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💟囜家民族を救う道倩照倧埡神ずは

🎀䞲呂哲孊研究ノヌト 第352号

🟡倩照倧埡神ずは

倩照倧埡神に぀いおは、䞉茪矩熈みわよしひろ著「神皇蚘」第䞀線 神皇之巻じんのうのたき  第二章 神祇じんぎ  第四節 豊阿始原䞖ずよあしはらのよ 地神ちしん 五代  第䞀 倩照倧埡神に詳现に蚘録されおいたす。

䞉茪矩熈著「神皇蚘」第䞀線 神皇之巻じんのうのたき  第二章 神祇じんぎ 
第四節 豊阿始原䞖ずよあしはらのよ 地神ちしん 五代  第䞀 倩照倧埡神

旧挢字を新挢字に、仮名遣いを珟代仮名遣いに倉換したした。

倩照倧埡神は諱いみなを初め倧垂毘女尊おおいちひめのみこずずいい、埌倧日留女尊おおひるめのみこずずいう。䌊匉諟いざなぎ䌊匉冉いざなみ二柱ふたはしらの尊みこずの皇女にたしたす。二柱より倩぀日嗣の倧埡䜍を受けさせ絊い、四方よもの惣倧埡掲そうおおみくにを知食しろしめし絊う。

是これより先二柱の倩぀日嗣を定めたさむずせらるるや、倧垂毘女尊・月峰呜぀きみねのみこず䞀、䜜月芋根呜互に矩を立お盞譲あいゆずりお、倩぀日嗣に立たせ絊わず。乃ち月峰呜蚀もうしたたわく、倧垂毘女尊は、二柱の初長子なり。故に尊を倩぀日嗣ずなし、以お四方の惣倧埡掲を統すべさせ絊うべし。ず蚀い残しお、神郜を去り、西叀蟲原家叞真かしたの里癜玉池畔に、倩぀埡舎みあらかを造り、移り止たらせ絊う。

即ち、倧垂毘女尊を立おお、倩぀日嗣ずなし、諱を倧日留女尊ず改め賜う。是ここに至りお、尊、倩぀日嗣に即぀かせ絊い、囜を豊阿始原瑞穂囜ずよあしはらのみずほのくにず名付け絊いき。

口語蚳
倩照倧埡神あたおらすおおみかみは、もずもずのお名前を 倧垂毘女尊おおいちひめのみこず ずいい、のちに 倧日留女尊おおひるめのみこず ず呌ばれるようになりたした。 䌊匉諟尊いざなぎのみこず・䌊匉冉尊いざなみのみこずずいう二柱の神の皇女ずしおお生たれになった方です。

䞡芪である二柱の神から、倩の王䜍倩぀日嗣・あた぀ひ぀ぎを受け継ぎ、四方の倧埡掲囜々を治める圹目を授けられたした。

日嗣ひ぀ぎをめぐる譲り合い

倩照倧埡神が日嗣を継ぐ前、 倧垂毘女尊のちの倩照倧埡神ず、匟にあたる 月峰呜぀きみねのみこず が、どちらが埌継ずなるかを話し合いたした。

しかし二人は互いに譲り合い、どちらも自分が継ごうずしたせん。

そこで月峰呜はこう蚀いたす。

「倧垂毘女尊は二柱の神の最初の子である。 だからこそ、あなたが倩぀日嗣ずなり、四方の囜々を治めるべきだ。」

そう蚀い残しお、月峰呜は神郜を離れ、西方の癜玉池のほずりに宮を建お、そこに身を匕きたした。

倩照倧埡神、倩぀日嗣に即䜍する
こうしお倧垂毘女尊は正匏に倩぀日嗣ずなり、 お名前を 倧日留女尊おおひるめのみこず ず改められたす。

即䜍されたのち、 この囜を 「豊阿始原瑞穂囜ずよあしはらのみずほのくに」 ず名付けられたした。

たずめ䞀般向けの理解

  • 倩照倧埡神はむザナギ・むザナミの皇女

  • 本来の名は「倧垂毘女尊」

  • 匟の月峰呜が「あなたこそ継ぐべき」ず譲った。

  • その結果、倩照倧埡神が倩の王䜍を継ぎ、囜を「豊葊原瑞穂囜」ず名付けた。


🟡艮ず址に分れ䜏んだ日神ず月神

䞋蚘は、加茂喜䞉著「日本の神朝時代」平成6幎11月16日/富士地方史料調査䌚からの匕甚です。富士山を䞭心にした䞲呂のお話です。䞲呂図が無いので分かりにくいず思いたすが、䞲呂の原兞のような内容ですので、掲茉したした。

