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病気や障害とともに生きるということ

人生が音を立てて崩れ落ちる瞬間がある――私にとってそれは、視力を失った時ではなく、看護師の仕事を失った時でした。

病気によって視力を失ったことよりも、

大好きだった仕事を失ったことの方が、

ずっと苦しかった。

当時の私は、

自分が何者なのか分からなくなっていました。

朝起きても行く場所がない。

会う人もいない。

役割もない。

これまで積み上げてきた人生が、

音を立てて崩れていくような感覚でした。

よく、

病気や障害を受け入れる、

という言葉を耳にします。

でも私は今でも、

その言葉の意味がよく分かりません。

病気になってよかったとは思えない。

見えなくなってよかったとも思えない。

それでも私は、

病気や障害とともに生きています。

今日は、そんな私自身の経験を通して、

「病気や障害とともに生きるということ」

について書いてみたいと思います。

🩺 看護師という人生

私は以前、小児科の看護師として働いていました。

小児科という場所には、

病気や障害と向き合いながら生きる子どもたちがいます。

毎日のように治療を受けながら、

痛いことも、

苦しいことも、

悔しいことも経験しながら、

それでも懸命に命を輝かせて生きている子どもたちです。

私はそんな子どもたちと過ごす時間が大好きでした。

治療がうまくいった時には一緒に喜び、

思うような結果が出なかった時には一緒に悔しがり、

先の見えない不安の中では一緒に悩み、

時には一緒に涙を流すこともありました。

でも、小児病棟にあるのは病気だけではありません。

誕生日をお祝いしたり、

季節の行事を楽しんだり、

何気ないことでみんなで笑ったり。

子どもたちは病気があっても、

子どもたちらしく毎日を生きていました。

私はそんな子どもたちの成長を一緒に喜びながら、

同じ時間を共に過ごせることが何より幸せでした。

今振り返ると、

小児病棟はひとつの大きな家族のような場所だったのかもしれません。

子どもたちがいて、

ご家族がいて、

医師や看護師がいて、

みんなで悩みながら、

笑いながら、

時には立ち止まりながらも、

同じ方向を向いて歩いていました。

その輪の中にいられること。

子どもたちやご家族と共に歩めること。

それが私にとって、かけがえのない時間でした。

どんなに忙しくても、

どんなにつらいことがあっても、

子どもたちのそばにいられる。

それが私の一番の幸せでした。

だから私は、

看護師という仕事が大好きでした。

看護師という仕事は、

私にとって単なる職業ではありませんでした。

生きがいであり、

誇りであり、

人生そのものだったように思います。

看護師として笑い、

看護師として悩み、

看護師として成長する。

そんな毎日を積み重ねる中で、

看護師という仕事は、

いつしか私のアイデンティティそのものになっていました。

もしあの頃、

「あなたは何者ですか」

と聞かれたら、

私は迷うことなく

「私は看護師です」

と答えていたと思います。

それくらい、

看護師であることは私のアイデンティティそのものでした。

だから当時の私は、

その大切なものを失う日が来るなんて、

想像もしていませんでした。

病気になったのは、

そんな毎日を送っていた頃でした。

👁️ 病気とともに生きる始まり


最初は、本当に些細な違和感でした。

夜勤中から右眼に少し痛みがありました。

でも、その頃の私は、

疲れているだけだろうと思っていました。

寝たら治る。

明日にはいつも通り仕事ができる。

そんなふうに考えていたのです。

ところが、目が覚めると状況は一変していました。

右眼は真っ赤に充血し、

涙も止まりません。

慌てて受診し、

そのまま大学病院へ紹介され、

入院することになりました。

まさか、この日から病気との長い付き合いが始まるなんて、

その時の私は思ってもいませんでした。

それからの日々は、

治療と再燃の繰り返しでした。

何とか視力を守りたい。

何とか元の生活に戻りたい。

何とかまた子どもたちのもとへ戻りたい。

そんな思いで治療を続けていました。

けれど、病気は少しずつ右眼の視力を奪っていきました。

最後の頃になると、

朝目を覚ますたびに確かめるようになっていました。

光は感じられるだろうか。

手の動きは見えるだろうか。

それが、その日の最初の確認でした。

そしてある日。

電気をつけても何も変わりませんでした。

カーテンを開けても何も変わりませんでした。

右眼の前には、

ただ真っ暗な世界だけが広がっていました。

ついにこの日が来てしまった。

とうとう本当に見えなくなってしまったんだ。

怖かった。

悲しかった。

悔しかった。

でも、病気はそこで終わりませんでした。

見えなくなった右眼は炎症を繰り返し、

強い痛みを伴うようになりました。

眼球は徐々に萎縮し、

見た目も変わっていきました。

何とか残せないだろうか。

このままでいられないだろうか。

そんな願いもむなしく、

最終的に私は眼球摘出という決断をしなければなりませんでした。

見えない目なのだから仕方がない。

頭では理解していました。

それでも、なかなか受け入れることはできませんでした。

見た目が変わってしまうこと。

そんな自分を周りの人がどう見るのかということ。

それが怖かったのです。

今までと同じように接してもらえるのだろうか。

変わってしまった自分を受け入れてもらえるのだろうか。

そんな不安ばかりが頭の中を巡っていました。

手術を終えた私は、

再び看護師として現場に戻ろうとしていました。

ところが現実は思っていたほど簡単ではありませんでした。

主治医からは復職の許可が出ているのに、

なかなか復職は認められません。

働けないわけではない。

できないわけでもない。

それなのに信じてもらえない。

そのことが、とても苦しかったのを覚えています。

そんな時、

学生時代からお世話になっていた児童デイサービスの方が声をかけてくださいました。

「遊びに来るだけでもいいからおいで」

その言葉に救われました。

ボランティアとして子どもたちと関わる中で、

私は少しずつ自信を取り戻していきました。

子どもたちは義眼になった私を特別扱いしませんでした。

以前と変わらず笑い、

以前と変わらず接してくれました。

そのことが本当にうれしかったのを覚えています。

そして私は、

再び看護師として現場に戻ることができました。

ようやく元の生活を取り戻せた。

病気はあっても、これからも看護師として生きていける。

あの頃の私は、そう信じていました。

でも、その安心は長くは続かなかったのです。

:

