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💟後花園天皇の神風串呂——地文が示す“足利王統”の影

🎀串呂哲学研究ノート 第535号

日本の皇統は「万世一系」と教えられてきた。 しかし、一次史料と地名の配置 ―― 地文(ちもん)を読み解くと、 歴史の深層には、まったく別の“もう一つの皇統史”が静かに姿を現す。

今号は、後花園天皇の王統を、 伊勢の⛩️内宮、◎足利市役所、⛰️源氏岳を起点とする三本の串呂から検証する試みである。「崇神天皇扶余王依羅説」に続き、 日本史の迷妄を晴らす一歩となる可能性を秘めた章が、ここに開かれる。連載第1回。

💞はじめに

歴史には、文献が語る表の物語と、地名や地勢が静かに語り続ける“もう一つの物語”がある。

後花園天皇――その名は皇統史に確かに刻まれているが、 その血統には、古来より消えぬ疑問がまとわりついてきた。

後花園天皇(1419-1471)

いま、一次史料の再検討と地文(ちもん)の読解が重なり合い、 「後花園天皇は本当に北朝・持明院統の血を引いていたのか」 という問いが、静かに、しかし確実に浮上している。

本稿は断定を下すものではない。 ただ、伊勢の⛩️内宮、◎足利市役所、⛰️源氏岳 ―― 日本列島に刻まれた地名の配置=“地文”が語る声に耳を澄ませ、 後花園天皇の足跡を読み直す試みである。

串呂が構築されているならば、それは天地神明の御神意である。 どうか先入観を脇に置き、この“地文学の語り”に身を委ねていただきたい。

💞後花園天皇とは誰か――子は親の鏡

後花園天皇は、後小松天皇の猶子として即位した第102代天皇である。 父は伏見宮家の貞成さだふさ親王。 現在議論されている旧宮家の方々は、すべてこの貞成親王の子孫である。

本来なら貞成親王その人を調べるべきだろう。もちろん、貞成親王の串呂も研究している。しかし、「子は親の鏡」という言葉の通り、後花園天皇の地文を読み解けば、貞成親王の正体が浮かび上がる。

後花園天皇 - Wikipedia

💞一次史料が示す“血統の疑問”

近代以降、多くの研究者が 「後花園天皇は足利義満の血を引くのではないか」 という仮説を提示してきた。

特に斎藤忠『一次史料が証す正長元年の皇統交替』は決定的である。

一次史料をどう読んでも、 貞成親王は北朝・持明院統の血流ではない。 義子として伏見宮家に迎えられただけで、血統は“別”である。

その嫡男こそ後花園天皇であり、 貞成親王は、旧宮家十一家の祖である。

『一次史料が証す正長元年の皇統交替』の紹介文から引用させて頂いた!

伏見宮・後崇光院 貞成王(1372~1456年)が にわかに親王宣下を受け、後小松院の猶子となって嫡流皇統の家督を継いだのですが、彼の出自については、ずっと暗雲に覆われていました。

一次史料をどう読んでも、彼は北朝の持明院統の血流ではないのです。義子の関係でしかないのです。

彼の嫡男 彦仁王は登極して後花園天皇となり、次男貞常王の後裔も含めた旧11宮家共通の祖となるなど、現皇統の祖とされる人物ですが、神武皇統の血流でないとなると、尋常ではない問題が惹起します。

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次史料が証す正長元年(1428年)の皇統交替: 万世一系ではなかった!?
神武天皇の血流が絶えて、新たな皇統が興っていた!?
現皇室は15世紀第2四半期に始まった!?

