二つ名をつける部長
うちの営業部には、妙な文化がある。
何人かの社員が、二つ名で呼ばれている。
最初に耳に入ったのは、
「取り扱い注意」
だった。
山田は、とにかく繊細だった。
細かいことが気になる。
ちょっとした言葉を気にする。
予定外のことが起きると、一度頭の中を整理しないと動けない。
資料の数字が一つずれているだけで、最初から確認し直す。
周囲も、少し気をつかっていた。
だから、
「取り扱い注意」
と部長に呼ばれているのを聞いたとき、誰も理由を聞かなかった。
部長、流石にひどいなと思った。
ところが、しばらくすると、
山田には、なぜか重要な仕事が集まるようになった。
役員会に出す資料。
公開前の数字。
重要顧客との契約書。
ある日、部長が言った。
「この書類、かなり重要だから」
「はい」
「“取り扱い注意”で」
「分かりました」
山田が書類を受け取った。
誰も笑わなかった。
いつの間にか営業部では、
それが普通の会話になっていた。
取り扱いに注意が必要だったはずの男に、
取り扱い注意のものが集まっていた。
二人目は、
「壊れかけのレディオ」
だった。
初めて聞いたときは、流石に吹き出した。
佐々木は営業なのに、
会話のテンポが悪かった。
客が話す。
少し間が空く。
「……なるほど」
また客が話す。
考える。
「……そういうことですか」
気の利いた返しが、
すぐに出てこない。
説明もたどたどしい。
そんな佐々木の二つ名が、
壊れかけのレディオ。
周囲は、
音がまともに出ない壊れたラジオ。
そのくらいの意味だと思っていた。
また部長か。
流石にひどいなと思った。
ところが、
佐々木が少しあとに営業支援業務に移ってから、
妙なことが起きた。
営業たちが、
商談のあと佐々木に話を聞きに行くようになった。
「佐々木、今日の客どう思った?」
「あの人、何か気にしてなかった?」
顧客からも、
なぜか相談が増えた。
「佐々木さんにも、一度聞いてほしい」
売る側から少し離れた途端、
佐々木への信頼感は、
むしろ大きくなっていった。
壊れかけているはずなのに。
三人目は、
西郷秀之だった。
彼の二つ名は、
「ひでき⭐️さいじょー」
最初に聞いたとき、
私は思った。
もう二つ名ですらない。
しかも、
星までついている。
西郷は、
異常にピュアだった。
客から、
「この機能、御社が一番ですか?」
と聞かれる。
普通なら、
少しくらい濁す。
西郷は違う。
「その機能だけなら、A社さんのほうが上だと思います」
同行していた営業が固まる。
別の商談。
「この納期、絶対間に合います?」
「絶対は言えないです。今の状況なら八割くらいです」
また別の商談。
「御社にお願いするメリットあります?」
「今の条件なら、あまりないかもしれません」
帰社後、
先輩が頭を抱えた。
「お前、営業だよな?」
「はい」
「もうちょっと言い方あるだろ」
「嘘つくんですか?」
「嘘つけとは言ってない」
「じゃあ、素直に言うしかなくないですか」
話が進まない。
ひでき⭐️さいじょー。
西郷秀之だから、
その程度の理由でつけられたのだろう。
そう思っていた。
ところが、
一度失注した顧客から、
半年後に西郷へ直接電話が来た。
「西郷さんに相談したい」
別の顧客からも。
「西郷さん、ちょっと聞いていい?」
いつの間にか、
西郷を名指しする顧客が増えていた。
そして相談を受けると、
西郷はやたら動いた。
社内を走る。
技術に聞く。
納期を確認する。
代替案を探す。
客に戻る。
また走る。
誰かが言った。
「あいつ、今日ずっと走ってんな」
部長は、
妙に満足そうに頷いた。
「そうだろ」
私は、
よく分からなかった。
取り扱い注意。
壊れかけのレディオ。
ひでき⭐️さいじょー。
どれも最初は、
本人をからかったような名前にしか聞こえなかった。
なのに、
なぜか時間が経つほど、
本人は楽しそうに業務に打ち込むようになる。
何が起きているのか、
全く分からなかった。
ある日、
部長との面談を終えた新人が、
妙に嬉しそうな顔で戻ってきた。
「決まりました」
「何が?」
「二つ名です」
「今度は何てつけられたの?」
「つけられてないですよ」
「え?」
「自分で決めました」
私は部長を見た。
部長は、
知らん顔でパソコンを見ていた。
……
あとで聞いてみた。
「部長がつけてるんじゃないんですか?」
「なんで俺が人の二つ名つけるんだよ。このコンプライアンス全盛の時代に」
「いや、そういう人なのかと」
「どういう人だよ」
違った。
二つ名をつけたのは、
本人たちだった。
面談ではまず、
自分の弱みを、
かなりしっかり見つめ直すらしい。
山田もそうだった。
「自分、神経質なんです」
「どういうところが?」
「細かいことが気になるし、急な変更にも弱いです。ちょっとしたことも気になって」
「直したい?」
