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「失われた未来」から「失われた日本」へ――サブカルチャーとナショナリズムの奇妙な連続性

Hurray! Hurray!
日本晴れ 列島 草いきれ あっぱれ
Cheers! Cheers!
いざ出陣 我ら 時代の風雲児


椎名林檎の『NIPPON』から、もう12年が経った(2026年6月21日現在)。

ワールドカップが始まれば人々は熱狂し、街には一体感が生まれる。このご時世にサッカーどころではないだろうと思わなくもないが、そういうものなのだろう。佐野海舟をめぐる批判もSNSでは散見されるが、ここでは立ち入らない。

改めて思う。

ナショナリズムは強い。

共通の旗の下で団結し、共通の敵を打ち倒す。その快感は圧倒的であり、他の多くの理念では代替しがたいカタルシスをもたらす。

そして近年のサブカルチャーを見ていると、どうしても気になることがある。

「失われた未来」を悼む文化は、いつしか「失われた日本」を取り戻そうとする文化へ変わった。

もちろん、それは突然起きたことではない。

むしろ長い時間をかけて進行してきた変化である。

私はその変化を、「メタ」から「ネタ」へ、そして「ベタ」への転化として捉えている。

シティ・ポップのブームもさすがに最盛期は過ぎたようだが、あれは日本ではひどく誤解されたムーヴメントだったと思う。

もともと海外におけるシティ・ポップ再発見は、ヴェイパーウェイヴの延長線上にあった。そこでは80年代から90年代のJ-POPは「大量生産された消費文化の残骸」として発見されたのであり、その魅力は、どこか色褪せた広告写真のようなセピア色の哀愁にあった。

ところが、その文脈はいつしか失われる。

アイロニーや距離感は消え去り、シティ・ポップは「マジ」に、「ベタ」に評価されるようになった。

同じことは渋谷系にも言える。

そもそも渋谷系とは何だったのか。

フリッパーズ・ギターがほとんど引用と剽窃によって音楽を構築したように、コーネリアスの『ファンタズマ』がジーザス&メリーチェインやビーチ・ボーイズをはじめとする膨大なアーカイブへの参照によって成立していたように、あるいはピチカート・ファイヴ/小西康陽が60年代以前のカルチャーを絶えず掘り返していたように、渋谷系とは本質的に「取り戻せない過去」を愛する文化だった。

そこには常にリグレットがあった。

後にマーク・フィッシャーが「失われた未来」と呼ぶことになる感覚にも通じるが、渋谷系の根底には、到来しなかった未来への感傷が流れていたのである。

消費文化の儚さは、ピチカート・ファイヴ『東京は夜の7時』(1993)における「待ち合わせたレストランはもう潰れてなかった」という都市のノスタルジアから、SPANK HAPPY『ジャンニ・ヴェルサーチ暗殺』(2002)の「この退屈な国にはもうお金がないわ」という一節へと受け継がれていく。

「失われた30年」と、この種の寂しさはどこかでシンクロしていた。

だからこそ、当時のサブカルチャーにおいて日本的意匠は、それ自体が価値だったのではない。

それはあくまで「ネタ」、すなわち過去の消費文化の断片として扱われていたのである。

しかし、その「ネタ」はやがて「ベタ」へと転化する。

日本をネタとして消費していたはずの文化は、いつしか日本を本気で称揚する文化へと変質していった。

その変化を理解するためには、さらに古いアングラ文化の系譜まで遡る必要がある。

旭日旗、軍服、学生服、白塗り、サーカスや見世物小屋といった意匠は、60〜70年代のアングラ文化にまで遡ることができる。

演劇では寺山修司の天井桟敷や麿赤兒の大駱駝艦、美術では横尾忠則、漫画では『ガロ』周辺の丸尾末広や花輪和一、さらには後のビジュアル系や東京グランギニョル周辺の演劇文化へと連なる系譜である。