🩺 看護師を失った日


でも、その安心は長くは続きませんでした。

病気は再び動き始めたのです。

今度は左眼でした。

唯一残された目。

私が世界を見るための最後の窓でした。

右眼を失った経験があったからこそ、

左眼に異変が起きた時の恐怖は言葉にできないほど大きなものでした。

何度も手術を受けました。

治療も続けました。

少しでも視力を守りたい。

何とかこの目だけは残したい。

そんな思いで必死でした。

でも、願いとは裏腹に、

左眼の視力も少しずつ失われていきました。

右眼が見えなくなった時とは全く違いました。

片眼が見えていた頃は、

運転もできました。

仕事もできました。

日常生活も不自由なく送ることができました。

でも、左眼の視力が低下すると、

それまで当たり前だったことが、

一つ、また一つと難しくなっていきました。

そして私は、

視覚障害者になりました。

それでも、

看護師を諦めるつもりはありませんでした。

看護師は私の仕事ではなく、

私の人生そのものだったからです。

だから病棟へ戻りました。

戻れば何とかなる。

また以前のように働ける。

どこかでそう信じていました。

でも現実は違いました。

できないのです。

本当にできないのです。

今まで当たり前にできていたことができない。

確認してもらわなければできない。

助けてもらわなければできない。

十年目の看護師だった私より、

一年目の看護師さんの方ができることが多い。

その現実は想像以上に苦しいものでした。

毎日、自分の無力さを突きつけられているようでした。

それでも私は、

病棟にいたかった。

子どもたちのそばにいたかった。

視覚障害者になった私だからこそできることもあるはずだ。

病気や障害のある子どもたちに、

夢を諦めなくてもいいんだよと伝えられる存在になりたい。

そんな思いで必死にもがいていました。

でも、

現実は私の願い通りにはなりませんでした。

私は看護師であり続けたかった。

それなのに、

看護師でいることはできませんでした。

よく、

「見えなくなった時が一番つらかったですか」

と聞かれます。

でも私は違います。

私の人生で一番つらかったのは、

看護師でなくなった時でした。

見えなくなった時よりも。

何度も手術を受けた時よりも。

ずっとつらかった。

私は仕事を失っただけではありませんでした。

居場所を失いました。

自信を失いました。

夢を失いました。

そして、

自分が何者なのかも分からなくなりました。

朝起きても行く場所がない。

会う人もいない。

役割もない。

社会から切り離されてしまったような感覚でした。

仕事を失うということは、

単に収入を失うことではありません。

その人が積み重ねてきた時間や誇り、

そしてアイデンティティまでも揺るがしてしまうことがあります。

あの頃の私は、

視力を失ったというより、

人生そのものを失ってしまったような気持ちでいました。

病気は、

私からたくさんの大切なものたちを奪っていきました。

🌱 生きる意味を見失った日々


看護師でなくなった私は、

自分が何者なのか分からなくなっていました。

看護師であることは、

私のアイデンティティそのものでした。

だから看護師でなくなった時、

仕事を失ったというより、

自分自身を失ってしまったような感覚でした。

何のために生きているのだろう。

これから何を目指せばいいのだろう。

そんなことばかり考えていました。

見えない私には何もできない。

誰かに助けてもらわなければ生きていけない。

そんな人生に意味なんてあるのだろうか。

そんなふうに思っていました。

もちろん、

自ら命を絶とうと思ったことはありません。

どんなに苦しくても、

どんなに絶望しても、

命がどれほど大切でかけがえのないものなのかを、

私はたくさんの子どもたちから教えてもらっていました。

だから、それだけは考えませんでした。

でも、

このまま消えてしまえたら楽なのに。

そう思ったことは正直ありました。

朝起きても、

行く場所がない。

会う人もいない。

やるべきこともない。

目標もない。

何をして一日を過ごせばいいのか分からない。

ただ時間だけが過ぎていく。

早く今日が終わらないかな。

早く一週間が過ぎないかな。

そんなことばかり考えていました。

看護師でなくなっただけ。

そう思う人もいるかもしれません。

でも私にとっては、

決して「だけ」ではありませんでした。

看護師でなくなった時、