この著書を読めば、「後花園天皇は足利義満の子孫ではないだろうか」と言う結論になる。

今号は、この仮説の真偽を問うために、後花園天皇が足利氏の子孫であるかどうかを串呂に聞いて見ようという試みである。

串呂が構築されているならば、串呂を構築下さった天地神明の御神意を直視しなければならないと思う。



💞地文(串呂)が語る後花園天皇の“影”

ここから、三本の串呂を順に見ていく。

(1)⛩️内宮(三重県伊勢市)
(2)◎足利市役所(栃木県足利市)
(3)⛰️源氏岳(岐阜県高山市清見町藤瀬)

これらの地文を起点とし、⛩️後花園天皇陵を至点とする串呂をご紹介することによって、串呂哲学とは何かを理解して頂くのが真の目的である。

(1)⛩️内宮 ➡️ 後花園天皇陵の神風串呂

起点
串呂を引く場合の定石として、一番に起点とするのは串呂主宰神 天照大御神を主祭神とする伊勢の⛩️内宮である。

⛩️皇大神宮内宮(三重県伊勢市)


至点

後花園天皇の串呂を見る場合の串呂至点は、何と言っても、京都市右京区京北井戸町の⛩️後花園天皇陵(後山国陵:のちのやまくにのみささぎ)であろう。

後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)


🔶串呂概観――天に二日なけれど国に二王あり
さっそく、伊勢の⛩️内宮を起点として、⛩️後花園天皇陵を至点とする串呂を引いて概観してみた。

すると真っ先に「二王の森キャンプ場」(京都府綾部市睦寄町和上)が目に飛び込んできた。


❇️二王の森キャンプ場(におうのもり/京都府綾部市睦寄町和上)
「天に二日にじつ無く、くにに二王無し」
      ⬇️
⭕⛩️後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)
至点 第102代の天皇陵
      ⬇️
⭕⛩️内宮(ないくう/三重県伊勢市宇治館町)
起点  主祭神 天照大御神  神風串呂の一大拠点


⛩️内宮と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

天に二日にじつ無く、くにに二王無し」ということわざの「二王」である。

天に二つ太陽がないように、国家にも二人の王がいてはならない。

🔴皇統に関する地文が配置されていた!

これは、進めの信号だと直観したので、この串呂をさらに調査した所、下記のような驚くべき串呂が解明された!

主要地文一覧
❇️二王の森キャンプ場(におうのもり/京都府綾部市睦寄町和上)
あり得ぬ天皇 偽王
      ⬇️
❇️上弓削町(かみゆげちょう/京都市右京区京北)
臣下による皇統簒奪 弓削の道鏡
      ⬇️
⭕⛩️後花園天皇陵(京都市右京区京北井戸町)
至点 第102代の天皇陵
      ⬇️
❇️たぬき村(滋賀県甲賀市信楽町牧)
誑かす。化ける。欺罔。偽朝。
      ⬇️
❇️新堂(三重県伊賀市)
新王朝
      ⬇️
⭕⛩️内宮(三重県伊勢市宇治館町)
起点
主祭神 串呂主宰神 皇祖 天照大御神


上弓削町(京都府京都市右京区京北/Google.Map)
⛩️内宮と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺約95.2万分の1)

この串呂上には、次の地文が並んでいた!

❇️二王の森(あり得ぬ天皇、偽王)
❇️上弓削町(臣下による皇統簒奪、弓削の道鏡)
⭕後花園天皇陵(第102代)
❇️たぬき村(誑かす、化ける、欺罔、偽朝)
❇️新堂(新王朝)
⭕内宮(神風串呂の一大拠点)

これは、後花園天皇が“気の毒なほどの負の地文”を背負っていることを示す。彼は、数えの10歳(満令で9歳と2ヶ月)で、後小松院の猶子となり践祚しているが、後花園天皇に責任が有るわけではない!

むしろ、後花園天皇は、室町王権の被害者であろう!

私は、これらの地文を白日の下にさらし、天下に公開することで、その重荷を降ろして差上げたいと心底願う。

もう一度言う「後花園天皇に責任が有るわけではない!」

(2)足利市役所 ➡️ 後花園天皇陵の神風串呂

後花園天皇の王統を鑑定するには、栃木県の◎足利市役所を起点にして、後花園天皇陵を至点とする串呂を調査すれば、的確なる地文が配置されているだろうという想定での串呂。これを「論証の串呂」という。

⭕起点…足利市役所(栃木県足利市)


⭕至点
…後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)
既述につき省略。

🔶串呂概観 ―― 下武士しもたけしを貫通!

