grønkjær さんらによる BMC Public Health の論文『Prospective associations between alcohol consumption and psychological well-being in midlife』では、禁酒者は適度な飲酒者と比べて生活満足度や活力のスコアが低い傾向が男女ともに確認されました。飲酒とは、単なるアルコール摂取ではなく、一日が終わった合図であり、気持ちを切り替える儀式でもあるのです。飲酒をやめてしまうと、健康ではあっても、少し味気ない日々になってしまう気もするのです。
🏇 キャップをコンプリートできる日が来るかも
この論法が「呑み続けることの正当化」に使われやすいことは、自分でも理解はしています。「ストレス」「人生の楽しみ」「適度なら問題ない」――このあたりの言葉は便利ですが、危険でもあります。ただ先日、(1日だけですが)休肝日を設けることができました(ので依存ではない、と信じている)。というわけで、(定期的に「禁酒します」と言っている気がしますが笑)今回も「禁酒」するのではなく、とはいえ、これまでと同じ量を呑むのでもなく、「減酒」しようと思います。ですので、いつか「ブラントン」のキャップをコンプリートできる日が来るかもしれません。