同時代には耽美派雑誌『ジュネ』が絶大な人気を誇り、BL文化とビジュアル系双方の源流の一つとなった。そこでは澁澤龍彦やジョルジュ・バタイユの影響を受けた耽美・頽廃・倒錯の美学が好まれ、戦前日本や帝都モダニズム、軍服、傷痍軍人、見世物小屋、サーカス、活動写真館といったモチーフもまた、引用可能なイメージのアーカイブとして消費されていた。

また、80年代のサブカルチャーには「日本回帰」とでも呼ぶべき独特の傾向が存在した。もちろんそれは現在のナショナリズムとは異なる。むしろ近代日本や戦前文化を、一種の異国趣味として眺める視線だった。

戸川純・上野耕路・太田螢一によるゲルニカはその代表例である。『改造への躍動』『電離層からの眼差し』といった作品群では、軍歌、流行歌、レビュー音楽、博覧会文化、モダニズム建築、総力戦体制下のプロパガンダ美術などが大胆にコラージュされ、架空の「昭和モダン」が構築された。

YMOですら例外ではない。『増殖』や『テクノデリック』には戦前のラジオ放送や大衆文化、アジア趣味を思わせる引用が散見されるし、細野晴臣は『泰安洋行』で「架空のアジア」を主題化した。プラスチックスやヒカシューなど当時のニューウェイヴ勢にも、日本的あるいは東洋的な記号を意識的にずらして用いる感覚が共有されていた。

しかし重要なのは、それらが必ずしも政治的信念を意味していたわけではないということである。彼らが惹かれていたのは実在した戦前日本ではなく、すでに失われてしまったイメージとしての日本だった。言い換えれば、それもまた後年の渋谷系やシティ・ポップ再評価と同じく、「取り戻せない過去」を愛玩する文化だったのである。

こうした感覚は、やがて90年代の露悪趣味や猟奇趣味とも結びついていく。戦前日本、見世物小屋、身体の異形、障害、狂気、猟奇事件といったモチーフは、歴史的対象というよりも「社会の周縁」を象徴する記号として再利用されるようになった。寺山修司や東京グランギニョル、丸尾末広らに見られる見世物小屋的な美学や異形への関心は、その後のノイズ/インダストリアル周辺にも流れ込んでいく。

このノリは魔ゼルな規犬や廃いゆー子のような2000年代のノイズ/スカム文化にも一部影響を与えた。もちろんメルツバウもその筆頭である。

当時の若者文化では旭日旗や軍服は、海外のパンクがナチスの記号を利用したのと同じく、アイロニーや意識的な倒錯の文脈で消費されていた。

しかし、それは必ずしも政治的批評性を意味していたわけではない。

例えば反戦や反核ですら、一種のトレンドとし て消費されていた側面がある。

言ってしまえば、ユースカルチャーとは昔からかなりの部分が、良くも悪くも雰囲気によって成立していた脆弱なものである。

だから政治状況が変われば、シーン全体のムードも変わる。

これはアメリカのロック史にも似た現象を見ることができる。

1990年代初頭のグランジやオルタナティブ・ロックは、少なくとも表面的には反商業主義や反権威主義を掲げていた。しかし90年代後半になると、その反体制性そのものが巨大な市場に回収されていく。

ポスト・グランジはグランジの音楽的フォーマットを引き継ぎながらも、その怒りやアイロニーを薄め、より大衆的で無害な商品へと変えていった。

かつて「オルタナティブ」だったものが、いつの間にかメインストリームになってしまったのである。

日本のサブカルチャーが辿った軌跡も、どこかそれに似ている。

かつては引用やパロディ、アイロニーによって成立していた文化が、やがてその距離感を失い、自らが参照していた記号を文字通り肯定するようになる。

1990年代後半には、すでにその兆候が現れていた。

1998年、椎名林檎は「新宿系自作自演屋」を名乗ってデビューする。歌舞伎町やゴールデン街に象徴されるアングラ文化の系譜を前面に押し出した存在だったが、その時代はすでに「新しい歴史教科書をつくる会」発足の二年後でもあった。

