ADHDの息子が不登校をやめたきっかけは「自分で選ぶ」ことでした#41
こんにちは。
ADHDの夫と、ADHDと双極性障害を併発した息子を支えて25年
2児の母(๑˃̵ᴗ˂̵) はれこ と申します。
今日も笑顔でいられる様、noteを書きます!
息子が小学4年生の頃、学校へ行けなくなった話を今回書きたいと思います。
彼は小学2年にADHDの診断を受けてから支援学級に所属してました。
それもあって、学校生活はサポートが充実しておりました。
問題は学童です。
一年生から学童に通っていた息子ですが、上級生とはあまり相性が良くありませんでした。
不登校の原因は上級生からのイジメでした。
仲間に入れてもらえない。
わざと仲間外れにされる。
避けて通ったり、避けて座ったりする。
変な替え歌に息子の名前を入れる。
学童での時間だけでなく、学校生活にも影響してきたのです。
そんなことが続き、4年生になる頃には、直接心ない言葉もぶつけられるようになり、息子は学校に行けなくなりました。
私は、どうしたら息子が安心して過ごせるのか、何度も学童の先生と面談をし、相談を重ねてました。
そんな親としてできることを探していた頃でした。
ある日、息子が真剣な表情で聞いてきました。
「あいつらって、この先もずっと関わるの?」
公立中学校へ進学するなら、通学路も同じになるでしょう。
「たぶん関わることになるね。」
そう答えると、息子は少し考えてから言いました。
「じゃあ、中学受験する。」
私は驚きました。
それまで中学受験なんて、一度も考えたことがなかったからです。
「なんでそんなこと知ってるの?」
そう聞くと、当時通ってた作文を書く塾の先生から勧められたと言いました。
学校は行かなくても塾には行ってたんです。
学ぶ事が嫌いなわけではない息子は、自分にとって必要なことには前向きだったからです。
そして息子は、さらに続けます。
「自分で決められないことは嫌だ。」
「小学校は自分で決めてない。」
「もし選べたなら、違う学校を選んでた。」
「だから中学校は自分で選ぶ。」
小学4年生の口から出てきたとは思えない言葉でした。
「あいつらがいない学校がいい。」
「あいつらなんて手の届かないところへ行きたい。」
そして最後に、忘れられない一言。
「義務教育なんて嫌いだ。」
「我慢することが僕の義務なの?」
「学校なんて。僕には行く理由が一つもない。」
私は返す言葉がありませんでした。
でも一つだけ思ったことがあります。
この子は、「逃げたい」のではない。
「自分の人生を、自分で決めたい」のだと。
それから息子は、不登校をやめました。
「学校へ行く。」
そう自分で決めたのです。
理由を聞くと、
「受験するなら出席日数が必要かもしれないから。」
と言いました。
当時の私は、受験でどの程度出席日数が影響するのか詳しく知りませんでした。
でも、それでいいと思いました。
誰かに言われたからではない。
自分で考え、自分で決めたことだったからです。
そして私は、中学受験という新しい挑戦を応援することにしました。
野球も続けながら受験にも挑戦する。
小学4年生にとって簡単な道ではありません。
それでも息子は、自分で選んだ道を歩き始めました。
息子が不登校を辞めた時。
一緒に野球をプレーしてた上級生が、息子と下校してくれる様になりました。
心ない言葉が聞こえてきた時、
「やめろ」と言ってくれたのをきっかけに、
少しイジメはおさまったのを覚えてます。
あれから何年も経ちました。
今、息子は高校生です。
けれど、まだ自分が何のために頑張るのか、その答えを探し続けています。
答えが見えなくなると、学校へ行けなくなったり、遅刻を繰り返したりすることもあります。
そんな姿を見ていると、小学4年生の頃と何も変わっていないようにも思います。
でも先日、息子が突然こう言いました。
「俺、ピーンときた。」
そして笑いながら続けます。
「俺はピーンと来たら強いんだよ。」
何を見つけたのか。
何に気付いたのか。
その言葉の意味を聞いた私は、思わず「なるほど」と感じました。
しかしながら
思い出しても小学4年生は嫌な時期でした。
ですが、あの瞬間に息子は何かを見据えて選んだのです。
人の確かな転換期に立ち会った不思議な感覚です。
その話はまた次の機会にさせて頂きますね。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
