体重計に人生を支配されたくない
サラリーマンも、中小企業の経営者も、国会議員も、アルマーニを着ていた時代があった。
たぶん、ピークは1990年代後半から2000年代前半くらいではなかっただろうか。バブル期のブランド志向を引き継ぎながら、小泉政権の頃までは、
アルマーニは「できる男の勝負服」の代表格だった。
私も、アルマーニのスーツを買いに行ったことがある。
ところが、サイズが合わない。
オーダーメイドも、もちろんあった。けれど、その時、店員さんに言われた言葉が忘れられない。
「既製服に身体を合わせるのが基本です」
服が「理想」を示し、人間がそこへ近づこうとする。
それがこのデザインの思想だ。
アルマーニは単なる服ではなかった。
それは目標設定のツールだった。
「なりたい自分のセルフイメージ」
「良いスーツを着ることが自己管理の証明」
そういう時代だった。
私は「なりたい自分」になるために、本気でダイエットに取り組んだ。
マイナス20kg。本当に痩せた。うれしかった。
価格的にも、少し無理をして、アルマーニも着た。
ところが、その後すぐにリバウンドした。
再度、ダイエットに取り組み、またマイナス20kg。
そして、またリバウンド。
友人からは、「会うたびに体型が違う」と驚かれた。
今、私は3度目のダイエットからのリバウンド途上にいる。
もちろん、健康のためには痩せた方がいい。
医者にもそう言われる。そこは逃げてはいけない。
ただ、何度も体重の増減を繰り返しているうちに、
考え方は少し変わってきた。
ダイエットは、健康のために必要だ。
しかし、痩せることを前提に服を選ぶのはやめた。
痩せるまでの間の人生を、無駄にしたくない。
今の自分が着たい服を買う。
そして、できれば20kgくらい増減しても着られる、
余白のある服を選ぶ。
そのほうが気楽だからだ。
だから最近、Yohji Yamamoto が好きなのかもしれない。
身体と服との間にある余白。
その余白が、今の私には心地よい。
若い頃の私は、服に身体を合わせようとしていた。
今は、身体の変化も含めて受け止めてくれる服がありがたい。
体重計は、健康の目安にはなる。
しかし、人生の支配者にしてはいけない。
痩せたら着る服ではなく、
今を生きるための服を着たい。
今の自分にも、ちゃんと似合う服がある。
体重計は事実を伝えてくれる。
しかし、人生の意味までは教えてくれない。
体重計とは、これからも付き合っていく。
だが、人生の主導権までは渡したくない。
そう思えるようになっただけで、少し自由になった気がする。
