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太宰治は弱かった。けれど、その弱さだけは誰よりも強かった。

太宰治の文章を読むと、胸の奥の、あまり人に見せたくない場所をそっと触られるような気がします。

たとえば、私は『葉』のこの一節がとても好きです。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。※1

「死のうと思っていた」という重い言葉から始まるのに、生きる理由は、夏に着る着物。

でも、人が生き延びる理由って、案外そういうものかもしれません。
大きな希望ではなく、来週の予定。
誰かの何気ない一言。
まだ着ていない服。
まだ見ていない季節。

太宰は、そういう小さな命綱を笑わない。
むしろ、その頼りなさごと、文学にしてしまう。

昨日、きのころさんの記事を読みました。

エモい。エモすぎる。
なかでも、この文章がとても私のツボに入りました。

太宰は弱かった。
だが、その弱さだけは誰よりも強かった。

『文豪ジャパン』

太宰は、たしかに弱い人だったのだと思います。
でもその弱さは、ただ脆いという意味ではありません。

自分の弱さを見つめ続けてしまう強さが、異様なほどあった人なのだと思います。

今日の記事は、きのころさんオマージュの太宰論です。タイトルまでお借りしています。(本歌取りみたいな感じで)


太宰の弱さは、人間が怖いのに、人間がほしい弱さだった

『人間失格』の葉蔵は、人間が怖くてたまらない。だから道化を演じます。※2

何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空だ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。※2

笑わせる。
相手に合わせる。
自分の本心を隠す。

でも本当に人間のことなんかどうでもよければ、
道化なんてしなくていいはずです。

葉蔵は、人間が怖い。
けれど同時に、人間に受け入れられたい。

ここに、太宰の弱さの核がある気がします。

「どうせ誰にもわからない」と言いながら、本当はわかってほしい
「信じるな」と言いながら、本当は信じてほしい
「自分はだめだ」と言いながら、そのだめさごと見てほしい

この矛盾が、太宰の文章にはずっとあります。


ナルシズムは、太宰の救命具だったのかもしれない

太宰を語るなら、やはりナルシズムも欠かせません。
『葉』には、こんな一節もあります。

生活。

よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつっているのさ

どうにか、なる。※1

「きれいな私の顔」。
普通だったら「私の顔がきれいにうつっているのさ」ですよね。

ここには、たしかにナルシズムがあります。
でも私は、それを単なる自己陶酔とは思えません。

ぼろぼろの自分を、ほんの一瞬だけでも「きれい」と言ってあげる。
そうしないと、彼の心は持ちこたえられなかったのではないでしょうか。

太宰のナルシズムは、強い人の自信ではない。
弱い人が、自分を完全に嫌いになり切らないための、ぎりぎりの自己愛に見えます。

だから痛々しい。
でも、少しわかってしまう。

そして、
この最後の「どうにか、なる。」はずっと私自身の生きる支えでした。


三島由紀夫は、太宰の何がそんなに嫌だったのか

太宰の弱さを考えるとき、三島由紀夫との対比はとても面白いです。

三島は太宰を強く嫌った作家として知られています。※5
でも私は、この嫌悪は単なる好みの違いではなく、かなり「近親憎悪」に近いものだったのではないかと思います。

太宰と三島は、表面だけ見ると正反対です。

太宰は、弱さをさらけ出す
三島は、弱さを美しい鎧で隠す

太宰は、崩れていく自分を書く
三島は、鍛え上げた肉体や文体で、自分を高みに引き上げようとする

太宰は「道化」になる
三島は「仮面」をかぶる

でも、根っこのところでは、どちらも自分の弱さを知りすぎていた人なのではないでしょうか。

違ったのは、その扱い方です。

太宰は弱さを露出した。
三島は弱さを隠蔽した。

だから三島にとって太宰は、見たくない自分を見せてくる存在だったのかもしれません。
自分が美しい形式や肉体で押し込めようとしていたものを、太宰はぬるっと文章の上に出してしまう。

それは、嫌だったと思います。
でも、だからこそ目が離せなかったのではないでしょうか。

三島が太宰を嫌ったという事実そのものより、私にはその「嫌い方」が気になります。本当に遠い人なら、あそこまで嫌悪しなくてもいい。

嫌いだ、嫌いだ、と言いながら、実はものすごく近い場所で、同じ弱さを見ていた。そんな関係だったように思えるのです。


太宰には、健康で明るい時代もあった

太宰というと、どうしても『人間失格』の暗いイメージが先に来ます。

けれど太宰には、意外なほど明るい作品を書いていた時期があります。
1938年に御坂峠の天下茶屋で執筆を再開し、翌年には石原美知子と結婚。その頃に『富嶽百景』や『女生徒』などを書いています。※6

