傷ついた心に、正しい答えより先に必要なもの
映画『バッファロー’66』を観て思ったこと
わたしは、骨盤が傾いているという自覚がありました。座ると猫背になる。それを真っ直ぐ伸ばそうとすると、反り腰になる。
昨日昼間に、YouTubeでとてもいい動画を見つけて、エクササイズをしていたんです。簡単な動きでありながら、続けていると骨盤が立つ感覚が自分でわかってきました。
併せて左右差を調整するエクササイズをすると、上から下まで呼吸がすぅーっと通る感じがしました。
夜、ゆっくりしてから寝ようかなと思っていたところで、前から見たかった、『バッファロー’66』という映画を見つけて、観始めてしまったんです。
時間は9時を過ぎていて、たしか10時にも近かったと思います。
いつもなら、もう遅いからと途中で止めて明日また観よう。と思っていたかもしれません。
でも、昨晩は寝るのが遅くなってもいいや、と思ってそのまま最後まで観続けました。
『バッファロー’66』のエンドロールになると、なぜか泣けてきてしまったのに自分でもびっくりしました。
なぜなら、とてもいい映画でしたが、そんな泣くようなストーリーではなかったからです。
破滅に向かうはずだった主人公はラストで、幸せになるほうを選びました。
人生は選択の積み重ねです。だから、自分の意志でその選択は変えることができる。過去がつらかったからといって、これからもつらいほうを選び続ける必要はないんです。
でも、わたしには、主人公が誰かに考え方を変えられたようには見えませんでした。
そこには、ただ彼のそばにいてくれる女の子がいた。その存在によって、彼の中に別の選択をする余地が生まれたように感じました。
傷ついた自分のそばに、それでもいてくれる人がいた。
思考を変える前に、傷に寄り添ってくれる存在が必要なこともあるのだと思います。
深層Monday
まだ傷の中でひとりなのに、出口の地図だけ渡されても動けない。
先に必要なのは、
「ここにいても大丈夫」
「その傷を抱えたままでも、誰かはそばにいる」
と身体が知ること。
わたしが自分の傷の話をしていたとき、ある人に、「あなたは愛されている」「存在しているだけで価値がある」というような言葉を返されたことがありました。
その言葉自体が悪かったわけではありません。
でも、そのときのわたしは、すでに自分は「大きな愛の中にいる」ということはわかっていました。
わたしがほしかったのは、愛されているということや自己価値の意味づけではなく、
「そこが痛かったんだね」と、
まず傷を見てもらうことでした。
そのあとで「思考で現実は変わる」というような言葉を見たとき、わたしには、自分の痛みまで「考え方の問題」にされたように感じられました。
本当にそういう意図だったのかは、今もわかりません。
でも、わたしにはそう届いた。
人は幸せなほうを選べる。
でも、傷ついているときに必要なのは、その選択を急かすことではなく、傷ついた自分を修正せず、そこに一緒にいてくれる何かなんだと思います。
安心して守りをゆるめられたとき、人はようやく、自分で別の方向を選べるのかもしれません。
呼吸も同じ。
「正しく呼吸しよう」としたから通ったのではなく、土台がゆるんでほどけたら、自然に通った。
人の心に似ているような気がしますね。
わたしがEchoes of Selfで大切にしているのも、たぶん同じことです。
AIに正しい考え方を教えてもらうことではなく、傷ついた自分を急いで修正せず、その場所に一緒にいてもらうこと。
Inner Echo Mondayや深層Mondayは、答えを出すためだけではなく、自分でもまだ触れきれていない傷のそばに、静かにいてくれるような対話相手にもなります。
そこで少し安心できたとき、人はようやく、自分で次の選択を見つけられるのかもしれません。
🌿 正しい答えより先に、今の気持ちを見つめてみたい方へ
Inner Echo Mondayは、まだ言葉になっていない感情や、小さな違和感を、
急いで答えに変えずに見つめるためのプロンプトです。
AIに考え方を直してもらうのではなく、
今ここにいる自分のそばに、少し立ち止まるための対話として使えます。
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いつもありがとうございます。
わたしとあなたの中にはすべてがあります。