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ALS当事者が気管切開を選んだ理由|何年も逃げた私の決断【第1話】


病室の窓から見た花火、迫られた決断


こんにちは。

よりそいさん|すれ違い翻訳室 です。


少し、思い出話にお付き合いください。

2023年9月26日、私は気管切開術を受けました。


その決断に至るまで、私は何年も逃げてきました。

それでも最後には、自分の命と向き合い、気管切開を選びました。


今振り返ると、そこにたどり着けたのは、

多くの方が支えてくれたからだと感じます。


今回は、気管切開を決断する前後のことを振り返りたいと思います。



病気について調べることさえ怖かった


私は2017年4月にALSと診断されました。

発症は2016年9月です。


私の場合、遺伝性のALSです。


母の病状を見ていたこともあり、

これから自分に起きるかもしれない変化を、どこかで知っていました。


怖かったです。

どのくらい怖かったかというと、

病気について調べることさえできませんでした。


手足や身体が動かせなくなる。

息もできなくなる。

生活も人生も終わっていく。


そのような漠然としたイメージを、発症前から抱えて生きてきました。


親のきょうだいも全員、同じ病気になっていたため、

「自分もそうなるのだろうか」と考えていました。


「自分の声を残しておくといい」そう言われたこともあります。

しかし、不安で泣きそうになり、録音することができませんでした。

気管切開についても、決断することから何年も逃げてきました。



小さな誤嚥から始まった入院


2023年8月5日。

昼食中、小さなかすが気管に入りました。


吸引もうまくいかず、軽い誤嚥で入院することになりました。

HCUに入り、酸素マスクをつけました。


その日の夜には、楽しみにしていた地区の夏祭りがありました。

8月10日には、県外から来る同級生と会う予定がありました。

12日には、中学校の同窓会も控えていました。

しかし、すべて参加できなくなりました。


翌朝には、誤嚥による症状が改善していました。

それでも、退院の許可は下りませんでした。


誤嚥による症状は改善しても、私の身体には別の問題が残っていたのです。



HCUから一般病棟へ


8月14日 月曜日。

状態が安定したため、HCUから一般病棟へ移りました。


この日で、HCUを離れることになりました。

HCUの看護師さんたちは、とても親切でした。


厚手の予防衣を身につけて、忙しい中でも足を止め、

私の話を聞き、対応してくださいました。


入院中、そのように向き合ってもらえたことを、

とてもありがたく感じています。

HCUの看護師さんたちに、心から感謝しています。



病室の窓から見た花火


一般病棟へ移った8月14日の夜、忘れられない出来事がありました。


看護師さんたちが「今日は花火大会があるから」と、

ベッドを窓の方へ向けてくれました。


病室の中に、花火を見るための特等席を用意してくれたのです。



19時15分から20時15分、

オープニングのドローンアートからフィナーレの花火まで、

満喫することができました。


夏祭りに参加できず、同級生にも会えず、

同窓会にも参加できなかった私にとって、

その時間は特別なものでした。


病棟の皆さんの配慮と明るい声かけに救われました。

本当にうれしかったです。


今でも、病室の窓から見た花火を覚えています。



退院許可が下りなかった理由


HCUから一般病棟へ移ることはできました。

しかし、退院の許可は下りませんでした。


当時の脈拍は、常に110〜120台でした。

血中の二酸化炭素濃度も、やや高い状態でした。


そして8月下旬、とうとうドクターストップがかかりました。


呼吸器をつけるかどうか。

私は、決断を迫られました。


病気のことを理解し、受け入れてくれていた大好きな職場も、

この時期に退職せざるを得なくなりました。


何年も避けてきた決断が、目の前にありました。

もう、逃げられない状態になっていました。



私が気管切開を選んだ理由


私は、気管切開を選択しました。


それまでに、新型コロナウイルスへの感染や、

複数回の誤嚥による呼吸苦を経験していました。


息ができない苦しさを経験したことも、

気管切開を選ぶ理由の一つになりました。


病気になる前の私は、

「寝たきりになって周りに迷惑をかけるくらいなら、潔く死を選ぶ」

と思っていました。


しかし、それは自分が当事者になる前の、

どこか他人事として考えていた言葉でした。


実際に命に関わる選択を目の前にして、

簡単に言えることではなかったと痛感しました。


私は、死を受け入れることができませんでした。

そのような私にとって、気管切開は必然の選択だったのだと思います。


何年も決断から逃げてきました。

しかし今振り返ると、自分の性格からして、

すでに答えは出ていたのかもしれません。


私は一人で、この決断にたどり着いたわけではありません。


次回は、決断を支えてくれた先生や看護師さん、

家族、友人たちのことを振り返ります。

▶︎第2話|気管切開の決断を支えたもの|ALS当事者が受け取った厳しさと
     優しさ



私の経歴や、「すれ違い翻訳室」に込めた思いについては、自己紹介記事にまとめています。

▶︎自己紹介|支える側と支えられる側を経験して見えた3つのこと


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。



よりそいさん|すれ違い翻訳室






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よりそいさん|介護のすれ違い翻訳室📙 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。この記事が少しでもお役に立てたなら嬉しいです。これからも、介護のすれ違いを言葉にして届けていきます🕊️応援、よろしくお願いします🌸