この串呂を概観したところ、下武士(しもたけし/群馬県伊勢崎市境) を貫通した。

後花園天皇陵(京都市右京区京北井戸町)
至点 第102代の天皇陵
      ⬇️
❇️下武士(しもたけし/群馬県伊勢崎市境)
武士 武家
      ⬇️
足利市役所(栃木県足利市大橋町)
起点 足利氏の拠点

下武士(しもたけし)というユニークな地名が存在すること自体が驚きだが、 それが◎足利市役所と⛩️後花園天皇陵を結ぶ線上に “ピシン”と配置されていたのには心底驚いた。

現在は、上武士(かみたけし)、下武士(しもたけし)と分かれているが、もとは、武士(たけし)だろうと思われる。

武士(たけし)は、武家を示す地文である。
ここでは、武門の棟梁 足利氏を示すと解釈できる。

下武士(群馬県伊勢崎市境/Google.Map)
足利市役所と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺192.3万分の1)

さらに、この串呂の調査を進めたところ、下記の主要地文が配置されていた。

主要地文一覧
❇️下弓削町(しもゆげちょう/京都市右京区京北)
臣下による皇統簒奪 弓削の道鏡
      ⬇️
後花園天皇陵(京都市右京区京北井戸町)
至点 第102代の天皇陵
      ⬇️
❇️信州大芝高原(しんしゅうおおしばこうげん/長野県上伊那郡南箕輪村大芝)
大芝居(人目を欺くはかりごと)
      ⬇️
⛰️天狗岳(てんぐだけ/長野県茅野市豊平)
天狗 三串 -🔴-🔴-🔴-  日本三大妖怪のひとつ。逆賊
      ⬇️
⛰️東天狗岳(ひがしてんぐだけ/長野県茅野市豊平)
天狗 三串 -🔴-🔴-🔴-  日本三大妖怪のひとつ。逆賊
      ⬇️
❇️天狗岩(てんぐいわ/群馬県甘楽郡南牧村大仁田)
天狗 三串 -🔴-🔴-🔴-  日本三大妖怪のひとつ。逆賊
      ⬇️
❇️下武士(しもたけし/群馬県伊勢崎市境)
武士 武家 武門
      ⬇️
❇️足利公園(あしかがこうえん/南端/栃木県足利市緑町)
足利氏
      ⬇️
❇️足利大学 本城キャンパス(あしかがだいがく/栃木県足利市本城)
足利氏
      ⬇️
足利市役所(栃木県足利市大橋町)
起点 足利氏

足利市役所と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺192.3万分の1)

解説
武士と言う珍しい地文が配置されていたので、あまりの的確さに目を見張りました。この武士は、上武士と下武士に分かれていますが、下武士を貫通しています。

⛩️後花園天皇陵-下武士-足利市役所

後花園天皇=武士=足利氏。
地文はこの図式を、あまりにも明確に示していました。

8世紀末に桓武天皇による開都以来、14~15世紀の南北朝時代まで、およそ500年以上続いた平安王朝を滅ぼした逆賊の武士を示すために「下武士」なのかもしれません。

長島銀蔵著「皇統正史」には、下記のように記載されている。

『現皇室の始祖に当る貞成親王の著書として残る椿葉記には、
世に隠れたる武士の家柄
と明記するのみならず、当時の著書「春の夜の夢」に
「我が朝の皇統は将軍となりぬ」(将軍足利が足利朝という皇統を作ったこと)と掲載しているのである。』

長島銀蔵著「皇統正史」(1966年/自家出版)

💠下弓削町は、臣下による皇統簒奪を示す地文です。
弓削といえば、臣下が皇位を窺った弓削の道鏡事件が有名です。

弓削の道鏡は、法王に就任しており、天皇同等の待遇(法王の月料は供御に準ずる)を受け、大臣以下の拝賀を受けるなど、実質的に天皇と同格だったことが分かります。

🔴弓削の道鏡=法王=天皇と同格だった!=実質天皇

足利市役所と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map)

長島銀蔵著「皇統正史」には、下記のように記載されている。貞成親王は、皇統簒奪を実行する第一段階として、伏見宮家の居候として入り込んだのだ!