倩照倧神は月倜芋呜が皇居から姿を消したこずを知り、挞く決断しお倩぀日嗣に登極した。

倩照倧神は高倩ノ原の䞀新を䌁おそれたでの䞖号「高倩ノ原の䞖」を「豊阿始原ノ䞖」ず改めその䞀代神皇を称した。建囜の神々が富士山麓に入っお王暩の府を蚭けおより、早や五癟䞃幎が過ぎおいた。倩照倧神は自ら日神ず名乗り、そしお倩぀日嗣を譲り合っお隠棲した月倜芋呜に父皇䌊匉諟尊の遺呜のごずく〝亜皇〟神皇に぀ぐ地䜍の称を䞎え、月の䞖界を治めさせた。即ち月神である。

この時代、倩地は日ず月の回転によっお運行しおいるずされおいた。然かも月は日の導きによるずいう摂理を既に知っおいた。そしお日も月もずもに䞊んで倩地の二倧根源だずし、これを尊敬し、この恩恵に济すこずが即ち生掻であるず心埗おいたから、日を支配する者、月を支配する者こそ䞀倩䞇乗の至尊であったわけである。

この倩地の二倧根源を叞る日神ず月神は、富士山を䞭心にしお東北ず西南に分れ䜏んだ。東北の地は皇居のあった阿倪郜山で、ここに日神の倩照倧神がいた。西南の地はその党く反察偎の湧玉ノ池で、ここに月神の月倜芋呜がいた。その䞭心が富士山である。

詊みに日神倩照倧神のいた阿倪郜山ず月神(月倜芋呜)が隠棲したずいう湧玉ノ池を盎線で結んでみるず、その䞭倮がちょうど高千火ノ峰ずいわれた富士山ずなる。富士山を起点ずしお日の阿倪郜山は艮に圓り、月の湧玉ノ池は址に圓り、ぎったり䞀盎線䞊に連らなっおくる。

阿倪郜山は陜宮ずいわれ、湧玉ノ池は陰宮ずいわれた。

たた、陜宮ず陰宮を結ぶ盎線から富士山を基にしお倫々盎線を盎角にひいおみるず、也の方向に財宝の集たる青朚ケ原、巜の方向に子宝の集たる阿始ヶ岳愛鷹山が浮䞊しおくる。これを四方ずいった。

叀来、家盞で也の方向に宝物や食糧を蓄えるお蔵を぀くるず繁昌するずいわれ、巜の方向に出入の門や玄関を蚭けるず子孫が繫栄するずいわれおいる。青朚ケ原の䌝承ず愛鷹山の䌝承がこれであり、方䜍孊の原点にほかならない。

陜宮ず陰宮、富貎ず瑞祥の亀差する䞭倮が枅浄な火を噎く「高千火ノ峰」の富士山であるこずを知るずき、富士山が劂䜕に倧きく意識されおいたかがわかる。


🟡キヌワヌドは「垂」だった。

子䟛の頃の我が家には、仏壇ず神棚が䞡方あり、神棚には地元の氏神ず倩照皇倧神が祭っおあった。少幎時代に倧正生たれの母芪に質問しおも倩照倧埡神がどのような神様なのかさっぱり芁領を埗ず、高校時代に「蚘玀」を読んでも神話ずしお語られおいお、高倩原が䞀䜓どこにあるのかさえ分からなかったが、それなのに䞀番尊い神様であるずされおいるこずに䜕か倉だず感じおいた。

今を去る半䞖玀以䞊前に、䞉浊芳聖垫から富士叀文献宮䞋文曞の存圚は教えお頂いおいたが、読む機䌚がないたた掚移しおいた。

昭和55幎(1980幎)頃、同門の倧先茩から「加茂喜䞉先生」の著曞を数冊プレれントされ、「神皇蚘」などの富士叀文献宮䞋文曞の解説曞に出䌚ったこずから、倩照倧埡神がどのような神様なのか、具䜓的な蚘録を読むこずで理解するこずが出来たした。

今回、『倩照倧神- Wikipedia』を拝芋したずころ、盞倉わらず「蚘玀」䞭心の内容で、がっかりするず同時に、その理由は、「ここたで解った元䌊勢䌝承」の「🟡厇神倩皇の正䜓は異民族か」で論じた「倧和王朝䟵略王朝説」の反映だからだず自埗したした。日本のアカデミズムは、今でも富士王朝をタブヌ芖しおいるずいうこずです。

さお、「倩照倧埡神の子育お 埡子 䞉浊芳聖 の教導録」では、䞉浊芳聖垫は倩照倧埡神の最愛の埡子であるずしおいるのですが、この件に぀いお述べおみたす。

䞉浊芳聖垫の䞲呂䞊の笊号の䞀぀に「垂子」いちこ、いちごがありたす。その根拠は、䞉浊芳聖垫の父の名が「䞉浊垂次郎」であるこずから来おいお、その䞻な地文は、愛知県西尟垂の垂子町いちごちょう、滋賀県近江垂の垂子殿町いちこずのちょうです。

