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ニュートン、マクスウェル、ホーキング

これは2017年2月の英国出張の記録を再編集したものです。

2014年から2019年まで、私は英国王立協会の歴史ある学術雑誌の『Proceedings of the Royal Society』誌のEditorial Board Memberでした。満期となる2期6年を務めさせて頂きました。その関係もあって、ロンドンにある王立協会に収められた数々の貴重な資料、文献を、個人的に見せて頂く機会がありました。ここは英国の科学の長い歴史が詰まっている場所なのです。

協会に飾られた歴代協会長の名簿
1703年から1727年まで、ニュートンは協会長を務めた.

アイザック・ニュートンも1703年から1727年まで、ここの協会長をしていたそうです。せっかくの機会ですので、いろいろある貴重な資料の中から選ばせて頂いて、まずはニュートンの有名な『プリンキピア』の手書き原稿を見せてもらうことにしました。

保存のために1枚1枚綺麗に現代の用紙に貼られ、ファイルされていました。揮発性洗剤を含んだ備え付けのテイッシュで念入りに手を拭いた後、さっそく1枚1枚めくっていきます。興味深いことに、ニュートン自身の手による推敲の跡が見てとれます。

ニュートンのプリンキピア手稿(1)
ニュートンのプリンキピア手稿(2)

『プリンピキア』を堪能した後、こんどはマクスウェルの『電気磁気論』初版本(1873年)を見せてもらうことにしました。彼は現代物理学の基礎の1つである、電磁気学のマクスウェル方程式を提案したことでも有名です。

「電気磁気論」見開き

これがその序文のページです。

「電気磁気論」序文
「電気磁気論」序文と目次
「電気磁気論」目次

内容は非常に基礎的なところから丁寧に書かれていました。下のページでは物理量の測定から論じています。

「電気磁気論」最初の章

彼は熱力学でも重要な仕事をしている人です。最近の情報熱力学でもホットなテーマである「マクスウェルの悪魔」も彼の思考実験から生まれたものです。1871年には有名な教科書『熱理論』を出しています。その初版本も見せてもらいました。

「熱理論」見開き

たとえば、下のページでは、温度計の構成の仕方を論じていました。

「熱理論」

英国が長い歴史の中で成してきた物理学への貢献を、こうして実際に手にしてみるのは、個人的に大変貴重な体験でした。

その日の午後はロンドンの町中にあるUniversity College London(UCL)の物理学科で量子エネルギーテレポーテーション(QET)のセミナーをさせて頂きました。ホストは友人のジョナサン・オッペンハイムさんで、彼には量子情報熱力学の沢山の論文があります。QETにも強い関心を持っていました。

ちなみにUCLは、英国の長い歴史では、まだ若い大学とされています。たとえ、その創立が1826年たったとしてもです。その開学理念が実に素晴らしいと、私は思いました。UCLができる前までケンブリッジ大学やオックスフォード大学などは非常に保守的で、入学できるのは男性、貴族出身、英国教徒という条件を兼ね備えた人に厳しく限定していたそうです。

その状況に反旗を翻したのが、「最大多数の最大幸福」というスローガンでも有名な哲学者ジェレミ・ベンサムです。彼はUCLの創立者の1人となって、その入学条件に対して、性別、政治、思想、宗教などのあらゆる差別を撤廃したのです。このUCLの無宗教性のおかげで、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学ではなかったチャールズ・ダーウィンの『進化論』の発表も、UCLではできたのだそうです。

ベンサムは遺言を書き、自分の死後、肉体を保存させて大学の玄関ホールに置かせました。それが下の写真にある「自己標本」です。今回もセミナーでの訪問に際して、UCLの守り神として正面玄関でお出迎えして頂きました。

ジェレミ・ベンサム
ジェレミ・ベンサムの自己標本のキャプション

死後ベンサムの遺体は、彼が遺言書で要求した通り、保存され、服を着て杖を持ち椅子に座った状態でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで木製の棚に保管された。これは"オート・アイコン"(自己標本)と呼ばれる[12]。それは公的な行事の際、倉庫から時折持ち出された。保存の過程で頭部は深刻な損傷を受けたので、頭部だけは蝋でできたレプリカである。本物の頭部も同じ棚に長年展示されていたが、たびたび学生のいたずらの標的にされ、事あるごとに盗まれたので、現在では別室に厳重に保管されている。

(Wikipediaより)

UCLではセミナーも沢山の物性理論の人達や実験家も参加して頂き、盛況でした。その前後の物理学の議論も、QETだけでなく、量子情報熱力学のより一般的な熱状態の受動性の話や、ブラックホールの議論までへと広がり、とても楽しい時間を過ごせました。