足利貞成が王化し更に親王化した過程
後小松天皇は、義満の長男貞成と舎弟の義持との三者合議によってすべての計画を進めて行った。貞成は、四十才まで菊亭左大臣家に於いて匿姓のくらしを続け、当時北朝系に於ける唯一家の皇統であった伏見宮栄仁親王家に「居候」入りし、以来同親王を御所様(御主人様)と敬称し、更に自己より十歳も若い年下の治仁王を同親王の一の宮と明記して居るのみならず新御所様(新主人様)と崇め、席次も常に上座へ迎えている。その事実を記した本人貞成の自記を引用し、左の如く貞成親王の続柄について調べてみると、四十才の折に栄仁親王家に参候(居候入り)したということになるのである。これを抜萃して真相を検討すれば、現皇室の系図は支離滅裂の部分があって史実を全く無視していることが明確になる。即ち貞成親王は、栄仁親王の王子等に程遠い単に同親王家に寄遇した人であることを証明することが出来る。(下略)

長島銀蔵著「皇統正史」(1966年/自家出版)

貞成親王(1372年ー1456年)が、伏見宮家に入り込んだ時期は、彼が40歳の時(1411年)であるという。後小松天皇と足利義持の時代である。

💠天狗 三串 -🔴-🔴-🔴- は、妖怪=逆賊を示す。

💠大芝は、大芝居(人目を欺くはかりごと)を示す地文です。
足利将軍が、南朝副統の後亀山天皇を「両統迭立案」で釣り上げ、和平統一と言う政治的大芝居を演じた事を示すと読解できます。

足利将軍は、富士谷御所に南朝正統の天皇が存在していることを百も承知で⛰️富士を見るためと称して、将軍自ら率いる大軍で富士谷を急襲した事が記録されています。(「長慶天皇紀略」「宮下文書」)

足利市役所と後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map)

(3)⛰️源氏岳 ➡️ 後花園天皇陵の神風串呂

足利氏をはじめ、清和源氏を名乗る武家を調査するには、⛰️源氏岳(岐阜県高山市清見町藤瀬)を起点とする串呂を見れば何か分かるのではないか!

これを傍証の串呂とします。

⭕起点 
⛰️源氏岳(岐阜県高山市清見町藤瀬)標高1142m

⛰️源氏岳を起点とすることは、三浦芳聖師が解明した「後小松天皇の串呂」に源氏の次男を示す⛰️源次郎岳が配置されてたことからヒントを得ました!

💠三浦芳聖師は、足利義満の子息について下記のように洞察していました。下記の人物の串呂も研究したいと志願しています。
長男…貞成親王
次男…後小松天皇(源次郎)

⛰️源氏岳(岐阜県高山市清見町藤瀬/国土地理院地図)


⭕至点
…後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)
既述につき省略。

🔶串呂概観 ―― 本名は源氏だった
この串呂を概観したところ、JR本名駅(ほんなえき/福島県大沼郡金山町本名居村)を貫通した。後花園天皇の本名は源氏(足利氏)であるぞ!という神風串呂です。

南西から
⭕⛩️後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)
第102代天皇
      ⬇️
⭕⛰️源氏岳(岐阜県高山市清見町藤瀬)
源氏(ここでは足利氏)
      ⬇️
❇️JR本名駅(ほんなえき/福島県大沼郡金山町本名居村)
本当の名前

⛰️源氏岳 → 後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map)
⛰️源氏岳 → 後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺192.3万分の1)

この的確なる結果に勢いを得て、さらに調査をすすめたところ、下記の主要地文が配置されていました。

主要地文一覧
南西から
❇️卍清源寺(せいげんじ/京都府南丹市八木町諸畑大谷口)
清和源氏
      ⬇️
⭕⛩️後花園天皇陵(京都府京都市右京区京北井戸町)
第102代天皇
      ⬇️
⭕⛰️源氏岳(げんじだけ/岐阜県高山市清見町藤瀬)
源氏(ここでは足利氏)
      ⬇️
❇️JR本名駅(ほんなえき/福島県大沼郡金山町本名居村)
本当の名前
      ⬇️
❇️宮城蔵王キツネ村(みやぎざおう/宮城県白石市福岡八宮川原子)
蔵王 二串 -🔴-🔴-
キツネ=誑かす(欺罔)。王権の秘密をかくす。
      ⬇️
❇️蔵王町(ざおうちょう/宮城県刈田郡)
蔵王 二串 -🔴-🔴-
王権の秘密をかくす。