私は仕事だけではなく、

自分の価値まで失ってしまったように感じていました。

生きる意味も。

夢も。

未来も。

何もかもなくなってしまったように思えたのです。

何のために生きているのか分からない。

何を目指せばいいのか分からない。

何を支えに生きていけばいいのか分からない。

そんな毎日でした。

今振り返れば、

私は自分の人生そのものに絶望していたのだと思います。

でも、

あの頃の私は気づいていませんでした。

絶望しかないと思っていた毎日の中にも、

実は次につながる種が残されていたことを。

🌸 少しずつ取り戻していったもの


絶望しかないと思っていた毎日の中にも、

実は次につながる種は残されていました。

私にとってその一つが、

視覚障害者としての訓練との出会いでした。

当時の私は、

訓練なんて必要ないと思っていました。

私は看護師でした。

家事もしていました。

仕事もしていました。

だから、

白杖の使い方を習うことも、

生活訓練を受けることも、

どこかで認めたくなかったのです。

訓練を受けるということは、

自分が障害者になったことを認めるような気がしていました。

でも今思えば、

あの時に訓練へつながることができたことが、

私の人生を大きく変えたのだと思います。

リハビリでは、

白杖で歩く練習をしました。

点字も習いました。

料理や掃除など、

生活のための訓練も受けました。

最初は、

こんなことを習わないと生きていけないのかと、

情けない気持ちになることもありました。

でも訓練士さんたちは違いました。

できないことばかりを見るのではなく、

どうしたらできるかを一緒に考えてくれたのです。

その中でも、

今でも忘れられない出来事があります。

お米を炊く訓練です。

見えなくなった私は、

もう一人でご飯を炊くことはできないと思い込んでいました。

炊飯器の内釜には、

水の量を示す目盛りがあります。

見えていた頃は、

その線に合わせて当たり前のように水を入れていました。

でも、

見えなくなった私にはその目盛りが見えません。

だから、

どうやって水の量を量ればいいのか分からなかったのです。

でも訓練士さんは、

当たり前のように言いました。

「お米を量るカップで水も量れますよ」

私は本当に驚きました。

知っていれば簡単なことでした。

でも知らなかった私は、

もうできないと思い込んでいたのです。

その時に気づきました。

できないと思っていたことの中には、

本当は方法を知らないだけのことがたくさんあるのだと。

そして、

訓練の中で私を支えてくれた言葉があります。

「できないなら、できる方法を考えればいい」

この言葉は、

その後の私の人生を支える言葉になりました。

病気になる前の私は、

できるか、できないか。

その二つで考えていました。

でも見えなくなってからは、

どうしたらできるのか。

別の方法ならできるのか。

誰かに手伝ってもらえばできるのか。

そう考えるようになりました。

そしてもう一つ、

私が学んだことがあります。

それは、

人に頼ることでした。

私は昔から、

頼るより頼られる方が好きな人間でした。

看護師という仕事も、

どちらかと言えば支える側です。

だから、

誰かに助けてもらうことが苦手でした。

横断歩道を渡る時、

「誰かに一緒に渡ってもらったらいい」

そう言われても、

そんなことをするくらいなら、

一人で渡れるようになるまで何度でも練習する。

本気でそう思っていました。

人に頼ることは負けること。

どこかでそんな気持ちがあったのだと思います。

でも、

視覚障害の仲間たちと出会い、

その考えは少しずつ変わっていきました。

上手に周囲へ声をかけ、

必要な支援を受けながら、

自分らしく生活している人たちがたくさんいたのです。

その姿を見ながら、

私は気づきました。

人に頼ることは、

諦めることではない。

できないことを認めることでもない。

自分に必要な助けを伝え、

周囲と協力しながら生きていく力なのだと。

訓練や仲間との出会いを通して、

私は少しずつ、

失ったものばかりを見るのではなく、

今の自分にできることへ目を向けられるようになっていきました。

そして気がつくと、

私の中には、

もう一度何かに挑戦してみたいという気持ちが芽生え始めていました。

🌈 新しい自分との出会い


そして気がつくと、

私の中には、

もう一度何かに挑戦したいという気持ちが芽生えていました。

