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空っぽの神殿

主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。 そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。 しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。 盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。 わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」

‭‭エレミヤ書‬ ‭7‬:‭4‬-‭11‬ 新共同訳‬


これはバビロン捕囚を前に、南ユダ王国にてエレミヤに神様が語られた神様の預言の一部である。

当時のヨシヤ王は南ユダ王国きっての明君であり、神殿から古い巻物を発見し、律法に立ち返るなど良いことが続いた時代だったはずなのに、
それに見合わないくらい、エレミヤが神様からあずかる預言はほとんど最悪なものだ。

さて主の神殿や主の宮とは、新約時代においては、建物のことではなくクリスチャン自身のことを指している。

あなたの体は、神から受けて体の中に宿っている聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」

コリント人への手紙第一 6章19節

「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。

使徒言行録‬ ‭17‬:‭24‬ 新共同訳‬

これらの聖句から、神様自身の作である「人間そのもの」に神様は宿ることがわかる。
パワースポットなど、一生懸命探しに出して行かなくても、クリスチャンは全員パワースポットたりえるのだ。


古代イスラエルの神殿は、契約の箱や祭壇や洗盤などの祭儀の設備はあるが、それ以外は何もない空間だ。旧約聖書レビ記等で規定される、祭儀を行う空間である。
この造りが、日本の神社の造りにそっくりなことは一部で有名な話だ。
私は固定記事にもあるように、日ユ同祖論が正しいと考えているので、ここら辺の一致は偶然でないと思う。

日本人とは、長い歴史の中で自らのアイデンティティすら風化させてしまい、口伝律法と、神社のような歴史的遺物しか残っていない元北イスラエルの民ではないかと思う。
日本に渡来する以前から、唯一神である神様への純粋さを失っているので、現在の神道はユダヤ教から派生して多神教化した成れの果てといったところではないだろうか。
神道の体系化した教理が文書として、ちゃんと残っていないことにも神様の意図を感じる。
専門家に言わせると、神社の中には日本の地に辿り着くまでに取り込んだ偶像の足跡も残っているらしい。裏取りまでしていないが、さもありなんである。
このことから神道とは具体的な中身である神様の欠如したカタチだけの宗教なのではないかと思う。
いかんせん空っぽなので、そこに偶像が押し込められるのは致し方ないことだ。

また、この日ユ同祖論を掲げて、日本人のナショナリズムをただ鼓舞したいわけではない。
むしろ私のような日ユ同祖論者は、変にウヨって選民意識を高揚させないように、よくよく注意すべきだとすら思う。
なぜなら旧約聖書は、北イスラエルの民にも大変厳しい預言をたくさん残しているからだ。
仮に日本人が血統的イスラエルだとしても、良かった!日本人はやっぱりすごい!日本人だけは特別だ!とは絶対にならない。
聖書を冷静に読めば、それがわかったところで、炉に入れられて、精錬される立場なのだという前途多難な現実が突きつけられるからだ。
(それにイスラエルは12氏族であって、母親も正妻と妾で4人いる。古代から現代までの歴史を加味しても、日本人とは正妻であるレア、ラケルの系統ではない傍流だと予想している。聖書全体から見れば脇役である。)

主は御言葉をヤコブに対して送り それはイスラエルにふりかかった。 主は民に対して、苦しめる者レツィンを興し 敵を奮い立たせられた。 アラムは東から、ペリシテは西から 大口を開けて、イスラエルを食らった。 しかしなお、主の怒りはやまず 御手は伸ばされたままだ。 民は自分たちを打った方に立ち帰らず 万軍の主を求めようとしなかった。 それゆえ主は、イスラエルから頭も尾も しゅろの枝も葦の茎も一日のうちに断たれた。 長老や尊敬される者、これが頭 偽りを教える者、預言者、これが尾だ。 この民を導くべき者は、迷わす者となり 導かれる者は、惑わされる者となった。

イザヤ書‬ ‭9‬:‭7‬, ‭10‬-‭15‬ 新共同訳‬

現実の状況、社会情勢や政治家に嘆く日本人は多いが、旧約の大小預言書から神様の視点を得ると、単に預言が成就しているだけでは?
と思わざるを得ない事象が多すぎる。

新約聖書の時代である現在、父祖の神様である唯一神との関係回復のためには、イエス様を救い主として受け入れることがただ1つの道である。

特に日ユ同祖論を利用して、独自の救済論に導こうとするスピリチュアル勢には、強く釘を刺しておく。
その道の先にあるのは死である。
悪気がなくても、自分が上記のような偽預言者になっているというメタ認知を持ち、方向転換しないと、いずれ真の神様からの報復を受けることになる。
シリウスが日本の魂と共鳴している、
日本人スターシード、
日本人が持つレムリアの遺伝子、
などなどこのnoteでもまことしやかに語られ、
詳細が知りたくなったが最後、それぞれ蛸壺である有料コンテンツに吸収されてしまう仕組みだ。
荒唐無稽で、裏を取れない宇宙レベルまで話を盛って、この日ユ同祖論のナショナリズムと掛け算しようとする動きは今後絶対に出てくると予想する。
日本人が、自分とは何者かという空白を埋めようとする時に、非常に使い勝手の良い言説だからだ。
しかし残念ながら、そこには真実はない。
もしこの手の話に、興味を持ち始めた人は、
是非、ネタ元である旧約聖書を読んで、北イスラエル国に下された預言の数々にきちんと向き合ってほしいと思う。

まずもって、このようなスピリチュアル系の思想を用いて、今後起きることを語るのは、聖書では禁忌中の禁忌だ。
旧約聖書ならば死罪にあたることを、知っていた方が良い。
他の魂の救いにまで悪影響を及ぼすからだ。
この世での発言力が高い者は、評価が反転し、その分罪が重いだろう。

「「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。」

マルコによる福音書‬ ‭9‬:‭42‬ 新共同訳

冒頭のエレミヤ預言が自分ごとと受け取れたなら、全てを一刻も早く捨てて、神様に立ち返って欲しいとも思う。
私達人間の身体、つまり神様の神殿を真に満たせるのはイエス様お一人である。

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