「日本初の有人ロケット・秋水」 北大最初の女子学生・加藤セチ
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
科学者の世界ですら、
「知られざるヒロイン」なのですが、
なぜか、ミリタリー界隈では、
たびたび話題に上ります。
何故でしょうか?
第二次世界大戦の末期、
東京は、焼け野原と化してゆきました。
言わずと知れた、「B-29」による爆撃のせいです。

B-29は、10,000メートルの高空を悠々と飛び、
爆弾を落としてゆきます。
飛行機が飛ぶためには、
燃料の他に、空気中の酸素が必要です。
高い空では、酸素が薄いので、
エンジンを回すのは大変です。
B-29は、「ターボチャージャー」を装備して、
薄い空気を圧縮して送り込むので、
高空でも、スイスイ飛べました。
(とは言い過ぎなんですが・・)
残念ながら、日本にはその技術は無く、
戦闘機は息も絶え絶えな状態で、
B-29には苦戦しました。
日本も手をこまねいていた訳ではなく、
「B-29キラー」と言うべき戦闘機を、
計画していました。
中でも異彩を放ったのが、
「秋水」というロケット戦闘機です。

ロケットには、空気中の酸素は要りません。
パワーも桁違いです。
B-29に、一矢報いてくれるでしょう。
しかし、開発は難航を極めました。
「秋水」は秘密兵器ですが、
セチはその存在を、知っていました。
航空燃料を専門とする化学者として、
軍に重用されていたからです。
東京の、目を覆うような惨状を目にして、
セチは、「秋水」の開発現場に、
自ら赴きました。
「秋水」の開発が止まっていたのは、
ロケットが発する余りの高温に、
エンジン自体が耐えられず、
壊れてしまうトラブルのせいでした。
セチは、
液体ロケット燃料に添加する水を増やすよう、
提案します。
現在でも用いられる
「潜熱冷却」
という手法です。
ところが、現場からは反対の嵐。
ここまで開発を進めてきたのに、
燃料の配合を変えてしまえば、
何が起きるかわからない。
試作のロケットモーターは、
最後のひとつでした。
しかし、隊長は、
セチが尋常の人ではない、と見込み、
進言どおりに水を添加するよう命じました。
その日のうちに、試験が行われましたが、
見事にエンジンの発熱は抑えられ、
問題は解決しました。
反対していた技師たちも、
セチに脱帽し、
口々に賞賛した、
と伝えられています。
女性科学者が、
戦時研究で、著明な業績を残したのは、
極めて例外的な事件です。
現在でも、
ミリタリー界隈で、
加藤セチの名が、
時々、ささやかれるのには、
そうした訳があるのです。

ただ、「秋水」は、実戦には間に合わず、終戦を迎えました。
本当のところ、
B-29に苦戦したのは、
単に高高度を飛べる、といった単純な理由ではありません。
だから、たとえ「秋水」を得たとしても、
戦局が変わることは無かったでしょう。
タイトルに、「秋水」は、
「日本初の有人ロケット」と書きました。
実は、これは、
「搭乗員が帰って来られる、普通の乗り物」
であれば、という条件つきでの話です。
その条件を除くならば――
最初のそれは、特攻兵器として作られた
固体ロケット「桜花」でした。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」
(本記事内の写真は、AI彩色したものです。
挿絵はAI生成により、作成しました。)