病気になる前の人生に戻りたい。

最初はずっとそう思っていました。

でも、

訓練を続ける中で、

少しずつ考え方が変わっていきました。

私はもう、

病気になる前の私には戻れない。

見えていた頃の私には戻れない。

看護師として働いていた頃の私にも戻れない。

それはどう頑張っても変えられない事実でした。

でも、

戻れないことと、

幸せになれないことは違う。

それも少しずつ分かるようになっていきました。

では、

今の私には何ができるのだろう。

これからどんな人生を歩いていきたいのだろう。

そんなことを考えるようになりました。

そして出た答えは、

意外にも昔と同じものでした。

誰かの人生に関わる仕事がしたい。

誰かと一緒に悩み、

一緒に喜び、

その人らしい人生を支える仕事がしたい。

私が苦しかった時に、

たくさんの人が支えてくれたように、

今度は私が誰かの支えになりたい。

その思いは、

病気になる前も、

病気になった後も、

変わっていなかったのです。

そこで私は、

もう一度学び直すことを決めました。

社会福祉を学び、

対人援助について学び、

新しい道を探し始めました。

正直に言えば、

不安もたくさんありました。

就職活動では、

視覚障害があることで難しさを感じる場面もありました。

どうして見えなくなったのだろう。

どうして自分だけが。

そんな気持ちが顔を出すこともありました。

それでも、

以前の私とは少し違っていました。

昔なら、

できないことばかりを見ていたと思います。

でもその頃の私は、

今の自分にできることを考えられるようになっていました。

ゆっくりでもいい。

遠回りでもいい。

自分のペースで進めばいい。

そう思えるようになっていたのです。

そして私は、

相談支援専門員という仕事に出会いました。

障害のある方やご家族の相談に乗り、

その人らしい暮らしを実現するためのお手伝いをする仕事です。

初めてこの仕事を知った時、

私はどこか懐かしい気持ちになりました。

なぜなら、

そこにあったのは、

看護師時代から私が大切にしていたものと同じだったからです。

誰かの思いに耳を傾けること。

一緒に悩むこと。

一緒に考えること。

そして、

その人らしい人生を支えること。

立場は変わりました。

働く場所も変わりました。

でも、

私がやりたかったことは、

ずっと変わっていなかったのです。

ある時、

看護学生時代の恩師に、

今の仕事の話をする機会がありました。

その時に言われた言葉があります。

「良いキャリアアップをしたね」

私は長い間、

もう看護師ではなくなったと思っていました。

夢を失ったと思っていました。

でもその言葉を聞いた時、

初めて思えたのです。

失っただけではなかったのかもしれない。

形は変わったけれど、

私は今も誰かの人生に寄り添う仕事をしている。

看護師として学んだことも、

患者として経験したことも、

視覚障害当事者として生きてきたことも、

全部が今の仕事につながっている。

遠回りしたように見えた人生も、

ちゃんと今につながっていたのだと。

そう思えた時、

私は初めて、

病気になる前の自分に戻ろうとするのではなく、

今の自分の人生を見つめられるようになった気がしました。

🌱 病気や障害とともに生きるということ


こうして私は、

新しい仕事と出会い、

新しい居場所と出会い、

少しずつ自分の人生を取り戻していきました。

でも、

病気はそこで終わりではありませんでした。

今年の春、

私の病気は再び進行しました。

それまでわずかに残っていた視力も、

大きく失われました。

光。

人の気配。

物の輪郭。

そんな、

私なりに頼りにしていた見え方さえも、

失われていきました。

正直、

とても悔しかったです。

怖かったです。

またか。

どうしてなんだろう。

やっとここまで来たのに。

そんな思いもありました。

十年近くかけて築いてきた生活が、

また崩れてしまったような気がしました。

できていたことができなくなる。

慣れていたことが分からなくなる。

また人の助けを借りなければならなくなる。

病気になる前も。

見えなくなった時も。

そして今も。

私は何度も立ち止まり、

何度も悩み、

何度も揺れてきました。

でも、

そんな自分を責めようとは思いませんでした。

病気や障害とともに生きるということは、

きっと何度も揺れることだからです。

一度立ち直ったら終わりではない。

一度受け止めたら終わりでもない。

