「加藤清正流伝承」 北大最初の女子学生・加藤セチ
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
ネット上には、
「セチは、加藤清正の末裔」
という噂があります。
加藤清正といえば、有名な戦国武将。
その伝説的な強さから、
庶民が信仰する神にすらなった人です。
この噂は、本当でしょうか?

答えは、
「学術的には証明されていない。
しかし、根拠はある」
です。
最初に明かしますが、私の本名の姓は「加藤」。
セチは、親戚に当たります。
セチは本家最後の当主、私は分家の一枝、という関係です。
私が幼い頃、父と祖母に改まった様子で呼ばれて、
「家祖は、加藤清正という大名だった。
立派なご先祖様なのだから、おまえも恥のないように生きなさい」
と申し渡されたことがありました。
それなりに、感動したのを覚えています。
ついでに、
「この話は、誰にも言ってはいけない。
東京の伯父さんは、小学生の時、友達に吹聴したから、
嘘つきよばわりされて、いじめられた」
という戒話まで、おまけに付いてきました。
その話は、それきりでしたが、
びっくりしたのは、近年になって、
「清正の末裔は、加藤セチという女性科学者」
という噂が、ネットのあちこちに流れたことです。
噂の大元を探ると、
発信したのは、
300年も前に分岐した、
私と同じ一族の人でした。
その後も、
存在すら知らなかった
日本各地に散らばる、様々な分家の後胤と、
次々に知り合うことになったのですが——
驚いたことに、
どの家でも、
私と同じく、家外秘として、
「我が家の先祖は、加藤清正」
と伝えられていたのです。
この伝承は、江戸時代から連綿と
一族の家々に受け継がれていたらしい。

加藤清正は、熊本の大名でした。
なにしろ、熊本城を築いた人です。
ところが、息子の忠広は、
幕府に罪を問われて改易になります。
流された先は、現在の山形県鶴岡市。
セチと私に共通する先祖が成した一族の根拠地あたりです。
そこで、忠広は男女ふたりの子供をもうけました。
その女子が、私たち加藤家の祖となったのです。
——というのが、一族に伝わる伝承ですが——
証となるべき宝物は、明治庄内大地震と、本家の破産で失われ、
神戸にあった家系図も、大戦の空襲で焼けてしまったので、
もはや学術的な証明は、難しいでしょう。
そもそも、流人の加藤忠広が庄内で子を成したにせよ、
幕命に背いて子孫を残した話など、正史に残るはずもない。
とはいえ、実は、かなりの状況証拠があるのですが、
第三者の機微に関わるので、
当面は「公開できない情報」と、せざるおう得ません。
そんなわけで、
肯定も否定も難しい「裏歴史の伝説」が、
これからも歴史界隈の片隅で、
誰かの好奇をあおり続けるのだろうなあ、
——と思います。
ちなみに、
清正の血を受け継いだ孫、とされるのは、
家祖の妻にあたる女性ですが、
家祖本人である男性には、
「木戸駿河守流伝承」
という別の由来話があり、
こちらは家外秘ではなく、
学術論文にも採取されています。
<2026年3月25日 追記>
たまたまですが、
上記を書き終えた後、
加藤清正流伝承を、
熱心に研究している
「300年前に分岐した親類」から
頻々とメールが届いています。
ようやく、
歴史の真相に近づいているような、
気がします。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
「美人すぎて、科学者には向かない」 北大最初の女子学生・加藤セチ |アスカリ
(タイトル画像は、AI彩色したものです。
挿絵は、AIで作成しました)