同じ1998年には、後に反貧困運動で知られる雨宮処凛が、ネオナチ団体「民族の意志同盟」に所属しながらパンク・バンド「維新赤誠塾」を結成し、「ミニスカ右翼」として注目を集める。本人によれば、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』の影響も大きかったという。

翌1999年には鳥肌実が戦前右翼を模した芸風で脚光を浴びる。

サブカルチャーの「右翼ごっこ」は、次第に「ごっこ」ではなくなっていった。

さらに2000年前後には『ガロ』を生んだ青林堂が変質し、丸尾末広や花輪和一らを支えた編集者たちは青林工藝舎へ移る。

かつてアングラ文化の中心だった媒体や出版社の周辺でも、空気は確実に変わり始めていた。

そして2000年代以降、その変化は国家によって制度化されていく。

後に「クールジャパン」と呼ばれる現象は、ある意味で渋谷系からアイロニーや屈折を取り除いたものだった。

もちろん政策としてのクールジャパンと文化的ムーヴメントとしてのそれは区別すべきだが、両者は決して無関係ではない。

それを象徴する作品の一つがDAOKOの『ShibuyaK』だろう。

歌詞には渋谷系的な寂寥感が残されている。しかしサウンドはもはや懐古とは無縁のエレクトロニック・ミュージックであり、そこにあるのは過去の参照というよりも現在進行形のポップネスである。

クールジャパン政策は当初、日本文化の海外発信を掲げて始まった。しかし実際には吉本興業への巨額出資や株主企業への資金還流などが批判され、その実効性を疑問視する声も少なくなかった。奈良美智が「なぜ自分のところには話が来ないのか」と皮肉を述べたことは象徴的である。

しかし政策の成否とは別に、「日本的なるもの」を積極的に演出し輸出するという発想そのものは、むしろ近年さらに強化されている。

漫画・アニメ・ゲームは国家戦略として位置づけられ、コンテンツ産業の海外展開は成長戦略の柱となった。

そこではもはや「日本」は引用やパロディの対象ではなく、保護され輸出されるブランドとして扱われる。

興味深いのは、この頃になると「日本的なるもの」の中身そのものが曖昧になっていることである。

椎名林檎をめぐる論争も、本質的にはそこにあった。

『NIPPON』に対する批判は単なる愛国ソング批判ではない。

「この地球上で/いちばん/混じり気の無い我らの炎」という歌詞がしばしば取り上げられたのは、それが「日本的なるもの」の曖昧な観念と接続していたからだ。その中身がどれほど曖昧であったとしても、「また不意に接近している/淡い死の匂いで/この瞬間がなお一層/鮮明に映えている/刻み込んでいる/あの世へ持って行くさ/至上の人生/至上の絶景」という箇所まで視野に入れるなら、そこに戦時下の自己犠牲の美学や神風特攻隊を想起するような感覚を読み取ることも十分可能だろう。

同様の問題は、YOSAKOIソーランの衣装演出や、RADWIMPS『HINOMARU』をめぐる議論にも見られる。

近代=西洋=物質文明に対して、日本=精神性=心を置くという構図は、「日本的なるもの」を語る言説の中で繰り返し現れてきた。

椎名林檎自身についても、「選び取れるのは記号だけ」という批判がかつて向けられたように、日本的意匠の引用はしばしば歴史的文脈を離れ、純粋な記号操作として機能してきた。