この時期の太宰には、暗さだけではない、
明るさや清潔さへの憧れがあります。

その代表が『走れメロス』です。※4

『走れメロス』は、友情と信頼の物語として読まれることが多い作品です。
でも私は、あの明るさも、単純な健康さではないと思っています。

信じることが簡単な人が書いた話ではない。
信じられない苦しさを知っている人が、それでも信じたいと願って書いた話なのではないでしょうか。

メロスは一度、くじけます。
もうだめだと思う。
友を裏切ってしまいそうになる。

ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。※4

太宰は、人間の弱さを知っていた。
裏切る自分も、逃げる自分も、醜い自分も知っていた。

だからこそ、信頼をきれいごとではなく、ほとんど祈りのように書けたのではないでしょうか。

陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。※4

暗いところを知っている人が、明るいほうへ手を伸ばす。
『走れメロス』の明るさは、そういう明るさに見えます。


嘘をつくことで、本当のことに近づこうとした人

太宰は、どこか嘘つきの作家です。

『道化の華』では、読者に向かって「僕を信ずるな」と言うような語りもあります。※3

いや、この言葉をさへ、僕ははじめから用意してゐたやうな氣がする。ああ、もう僕を信ずるな。僕の言ふことをひとことも信ずるな。 僕はなぜ小説を書くのだらう。※3

でも太宰の嘘は、ただ真実から逃げるためのものではなかった気がします。

「これは演技です」
「私は道化です」
「私は自分をかわいそうに見せています」

そう言いながら、その演技ごと見せてしまう。

普通なら隠したいはずの自意識を、太宰は作品の中心に置きました。
そこがずるいし、痛いし、魅力でもあります。

太宰は、弱さをそのまま出したわけではない。
弱さを、かなり巧妙に演出した人でもある。

だからこそ、ナルシズムもある。
でも、そのナルシズムを含めて、私は太宰の文章に惹かれてしまいます。


散るまで青いふりをする

『葉』には、こんな言葉もあります。

その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけがじりじり枯れて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散るまで青いふりをする。※1

この「青いふり」に、私は太宰らしさを感じます。

本当は枯れている。
でも、青いふりをする。
平気なふりをする。
美しいふりをする。

それは嘘かもしれない。
ポーズかもしれない。
ナルシズムかもしれない。

でも、そのふりがあるから、人はなんとか生きられることもあります。

太宰は弱かった。
けれど、その弱さだけは誰よりも強かった。

そして、その弱さを醜いまま放り出すのではなく、どこか美しく見つめてしまった。

そこにナルシズムがある。
痛々しさがある。
そして、どうしようもない人間らしさがある。

だから私は、太宰の文章が好きです。

弱いまま、少しだけきれいでいたい。
だめなまま、誰かにわかってほしい。
嘘をつきながら、本当のことに近づきたい。

太宰の文章には、そんな矛盾が、今も静かに反映している気がします。


終わりに

チャッピーと会話しました。

日本の文豪と言われる人物のクズ度ベストテンとその理由を考えて

チャッピーは

面白いテーマですね(笑)。

ただ、「クズ度」は客観的なランキングではなく、逸話・伝記・作品・時代背景をもとにしたエンタメ的な評価としてご覧ください。

チャッピー

と返してきて、作ってくれたランキングの堂々一位が太宰。
ちなみに、二位は坂口安吾、三位は石川啄木です。
十位に漱石先生が入っていたのが気にくわない私は、私の中で文豪クズNo. 1の島崎藤村をぶつけてみました。

島崎藤村とか永井荷風は?

少し補足して整理します。前回のランキングに入れるなら、島崎藤村はかなり上位、永井荷風は「クズ」というより徹底した俗世嫌い・遊蕩型として別枠で考えるのがよさそうです。

チャッピー

しかし、チャッピーにとって太宰は不動の一位。新しいランキングはこれです。

修正版・文豪クズ度

1位 太宰治   2位 島崎藤村
3位 石川啄木  4位 坂口安吾
5位 谷崎潤一郎 6位 永井荷風
7位 中原中也  8位 檀一雄
9位 川端康成  10位 三島由紀夫

チャッピー

三島由紀夫もクズじゃないよ、と思い、隠し球の鈴木三重吉をぶつけてみました。

鈴木三重吉を忘れていた

 私

確かにです。鈴木三重吉を入れないと、このランキングは少し片手落ちになります。

鈴木三重吉 は、私生活だけを見るとかなり上位候補です。

チャッピー

しかし、やはり太宰を超えることはできませんでした。
チャッピーが修正した最終版です。

1. 太宰治     2. 島崎藤村
3. 石川啄木    4. 坂口安吾
5. 鈴木三重吉   6. 谷崎潤一郎
7. 永井荷風    8. 中原中也
9. 檀一雄     10. 川端康成

川端康成はクズというよりかなり変人なだけだと思いますが、隠し球が尽きてしまったのでこの辺で。
みなさまが考える文豪クズ度ベストテンもお聞かせください。

以前、文豪論として、夏目漱石のかわいさについて書きました。
よかったらこちらもお読みください。


最後までお読みいただきありがとうございました😊


参照元リンク一覧

1 太宰治『葉』|青空文庫
2 太宰治『人間失格』|青空文庫
3 太宰治『道化の華』|青空文庫
4 太宰治『走れメロス』|青空文庫
5 三島由紀夫に「嫌い」と言われ、太宰治が「笑った」訳|東洋経済オンライン
6 太宰治|山梨県立文学館デジタルアーカイブ

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