ロンドンの後は、ケンブリッジに鉄道で移動します。ケンブリッジ大のDAMTP(Department of Applied Mathematics and Theoretical Physics)の一般相対論グループでセミナーをさせて頂くためです。内容はブラックホールの事象の地平線上の漸近対称性についての結果についてです。写真はDAMTPが入っている建物でして、とても近代的な作りになっています。

DAMTP正面入り口

中に入ると、ここのシンボルであるスティーブン・ホーキングさんの絵画や像が飾られていました。

セミナーは13時から始まります。聴衆がピザなどの簡単な昼食をとりながら聞けるランチミーティング形式でした。その会場に入ると、一番前の座席部分が空けられていて、そこに紙が置かれていたのに気づきました。

その紙には、「Reserved Prof Hawking」と書かれていました。

そしてセミナー開始時間直前に、彼はやってきました。

写真がぶれているのは、自分のプレゼンテーションのファイルを見ていて、彼の入室に気づくのが遅れ、焦ってシャッターを切ったためです。

彼に自分の研究の詳細をゆっくり聞いてもらえるのは、これが初めてでした。しかも講演内容は、彼が共同研究者のペリーさん(同じDAMTP)とストロミンジャーさん(ハーバード大学)とともに前年に書いた論文に対してのネガティブな結果も含めてあります。これがどう彼らを刺激するかは未知数でした。彼らは研究の競争相手でもあったのです。

いつもより幾分緊張しつつでしたが、セミナーが始まって、話し出すとそれもどこかに消えていました。自分の発表内容には自信があり、しかも楽しい物理が入っていると確信していたからです。

ところがです。発表の中盤に、突如ホーキングさんがあの声で"Happy Xmas"とつぶやいてきたのです。こちらは不覚にも動揺してしまいました。

私が話していたその部分には、もちろん「クリスマス」は出てきません。ただし、彼らの結果に対しての批判的コメントの部分は既に過ぎていたので、もしかしたら不満をもって、からかい半分に発言したのかな?とも、瞬間思ってしまいました。しかし、後でわかるように、これは全くの誤解だったのですが。

このグループのセミナーは、彼が出席すると他の参加者の誰もが発言を控えてしまうのか?特に今回はそこの2人の教授の仕事に対するカウンターでもあるし、また米国と違って、かなり保守的なグループだと多くの友人から聞いてもいました。または彼が更なる発言するのを皆が耳を澄ませて待っているのか?ともかく変な短い沈黙があったのです。

ただ彼の隣で付き添っている介護専門のスタッフの方が「大丈夫だから続けてください」と言っていましたし、また彼に発言意図をこちらから改めて聞いても、その返事を彼が機械に打ち込むのにも10分以上は必ずかかると踏んで、「後でゆっくりお聞かせください」とだけ言って、先を進めることにしたのです。

その後彼は特に発言することはなく、発表は予定の時間通りに、きちんと終わりました。終了後、研究室の若い人が駆け寄ってきて、あの"Happy Xmas"の事情を教えてくれたのでした。

ホーキング博士は気管切開をした後、彼自身の声を失っており、車椅子に備えているインテル社の機械を使って、言葉を話しています。最初は彼の眉の動きをモニターして、モニター画面上の単語リストから自分の使いたいものを拾ってきて文章を書き、それを音声に直していたそうです。その後は、手のかすかな動きで言葉を入力できる装置に切り替えました。でも、私が訪問をした2017年頃には、症状の進行とともに高齢で体力も落ちてしまい、それまでのコミュニケーション方法ができなくなったそうなのです。そこでインテル社は頬の運動を捉えるモニターを開発し、再び彼に言葉を与えることを成功させたのです。

ただこの「頬方式」には難点があったのです。それは食事中に起こります。食べ物を口に入れて咀嚼するときに、頬も連動してしまうのです。それでエラーが起きるのです。そして今回の私のセミナーはランチミーティング形式でした。ホーキング博士も、介護の方に手伝ってもらって、スプーンでオートミールのようなものを口に入れてもらっていたのです。

するとしゃべりたい意思がなくても頬が動き、彼の体の不調を伝えるキーワードである"Happy Xmas"という緊急メッセージを、機械が勝手に発声してしまったのだそうです。このグループのランチミーティングでは定番の風景だったそうです。こちらもそれを最初から知っていれば、ドキリとしなかったと思いました。

ただ体の不調を訴える緊急メッセージが"Happy Xmas"であるというのを聞いて、やっぱり彼らしいなと、私は感じたのです。 

彼の体にまだ自由が残っていて、研究者として最も脂がのっていた1971年に英国出身のジョン・レノンが出した有名な曲が"Happy Xmas"だったからです。

この曲には"War Is Over"という副題が付いており、スタイリッシュに反戦を訴える作品でした。"WAR IS OVER IF YOU WANT IT"というフレーズのコーラスが素晴らしい曲なのです。