「できれば」
部長は聞いた。
「全部?」
山田は少し黙った。
「……全部ではないです」
「何を残したい?」
「ちゃんと確認するところとか。慎重なところは」
「…だよな。じゃあ、その性格が一番いい方向に出たら?」
山田は考えた。
細かい。
気にしすぎる。
慎重すぎる。
それが全部、
役に立つとしたら。
「……大事なものを、任せてもらえる人ですかね」
「そうだな」
「絶対に雑には扱わないので」
「その自分を、一言で言うなら?」
山田は少し考えた。
そして笑った。
「……取り扱い注意、、、!」
部長は、
その名前に近づく仕事を、
少しずつ山田に渡した。
だから、
いつの間にか山田には、
重要な仕事が集まるようになっていた。
取り扱い注意。
最初は、
彼の取り扱いに注意しろ、
という意味にしか聞こえなかった。
今は違う。
「この書類、かなり重要だから」
「はい」
「“取り扱い注意”で」
その意味を、
私はようやく理解した。
佐々木も、
自分の弱みをよく分かっていた。
「営業なのに、うまく喋れないんです」
「喋れない?」
「聞かれたことを、その場ですぐ言葉にできなくて。考えちゃうんです」
「それ、本当に全部を変えたいのか?」
佐々木は考えた。
「……考えるところは、なくしたくないです」
「人の話を聞くのは?」
「好きです」
「ちゃんと聞けてる?」
「たぶん」
「いや、お前はちゃんと聞けている。壊れてるのはどこだ?」
佐々木は、
少し考えた。
「……出力ですかね」
「アンテナは?」
「たぶん、感度いいです」
「間違いなく、バリ3だ」
二人とも少し黙った。
佐々木が言った。
「……壊れかけのレディオ」
部長は笑った。
周囲は、
音がまともに出ない壊れたラジオだと思っていた。
それは、
半分だけ正しかった。
出力系統は、
確かに少し怪しかった。
というより、DJが不在だったのかも知れない。
でも、
アンテナの感度は抜群だった。
よく聞く。
よく見る。
よく考える。
だから部長は、
佐々木を営業支援に回した。
うまく話せなくても、
聞くことが強力な武器になる場所へ。
そこで、
壊れかけのレディオは華開いた。
直ったわけではない。
華開いたあとも、
壊れかけのレディオだった。
そして、
西郷。
面談でも、
やっぱり素直だった。
「自分、営業に向いてないと思います」
「なんで?」
「言わなくていいことまで言っちゃうので」
「嘘がつけるようになりたい?」
「嫌です」
即答だった。
「お前らしい回答だな。その正直さが一番いい方向に出たら?」
西郷は考えた。
「……信頼される、とかですかね」
「営業に一番必要な要素だな。信頼されたら?」
「相談される」
「相談されたら?」
「動きます」
「どのくらい?」
「走ります」
部長は笑った。
西郷も、
少し笑った。
「じゃあ……」
しばらく考えてから言った。
「ひでき⭐️さいじょー で」
「星は?」
「いります」
そこだけは、
なぜか二人とも真剣だった。
正直すぎて売れない男は、
正直だから相談される男になった。
そして、
相談されたら走った。
そこでようやく、
あの二つ名の意味が分かった。
……
なるほど、ひでき⭐️さいじょー だ。
……星の意味だけは、
最後まで分からなかった。
神経質な山田は、
今も神経質だった。
佐々木は、
今もたどたどしい。
西郷は、
今日も余計なことまで正直だった。
誰も、
別人にはなっていなかった。
ただ、
自分の弱みが、
一番いい仕事をする場所を見つけていた。
ある日、
私はふと思って聞いた。
「部長」
「ん?」
「部長にも、二つ名ってあるんですか?」
部長の手が止まった。
「……あるよ」
「あるんだ」
「昔な」
「なんです?」
部長は、
少し嫌そうな顔をした。
「何でも鑑定団」
「……団?」
「俺、一人なんだけどな」
「そこですか」
若いころの部長は、
何でもよく見てしまう自分が嫌いだったらしい。
仕事の粗。
人の癖。
ちょっとした違和感。
良いところも、
悪いところも。
何でも目につく。
人の欠点まで、
よく見えた。
でも、
長く人を見ているうちに、
少しずつ分かってきた。
よく見えるということは、
傷だけが見えるということではない。
欠けも見る。
歪みも見る。
真贋も見る。
それでも、
どんなものにも、
何かしらの価値を見つける。
人間も、
例外ではなかった。
取り扱い注意には、
今日も重要な書類が回ってくる。
壊れかけのレディオのところには、
今日も誰かが相談に来ている。
ひでき⭐️さいじょー は、
今日もどこかを走っている。
部長は、
そんな営業部をぐるりと見渡した。
そして、
満足そうに言った。
「みんな、今日もいい仕事してますねぇ」
中島部長は、
そう言って笑った。
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