⛰️源氏岳 → 後花園天皇陵の神風串呂(Google.Map/縮尺384.6万分の1)

解説
後花園天皇の“本名”は清和源氏(卍清源寺)である。 その王統の秘密は足利将軍の権勢の下でかくされ、偽装(キツネ村)されてきた。

本名というユニークな地文が、この串呂の主要地文として解明されるのを、今か今かと待っていてくれたかと思うと、感慨深いものがある。

この串呂を理解する上の状況証拠として、明治維新の時に、公家の岩倉具視の手引きで伊藤博文を首班とする長州の忍者部隊が孝明天皇を殺害した事件を挙げることが出来る。(鹿島曻『裏切られた三人の天皇―明治維新の謎 (増補版)』新国民社)

公家の間では、後花園天皇以降の皇統が偽朝であるという認識があったからこそ、岩倉具視は天皇殺害の手引きが出来たのだろう。

💞結語

⛩️内宮…二王、上弓削町、たぬき村、新堂
◎足利市役所…下武士、大芝高原、下弓削町、天狗三串 -🔴-🔴-🔴- 
⛰️源氏岳…卍清源寺、本名駅、宮城蔵王キツネ村、蔵王町

実証、論証、傍証の三本の神風串呂によって、後花園天皇は、この世に在ってはならない「二王」であり、「武士」であり、「源氏が本名」であり、皇統を簒奪した逆賊らによって擁立された天皇であるとの調査結果である。

歴史とは、常に一つの物語では語り尽くせない。 文献が語る歴史があれば、地名が語る歴史もある。 そして、地勢や地文が静かに伝える“もう一つの歴史”も確かに存在する。

本稿で示した地文は、断定でも糾弾でもなく、 ただ“そこにあるもの”をそのまま見つめた結果である。

もし読者の皆さまが、 「歴史にはまだ語られていない側面がある」 と感じてくださったなら、それだけで本稿の目的は果たされたと言える。

歴史は、私たちが多角的に読むことで、はじめて豊かになる。 本稿が、読者の皆さまの思索の一助となれば幸いである。

❤️次号に続く


💞後花園天皇とは――旧宮家の皇統とは何を継いでいるのか。

序章:問題提起――後花園天皇とは誰であったのか。そして旧宮家の皇統とは何を継いでいるのか。

日本の皇統は長らく 「万世一系」 と語られてきた。 しかし、一次史料を丹念に読み解くと、室町期に皇統そのものが揺らぎ、“断絶”という語が公家の日記に繰り返し現れる時代 が確かに存在する。

正長元年(1428)、『看聞日記』は

「御子孫断絶、不思儀の事なり」 と記し、 『建内記』は 「後光厳院流御一流、たちまちにして断絶」 と断じ、 『椿葉記』では貞成親王自身が 「我一流の絶えたる跡を興した」 と述べている。

さらに『伏見宮家文書』には、

「天照大神以来の一流の御正統、既に以て失墜す」 という、皇統そのものの断絶を示唆する最も強い文言が残る。

これら複数の一次史料は、 「皇統は一度、確かに断絶した」 という当時の共通認識を示している。

では、その断絶ののちに即位した 後花園天皇とは何者なのか。 そして、後花園天皇の父 貞成親王を祖とする 旧宮家の皇統とは何を継承しているのか。

本稿は、

🔶一次史料
🔶纂輯御系図
🔶室町幕府の政治構造
🔶串呂哲学(地文学)