反戦家としても知られるホーキング博士も、若い頃にこの曲を聴きながら研究していた時期があるのもしれないと感じました。それでこの曲名を使ったのかなと、個人的に思ったのでした。なお、この"Happy Xmas"の由来は直接彼に尋ねていないので、私の想像に過ぎません。セミナー中に博士のボイスマシンがエラーで発声したことを、博士が気まずく思わないようにと、わざわざ聞くことはしませんでした。

緊急自動音声をジョン・レノンの曲のタイトルと同じ「Happy Xmas」にしたことは、同時に、博士ご自身の「戦い」と関係があるようにも思えました。体が不自由な毎日も、他の人の人生と同じように、先の見通せない戦い。この自動音声を周囲の人々が聴かなければ、この「戦い」は終えられるよと、言っているようにも感じたのです。また翻って、ある意味で場違い的に軽く、「Happy X mas」とそれを表現することで、博士自身で笑い飛ばし、本物の生を最後まで貫徹する意志も強く感じました。ホーキング博士は、知的に物事を斜から見る感じのエスプリを持っていました。
 
彼にとっても、周囲の人にとっても、自身の人間の尊厳を維持するための戦いの日々だったのでしょう。そのときが来たときに、もしこの「戦い」が終わるのを望めば、明るくHappy Xmasと一言残して、自分はこの世から退場しても良いと、博士は達観していたのかもしれません。それは、普段から彼自身が夜空を見上げ、ひとりで宇宙の始まりやブラックホール、時間や空間の存在や「無」を考え続けてきたことで得た、悟りの達観だったのかもしれません。

セミナー発表後、興味を持ってくれた他の人の質問に答えてから、ホーキング博士自身の研究室に伺いました。ホーキング博士は、セミナー中に質問をしたくても、その入力に時間がかかるため、セミナーが終わってから彼のお部屋でゆっくり議論をしたいということでした。ペリーさんとその学生さんも一緒です。彼らは博士との意思疎通に慣れているので、心強く感じました。

お部屋に伺うと、ホーキング博士は、私がまだ知らないであろう、彼の共同研究者のその若い学生さんの名前を機械に打ち込んで、紹介してくれました。

そして自分の発表に関する質問をしてくれました。この質問の打ち込みにも、長い時間がかかります。私は彼の隣に座らせて頂いて、文章が綴られていくモニター画面の上をずっと観察していました。彼は頬を動かし、画面上の辞書リストからアルファベットと使用頻度順に並べられている単語を探してきて、それを確定するのです。

これを繰り返して文章を延ばしていくのですが、見ていると画面上のカーソルは彼が思うようには動いていないようです。なんども違う単語を拾ってしまい、それを消去しては、また頬を動かして、彼が使いたい単語を取り出そうとしていました。たった1行の文章でも、彼のこのような不屈の努力で綴られていたのです。

やはり彼は強い人でした。これだけで、私には強く心動くものがありました。

その後はペリーさんや学生さんを含めて黒板を使って議論して、楽しい時間を過ごしました。もちろん彼は基本的に聞いているだけになってしまいましたが、内容はきちんと理解しているようでした。

セミナー後、彼の部屋に来てから既に1時間半くらい経ってしまい、さすがに彼には疲れの色が見えてきました。介護スタッフの方が博士に確認をして、後の議論はメールでということになって、彼らとの議論は一旦お開きとなりました。

下の写真は、ホーキング博士の部屋で議論を終えた後に、記念として撮って頂いたものです。退室間際に付き添いの介護スタッフの方が博士と少し会話をした後、写真を私に撮ることを勧めて下さったので、お願いをしました。このときの彼は、本当にムービースターのようだなと思ったものでした。写真を撮る直前まで、彼は疲れて少々元気がないように見えたのですが、いざカメラが向くと、「シャキン!」と目に力が出ました。さすがです。

私は、その学生さんとともにカフェテリアに移動し、また物理の議論を続けてから、宿に戻りました。ちなみに、下の写真はその宿で飼われていたネコです。

ちょっとした後日談があります。私がホーキング博士の研究室を訪ねて議論をしたときの黒板を、博士は長い間消さずにいたようです。私が訪問したのは2月の始めでした。英国では3月17日の「聖パトリックの日」にアイルランドの黒ビールを飲んで祝う習慣があります。その日に流される、英国の朝のTV番組のインタビューを、ホーキング博士は受けています。その番組で、私との議論が書かれたまま黒板も、英国中に放映されていました。そしてその後に、TVスタッフと一緒に黒ビールで聖パトリックの日を祝うホーキング博士の写真が公開されていました。写っている黒板の右上には、私の名前も見えています。私にとっては良い思い出です。

TVで放送された、ホーキング博士の黒板


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