今回、「神皇蚘」により、倩照倧埡神の最初の諱いみなが倧垂毘女尊である事が刀明したしたので、䞋蚘のように解読できるかず思いたす。

🟠䞉浊芳聖垂子・垂子殿
🟢䞉浊芳聖の父・・・垂次郎
🟣䞉浊芳聖の霊統の芪神・・・倧垂毘女尊倩照倧埡神

続く


🔎神颚䞲呂を孊びたしょう

䞲呂哲孊研究䌚では、今日では入手䞍可胜な䞉浊芳聖の著曞を埩刻するのに倚くの時間ず劎力を掛け、採算を党く考慮せず、䞲呂図、衚玙画像、系図、䞭扉などのCG画像䜜成のために倚くの費甚を掛けお参りたした。

これは、我が日本囜ず日本民族の将来を案ずればこそでありたす。皇祖神・倩照倧埡神が、私達日本民族のために、苊心惚憺、長期間を掛けお構築しお䞋さった神颚䞲呂を孊びたしょう



🟡読者の皆様に
【神颚䞲呂】は、皇祖神・倩照倧埡神が日本民族に授けられた、目に芋える啓瀺であり、二千幎の時を超えお今、私たちの前に顕れた「神の蚀葉」です。

このペヌゞに蟿り着かれた貎方様ずのご瞁に、心より感謝申し䞊げたす。 本蚘事は、倩照倧埡神の埡神意を䜓珟し、地䞊に遣わされた神皇正統嫡皇孫・䞉浊芳聖垫が創始された「䞲呂哲孊神颚䞲呂」の真髄をお䌝えするものです。

『神性敬遠の二千幎史皇祖神からの䌝蚀』が明かすように、我が囜が「倩皇を日本囜および日本囜民統合の象城ず仰ぐ王政」を未来に継承したいず願うならば、皇祖神の埡神意に添い奉る道を遞ばねばなりたせん。 さもなくば、我々はこのたた異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳ず特性を倱い続ける危機に盎面し続けるでしょう。

神颚䞲呂には、日本民族が進むべき道が明確に瀺されおいたす。今こそ、真実に目芚め、埡神意に立ち返る時です。 この情報を䞀人でも倚くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し䞊げたす。

なぜ倩照倧埡神は、長きにわたり神颚䞲呂を構築し、神皇正統家を顕地されるのか この問いに真摯に向き合い、䞲呂哲孊の栞心を孊ぶこずで、我々が今なすべき第䞀矩が明らかになりたす。 そこにこそ、日本民族の再生ず未来が懞かっおいるのです。

神颚䞲呂、そしおそこに瀺された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千幎の歳月をかけお神颚䞲呂を築かれた倩照倧埡神の埡心ず、呜を賭しおその真理を解き明かされた䞉浊芳聖垫のご劎苊が、今こそ日本囜ず囜民の幞せの瀎ずなるこずを、心より願っおやみたせん。

🟡祈り
党䞖界の党人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楜しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向䞊の道を歩み、この䞖に生たれお来た䜿呜を党うし、倧宇宙の進化ず発展に寄䞎させお頂いおおりたすこずに心から感謝いたしたす。

🟡神颚䞲呂を孊びたしょう

🟡バックナンバヌ総合


出兞は䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』を始め『䞲呂哲孊第䞀茯』『神颚䞲呂』『䞲呂哲孊』『䞲呂哲孊ず地文孊』『神颚䞲呂の解明』等、通算181号いずれも神颚䞲呂講究所発行、1955幎1971幎 を参考にしお、研究成果を加味したした。


著者 鈎朚超䞖志のプロフィヌル
䞭孊䞀幎満13才の時、神皇正統嫡皇孫・䞉浊芳聖垫に垫事し爟来60幎間、
䞲呂哲孊神颚䞲呂を研究しお来た老孊埒。1950幎愛知県生れ75才。
䞲呂哲孊研究家。䞲呂哲孊研究䌚代衚。神瀟本庁神䞻、元高校教諭。

著 曞
「神颚䞲呂入門」
「ここたで解った元䌊勢䌝承」
「開鏡の神颚䞲呂倩の岩戞開きぞの道」
「神性敬遠の二千幎史皇祖神からの䌝蚀」
「倩照倧埡神の子育お 埡子 䞉浊芳聖 の教導録 青春線」
など倚数

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🟡最埌たでお読みいただき有り難うございたす。
䞲呂哲孊研究䌚 鈎朚超䞖志
ブ ロ グ 䞲呂哲孊研究䌚
メ  ルshinpukanro024@yahoo.co.jp
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