危急時の心得と人間の尊厳
金塊も結構。だが有事で逃げる時には、途中でそれを狙われて命と一緒に盗られるから、普段から自分や子供達の技能や学識習得に財産は使いなさいと、昔戦争で大陸から台湾に逃げてきた人が言っていました。身に付けた技術や能力は決して盗まれないし、逃げた先では必ず役立つからと。こういう知こそ、これからの激動の時代には持つべきだろうと私は思うのです。
身に付けるスキルは、いわゆる大学で得る「高学歴」的なものに限りません。海外の難民キャンプでは、たとえば理髪の需要が大きいようです。心も荒んだ避難先の酷い環境の中、乱れた髪を切ってもらって外見を整えることは、落ち込んだ自分の気持ちを立て直し、そして再び困難に立ち向かう勇気と活力を得る切っ掛けとなります。
東日本大震災直後の仙台でも、パーマ屋さんや理髪店さんの需要が沢山ありました。電気、ガス、水道のインフラが回復していない中、長い間風呂どころか顔も満足に洗えない日々を多くの仙台市民は体験していました。これは津波被災地域に限定されず、仙台市街地の広い地域で起きたことです。インフラが戻った仙台駅前の高級ホテルが客室のシャワールームを安価で開放するというニュースがSNSに流れたときも、多数の人々が押しかけてました。ホテル側は採算ど返しで市民に奉仕をしてくれたのです。
多くの人々が被災して苦しむ中、特に津波被災地域の避難先では、もちろん食料や義援金は大切でした。でも実は気持ちの立て直しには、避難所内でちょっとしたオシャレができることや「お笑い」が、多くの人々に歓迎されました。また飼っていたペットとの再会も挙げられます。これも今後の激動の時代に備えるヒントになるかと思います。まずは肉体の命を繋ぐことが大事なのだから、避難先でのオシャレや笑いやペットは最優先と思えない人もいるかもしれません。しかしこれらも人間の尊厳の回復が第一という大原則にきちんと則っていることも見逃せません。
被災地や紛争地などで、優先されるべきは人間の尊厳の回復です。そのため外部から入った人間は、独断や押し付けは最も避けるべき事柄。まず現地の人々の声を聴くこと。次にあらゆる決定プロセスに現地の人々を参加させること。今後の激動の時代を生きる若い人達は、是非このことを覚えておいて下さい。
今後の激動の時代を生きる若い人には、人間の尊厳の大切さを知っておいて欲しいです。まだの方はこのビデオを是非ご覧ください。
また東日本大震災でも、人間の尊厳の回復の大切さを体験しました。こういうことも知っておいて欲しいのです。
東日本大震災では、仙台が地元の平了(たいら りょう)さんという方が全国にSNSで呼び掛けて、共鳴をした人々がぞくぞくと押しかけてできた『スコップ団』という草の根団体が、津波被災地域で多くの人々の心をも救い上げていました。この団体の方々、特に平さんは、人間の尊厳を深く理解し、行動にそれを示していた人々でした。
津波で被災した建物の泥かきや清掃だけでなく、平さんたちは津波で亡くなった方々の御遺体を保存するためのドライアイスを全国駆け回ってかき集め、棺に入れてあげていました。これに対して、「危急のとき、生者よりも死者にエネルギーを使うのはいかがなものか」という的外れな批判や中傷もネットに上がったのです。ここで重要なのは、平さんの行動は、死者を悼む家族などの「生者」の人々の心に本当の優しさできちんと寄り添い、彼らの人間の尊厳の回復を手助けしたものだったいう事実だと思うのです。人はときに深く考えず、短絡的にものを言ってしまいます。ですから、普段から深く人間の尊厳を考え続け、それに触れ、それを示す日々を積み上げていくことが大切なのだろうと思っています。
この平さんが書かれた記事の中に出てくる「でもね、(大切なことは) モノじゃないのよ?」とおっしゃったご婦人も、人間の尊厳を深く理解されている方だと思うのです。(以下引用)
避難所から初老の女性を車に乗せて、私たちの倉庫にお連れした時の話です。
「主人とはケンカなんてしたことなかったの。」
「そうなんですか~。仲良しですね。」
「うん。本当の意味でのケンカはありますよ?議論みたいな。ちょっとした。それがなくなったら人はお終いでしょ?」
「はぁ。」
「でも、その日は、本当にくだらないことで意味のない感情上のケンカをしてしまったの。初めて。」
