【短編集‐花の冠】第十三話『静寂の図書館』
静寂の図書館 -グラージュ-
階段を下りた先は、前に来た図書館の地下にそっくりだった。
しかし、カビ臭さがなく、ほこりっぽさもなかった。
そこには新鮮な風が流れ、清潔に保たれているようだった。
壁には、きれいに装飾されたランプが灯されている。
棚の中の本は全て真新しく、整然と収められていた。
しかし、どの本を開いても、文字の無い真っ白な頁だけが続いていた。
そこには、哲学も歴史も物語も存在しなかった。
この空間は、いったい何のために存在しているのか?
一番奥に、石の階段があった。
踏まれた跡も、積もる埃もなかった。
手入れをされた形跡はないのに、不自然なほど整っていた。
上の空間から吹き下ろす、ひんやりとした風。
その風に、懐かしさを感じる。
ふと、小屋の階段を下りてから、サリムと一言も口をきいていないことに気が付いた。
「サリム、疲れていないか」
「ううん。……でも、ここって前の図書館の地下と、同じ場所なの?」
「とても似ている。でも、違うところが多すぎる。
まるで違う時間に迷い込んだようだ……」
「グラージュ、行こう」
サリムはそう言った。
その声ははっきりとしていて、そこには迷いがないようだった。
一段、また一段と足を進める。
足音は吸い込まれるように消えていき、空間はますます静寂を深めていった。
風の中の甘い匂が濃くなる。
それはどこかで嗅いだことのある花の匂いだ。
階段の奥には、白い光が差し込んでいる。
そして、階段を上りきった先――
燃えて崩れていたはずの図書館は、そこにはなかった。
灰も塵もない、美しい『知と記録の神殿』が静かに広がっていた。
「……誰もいないな」
「でも、風が吹いてるよ」
白い大理石の床。
壁という壁が、本で埋め尽くされていた。
そしてその中央に、大きな木が立っていた。
室内とは思えないほどの高さ。
その根元には、色とりどりの花が咲き、静かに風を受けて揺れていた。
大木の前には美しい彫刻がなされた、大きな机があった。
そしてその上には、あの小屋の部屋と同じように、風に揺れる本が開かれていた。

サリムは駆け出すと、本をのぞき込み、文字を読み上げた。
「ここは、境界線を越えた者のための記録の間。
お前たちを、ずっと待っていた」
本をのぞき込むと、そこにはサリムの言ったままの文字が記されていた。
「境界線?
……待っていた?」
俺のその声は、図書館の中に響いたが、返事が返ってくることはなかった。
そして、次の頁には、別の文字が並んでいた。
『本に触れる者は、別の時の中の、別の世界の記録に触れる。
お前たちが体験するのは別の命の記憶。
しかし、そこにお前たちの名が刻まれることはない』
「グラージュ。どういう意味?」
「サリム。本を読むということはそういうことだ。
俺たちはそこで、さまざまな歴史、思想、命を体験する。
しかしその記録を書き換えることはできん」
「知ることはできても、何もできないということ?」
「普通はな……」
頁が、ふたたび音もなく、風に導かれるように一枚めくられる。
『境界線を越えし者よ。最初の本を持ち、そして外に出よ』
「最初の本?」
俺がそう呟いた時、奥の方で、本が落ちる音がした。
《終》