これらを総合し、 後花園天皇の正体と、“断絶後に成立した新皇統”の実像 を明らかにする。

💞第1章:一次史料が語る皇統断絶――“断絶”は同時代の共通認識だった

  • 『看聞日記』 「たちまちにして御子孫断絶、不思儀の事なり」 → 北朝嫡流(後光厳院流)が断絶したという認識。

  • 『建内記』 「後光厳院流御一流、たちまちにして断絶」 → 複数の公家日記が同じ認識を共有。

  • 『伏見宮家文書』 「天照大神以来の一流の御正統、既に以て失墜す」 → 皇統そのものの断絶を示す最強の文言。

小結
一次史料は、 北朝の皇統が断絶していた という事実を示す。 後花園天皇の即位は、 “断絶後の新皇統の開始” と解釈できる。

💞第2章:纂輯御系図の系譜操作――明治国家は何を隠したのか

明治10年刊『纂輯御系図』は、 皇統の正統性を国家が制度化するために作られた “政治的系図” である。

その中で、貞成親王の母・西御方の父が 「不詳」 とされている。 しかし他史料では、 西御方の父=権中納言・三条実治 と明記されている。

つまり「父不詳」は情報不足ではなく、 既知の情報を“消した”痕跡 である。

🔴なぜ「不詳」としたのか

三つの仮説がある。

🔶編集上の混乱(弱い)
🔶明治国家の政治的配慮(中程度)
🔶実父隠蔽=足利義満説(最も整合的)

もし貞成親王の実父が足利義満であれば、 現皇室・旧宮家は 「足利将軍家の血」 を引くことになる。 明治国家はこれを避けたかった。

小結
『纂輯御系図』の「父不詳」は、 “書けない父”がいたことを示す沈黙の証言 である。

💞第3章:足利義満と伏見宮家の接点――“足利天皇”成立の政治条件はすべて揃っていた

🔶義満の絶対権力 親王宣下・皇太子決定・猶子縁組・公家人事を掌握。
🔶伏見宮家の空白 北朝嫡流も伏見宮流も断絶 → 血統を送り込む“器”として最適。
🔶貞成親王の異常な昇格 冷遇から突然の皇統中心へ → 足利将軍の政治力なしには説明不能。
🔶西御方と義満の接点 宮廷に出入りする三条家の娘であり、接触可能。

小結
政治的・歴史的条件を総合すると、 「貞成親王=足利義満の子」仮説は極めて整合的 である。

💞第4章:旧宮家の皇統とは何か――足利統の男系子孫として

旧宮家(伏見宮系)は、昭和22年(1947年)の皇籍離脱まで 「皇統の予備」 として存在してきた。

しかし、その皇統が どこから来たのか を問う研究は、 長らくタブー視されてきた。

一次史料・政治史・系譜学・地文学を総合すると、 後花園天皇は 足利義満の男系孫=“足利天皇” である。

したがって旧宮家とは、 足利将軍家の男系子孫=北山王権の継承者 である。

💞第5章:串呂哲学と地文学(神風クシロ)
――本稿の冒頭部分で詳述した!


🟡読者の皆様に!
【神風串呂】は、皇祖神・天照大御神が日本民族に授けられた、目に見える啓示であり、二千年の時を超えて今、私たちの前に顕れた「神の言葉」です。

このページに辿り着かれた貴方様とのご縁に、心より感謝申し上げます。 本記事は、天照大御神の御神意を体現し、地上に遣わされた神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が創始された「串呂哲学(神風串呂)」の真髄をお伝えするものです。

『神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言』が明かすように、我が国が「天皇を日本国および日本国民統合の象徴と仰ぐ王政」を未来に継承したいと願うならば、皇祖神の御神意に添い奉る道を選ばねばなりません。 さもなくば、我々はこのまま異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳と特性を失い続ける危機に直面し続けるでしょう。

神風串呂には、日本民族が進むべき道が明確に示されています。今こそ、真実に目覚め、御神意に立ち返る時です。 この情報を一人でも多くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し上げます。

なぜ天照大御神は、長きにわたり神風串呂を構築し、神皇正統家を顕彰されるのか? この問いに真摯に向き合い、串呂哲学の核心を学ぶことで、我々が今なすべき第一義が明らかになります。 そこにこそ、日本民族の再生と未来が懸かっているのです。

神風串呂、そしてそこに示された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千年の歳月をかけて神風串呂を築かれた天照大御神の御心と、命を賭してその真理を解き明かされた三浦芳聖師のご労苦が、今こそ日本国と国民の幸せの礎となることを、心より願ってやみません。

🟡祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします。

🟡神風串呂を学びましょう!

🟡バックナンバー(総合)


出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ75才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

著 書
神風串呂入門
ここまで解った元伊勢伝承
開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
神性敬遠の二千年史-皇祖神からの伝言
天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編
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