「はぁ。」
「彼は車で、すごいスピードで出て行っちゃって「行ってらっしゃい」も言わなかったし、行ってきますもなかった。そのままぶつかって死んじまえ!って思っちゃったの。」
「・・・。」
「そのまま、あの人は、津波で死んでしまったの。だからね、私の一番の後悔は、食料や水を蓄えておかなかったことじゃないの。懐中電灯もなにもいらない。もし運命で彼が死んでしまう事が避けられないにしても、愛していたって伝えたかったってことなのよ。」
「・・・。」
「あなたは、何でもしてくれる。本当にありがとう。」
「とんでもないです。」
「でもね、モノじゃないのよ?」
「分かります。分かってやってます。俺もそうだ。」
「私の想いを、いつか天国に届ける企画を立ててくれないかしら?」
「分かった。考えます。チカラもつけます。」
「その時は、私は元気だよって彼に伝えたい・・・。」
そのご婦人の言葉こそが、史上稀なる規模の草の根ムーブメントとなった2012年3月10日の鎮魂大花火大会を生み出したのです。当日は宮城県の広い場所から、多くの人を亡くし、心の傷が癒えていない人々が、天国に向けてぶっ放されたその花火の大輪を見つめていたのでした。「私は元気だよ」と、亡くなったその人に伝えるために。
原発事故では、汚染された故郷に帰りたいと強く願うご老人達を支持支援する人達もいました。長生きを望んでいるわけではない。放射性セシウムなどが高い値で検出される自分の里山のキノコや山菜をなんとかして摘んで食べたいという人達にも、その許容量を教えることで、彼らが失った日常を取り戻させる支援をした人々です。しかしネットにはそんな彼らをも強く非難する人たちがいました。そのご老人自身が選択した自らの生きる尊厳を全く無視した、冷たい意見でした。ご老人を支えた彼らは、実際には人間の尊厳の回復を助けてくれた人々だったのです。
数字や割り切りだけで言えば、死者より生者。長く馴染んできた食事よりも放射能汚染忌避。しかしそれで決して救われないものが人間にはあることを理解することこそが、高い理性であり、深い教養なのだと感じます。人間理解が浅いものには、本当の意味で人を救うことなどできないのですから。
激動のこれからの時代に、自然環境、そして混迷する世界を広く救っていくのは、そういう深い理解に基づいた人々の共鳴の連鎖しかあり得ないと思わされます。たとえば昨今の気象変動に対する若い人々からの世界的な問題提起でも、人間の尊厳というものを忘れてしまうと、その運動もすぐに袋小路に入ってしまいます。本当に二酸化炭素排出を世界的に減らし、地球の自然環境を守りたければ、もっともっと深く人間の尊厳に考えを巡らせることを出発点にして、世界に訴えていくのが良いのだと思うのです。そしてその深い思想から出てくるアピールこそが、無関心だった人々の心を打ち、行動へといざなうのだろうと、私は考えています。
今後も世界を巻き込んだ激動の時代が続くでしょう。そんな時代に、人々はどのように生きていくべきなのかと、考えさせられる機会も増えていくことでしょう。誰もが満足する解答を私も持ち合わせてはおりません。しかしヒントになるとするならば、次のことだろうと感じています。たとえば仮に世界的な気候変動が解消され、また環境問題では原発における「トイレのないマンション問題」も解決され、そして様々な国際問題も解決されて、世界に平穏がきたときには、そこで人間は何を求めているのか。人々がその平和な環境の中で、どのように尊厳を持って生きているだろうかと想像をしてみるのです。逆算的なのですが、その求めるべき未来を、今の自分の心の中に形作っていく。それは大いなる摩擦を伴いながら今の現実の中にすぐ作ろうと焦ることではありません。自分の心の中に思想としてまず築くのです。自分の心の中に具現化することこそが、解決の糸口になるのかもしれません。特に活動的な若い人達は、今すぐ採れる手段と本来の目的を取り違えてはいけません。人間の尊厳というものは深淵なものであり、短絡的に浅く考えるべきことではないのですから。今後の激動の中を生きる若い皆さんは、皆思慮深く、尊厳の意味を深く考え抜いていく人であって頂きたいなと、私は強く願っております。
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