失うこともある。

落ち込むこともある。

前が見えなくなることもある。

それでもまた、

その時の自分に合った生き方を探していく。

私はこの十年、

その繰り返しをしてきました。

よく、

病気や障害を受け入れる、

障害受容という言葉を耳にします。

でも私は、

今でもその言葉が少し苦手です。

受容って何だろう。

病気や障害があっても、

「これでいい」と思えるようになることなのだろうか。

私には今でもよく分かりません。

病気にならなかった人生の方がよかった。

見えるなら今でも見えるようになりたい。

それが私の正直な気持ちです。

きっとこの先も、

その気持ちがなくなることはないと思います。

前を向ける日もある。

前を向けない日もある。

強くいられる日もある。

そうじゃない日もある。

泣いてばかりいる日もある。

悔しくて仕方がない日もある。

怖くて震える日もある。

でも、

それでいいのだと思います。

弱い自分も。

情けない自分も。

くよくよ悩む自分も。

前を向いて頑張れる自分も。

新しいことに挑戦できる自分も。

全部、

私なのです。

病気や障害があることで、

失うものもあります。

諦めなければならないこともあります。

我慢しなければならないこともあります。

本当なら気にしなくてよかったはずのことを、

気にしながら生きていかなければならないこともあります。

病気や障害がなければ選べたはずの人生を、

選べなくなることだってあります。

それは、

やっぱり悔しいことです。

悲しいことです。

簡単に受け止められるものではありません。

だから私は、

病気や障害とともに生きるということは、

そんな現実と折り合いをつけながら生きていくことなのだと思っています。

変えられない現実は現実として受け止める。

その上で、

今の自分と向き合う。

今の自分を認める。

今の自分を大切にする。

そして、

今の自分でよりよく生きることを探し続ける。

私はそれが、

病気や障害とともに生きるということなのではないかと思っています。

私自身、

今もその途中です。

これからも悩むでしょう。

立ち止まることもあるでしょう。

それでもまた、

その時々の自分と向き合いながら、

今の自分でよりよく生きることを探し続けていきたいと思っています。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

この文章は、看護学生の皆さんに向けて「病気や障害とともに生きる」というテーマでお話しした講演をもとに、創作大賞2026エッセイ部門応募作品として再構成したものです。

もともとは105分の講演として作成した原稿でした。

そのため、一万字という限られた文字数の中では書ききれなかった出来事や思いが、まだまだたくさんあります。

看護師として患者さんやご家族と向き合った日々。

患者という立場になって初めて見えた景色。

見えなくなってからの葛藤や挑戦。

そして、相談支援専門員として働く今だからこそ感じること。

今回は、「病気や障害とともに生きるとはどういうことなのか」というテーマを軸に、一つの物語としてまとめました。

そのため、本当はもっと詳しくお伝えしたかった出来事や、泣いたこと、笑ったこと、立ち止まったこと、支えられたことなど、一つひとつのエピソードまでは描ききれていません。

これから少しずつ、

「病気や障害とともに生きる私の看護師人生」

というシリーズとして、今回書ききれなかった出来事や思いを綴っていけたらと思っています。

もし今回の記事を読んで何か感じていただけたなら、これからのシリーズも読んでいただけるとうれしいです。

そして、よろしければ創作大賞2026エッセイ部門への挑戦も応援していただけると励みになります。

これからも揺れながら生きる私の人生を、温かく見守っていただけたらうれしいです。

スキやコメントでの応援もお待ちしています。

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

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ナツコ@視覚障害の相談支援専門員 もしも私のnoteを読んで少しでも思いが心に届いたと言う方、私と一緒に見えない仲間たちを応援したいと思っていただいた方は、チップと言う形で応援していただけるととてもうれしいです。ぜひよろしくお願いします。いただいたチップは、視覚障害の支援団体に寄付させていただこうと思います。