そしてその頃には、サブカルチャーにおける「日本」もまた、かつてのような引用対象ではなくなっていた。

イスラエル建国70周年記念企画では、原宿ファッションと着物を融合した衣装に日の丸があしらわれた。海外向けに発信されるアニメや漫画は国家ブランドとして語られる。政治家は「これが日本じゃ」と胸を張ることを求める(※小野田紀美クールジャパン戦略担当大臣がニコニコ超会議にて、「なに創っても海外に出して燃えてもコンテンツは守り抜く姿勢を見せること。海外から攻撃を受けた時に『やかましいこれが日本じゃ』と国として毅然と対応するから好きにやってと腹の括りが必要」と述べている)。

そこでは日本はもはや「ネタ」ではない。

「ベタ」である。

もちろん、それが良いことなのか悪いことなのかは別問題だろう。

ただ一つ確かなのは、かつて「失われた未来」を悼んでいたサブカルチャーが、今や「失われた日本」を探し求める文化へと変貌したということである。

渋谷系が参照した60年代。ヴェイパーウェイヴが発見した80年代。アングラ文化が憧れた戦前。そしてマーク・フィッシャーが語った「失われた未来」。

それらはすべて、手の届かない過去や到来しなかった未来への感傷だった。

しかし、その感傷はいつしか別の方向へ向かい始める。

取り戻せない未来へのノスタルジーは、取り戻すべき日本へのノスタルジーへ。

シティ・ポップも、渋谷系も、クールジャパンも、そしてナショナリズムも。

それらは決して無関係な現象ではない。

すべては、「メタ」が「ネタ」になり、「ネタ」が「ベタ」へ変わっていく過程の中で起きた出来事なのである。

では、なぜ「失われた未来」は「失われた日本」へと転化したのだろうか。
一つには、未来そのものが想像しにくくなったからだと思う。
高度経済成長期には、未来は現在より豊かであることが半ば自明だった。冷戦終結後もしばらくは、情報化やグローバル化が新しい可能性を切り開くという楽観が存在していた。
しかし1990年代以降、日本は長い停滞に入る。
それは単に経済の問題ではない。
「今とは違う未来」を思い描く能力そのものが、徐々に失われていったのである。
マーク・フィッシャーが「失われた未来」と呼んだのも、まさにその感覚だった。

未来は来なくなった。
代わりに現れたのは、過去の反復である。
新しいものを創造する代わりに、人々は過去のアーカイブを掘り返し始める。
シティ・ポップもそうだった。
渋谷系もそうだった。
アングラ文化の再評価もそうだった。
そしてインターネットは、その傾向をさらに加速させた。
かつてサブカルチャーは地域やライブハウスやミニコミ誌によって支えられていた。
ところがプラットフォームの時代になると、文化は巨大なデータベースとして管理されるようになる。
Spotifyの推薦アルゴリズムも、YouTubeの関連動画も、TikTokのレコメンドも、基本的には過去の蓄積から似たものを探し出してくる仕組みである。
人々は未来へ向かうのではなく、無限にアーカイブ化された過去の中を漂流するようになる。
そのとき、「日本」もまた巨大なアーカイブの一部となった。
戦前も、高度成長期も、昭和レトロも、渋谷系も、アニメも、着物も、旭日旗も、すべて同じ棚に並べられた文化資源として再利用される。
そして再利用が繰り返されるうちに、本来そこにあったアイロニーや距離感は失われていく。
引用は伝統へ変わる。
パロディは様式へ変わる。
「ネタ」は「ベタ」へ変わる。
かつてサブカルチャーは、「ここではないどこか」を夢見るための文化だった。
しかし未来が閉ざされた時代において、人々が向かう先は過去しかない。
そして過去へのノスタルジーが極まったとき、その対象は単なる文化や風俗ではなく、「日本」そのものになる。
「失われた未来」を悼む文化は、いつしか「失われた日本」を取り戻そうとする文化へ変わった。
それは右傾化という言葉だけでは説明しきれない。
むしろ未来を失った社会が、過去の記号の中に拠り所を求めた結果なのかもしれない。
だから問題はナショナリズムそのものではない。
より根本的な問いは、私たちは再び未来を想像できるのか、ということなのである。


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