アシックス(オニツカタイガー)を生んだ“タコの吸盤”と男の執念#PR
1. 天才のひらめきは、常に「食卓」にある
以前の記事で、世界最大のブランド・ナイキの原点が、創業者が妻の「ワッフルメーカー(朝食)」にゴムを流し込んだ狂気のDIYにあったというエピソードを紹介した。 巨大なイノベーションというものは、最新鋭のラボではなく、日常のふとした瞬間に生まれるものだ。
そして我らが日本にも、ナイキのワッフルソールと双璧をなす「食卓から生まれた歴史的発明」が存在する。ナイキが朝食なら、日本は「夕食」だ。今回は、日本が世界に誇るスポーツブランド「アシックス(旧・オニツカタイガー)」を躍進させた、ある晩の「タコ料理」の物語を語ろう。(※スニーカー史において広く語り継がれる伝説的エピソードも含まれるが、その本質にあるモノづくりの執念を感じてほしい)
2. 1951年、バスケットボールシューズという難題
戦後間もない1949年、兵庫県神戸市で鬼塚喜八郎が「鬼塚商会(後のアシックス)」を創業した。 彼が最初に挑んだのは、スポーツシューズの中で最も開発が難しいとされていたバスケットボールシューズだった。

バスケットボールは、フローリングのコート上で「急発進と急停止」を絶え間なく繰り返す過酷な競技だ。当時の日本の技術で作られたズック靴では、どうしてもコートで滑ってしまい、選手のパフォーマンスを引き出すことができなかった。 「どうすれば、木の床にピタリと止まるグリップ力を生み出せるのか?」 鬼塚は来る日も来る日もソールの構造を考え続けたが、答えは一向に見つからなかった。

3. 食卓の「タコ」が、日本のスポーツ史を変えた
1951年の夏。鬼塚の目の前の食卓に、タコを使った料理(酢の物であったとよく語られる)が並んだ。 箸でタコの切り身をつまみ上げようとした鬼塚は、ある違和感に気づく。タコの吸盤が、小鉢の底にピタリと吸い付いてなかなか離れなかったのだ。
その瞬間、鬼塚の脳内に稲妻が走った。「これだ! ソールの裏をタコの吸盤の形にすれば、床に吸い付いて滑らないのではないか!」

彼はこの着想をもとに試作を重ね、ソールの裏に深々と「吸盤型のくぼみ」を配置した試作品を作り上げた。ナイキのワッフルソール誕生から遡ること約20年。日本の小さな靴工場で、生物の構造をプロダクトに落とし込むバイオミミクリー(生物模倣)の先駆的とも言える歴史的ソールが誕生した瞬間だった。
4. 「効きすぎるブレーキ」と、日本の職人魂
しかし、このウンチクにはギア好きの男たちをさらに熱狂させる「続き」がある。 吸盤ソールを搭載した試作品を実際の選手にテストして履かせたところ、なんと「急ブレーキが効きすぎて、つんのめってしまう選手が出た」など、実用には大きな課題が残る結果となったのだ。
タコの吸盤の吸引力が強すぎて、スポーツの妨げになってしまったのである。 そこから鬼塚は、吸盤の深さ、面積、配置をミリ単位で調整する気の遠くなるようなトライ&エラーを繰り返した。強すぎる吸引力を適度に逃がし、「しっかり止まり、スムーズに次の一歩が踏み出せる」という究極のバランス。その微調整の執念こそが、日本のモノづくり(エンジニアリング)の真骨頂である。
こうして完成した「吸盤ソール」のバスケットシューズは、オニツカタイガーの評価を大きく高めるきっかけとなったのだ。

5. その足裏に、日本の執念が張り付いている
アシックスやオニツカタイガーのスニーカー。もしあなたの下駄箱にあるなら、一度そのソールをひっくり返して見てほしい。(※現在も一部の復刻モデルやコート系シューズには、この吸盤由来の丸いパターンが意匠として残されている)
アメリカの巨人が「ワッフル」で大地を掴んだのなら、日本の巨人は「タコの吸盤」で床に吸い付いた。
何気ない夕食のおかずからヒントを得て、グリップが効きすぎるという失敗を乗り越え、ミリ単位でゴムの凹凸を削り出した日本の職人魂。40代の男が休日にアシックスを履くということは、単に履き心地の良いスニーカーを選ぶというだけではない。戦後の日本復興を支えた、泥臭くも偉大な「ひらめきと執念」を足裏に装備するということだ。
今夜、もし居酒屋でタコの刺身や酢の物を頼むことがあったなら。 ぜひこのウンチクをつまみに、極上の一杯を味わってほしい。
