「コンプレックス、あるんです」 北大最初の女子学生・加藤セチ
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
「良妻賢母」
「博士まで授与された科学者」
「容姿端麗」
「閨秀作家」
そんなイメージで
戦前は
「マスコミの寵児」でした。
八方完璧な「女性の鑑」のようですが、
実は、コンプレックスも、あった?
セチのパブリックイメージは
「良妻賢母」でしたが、
実態は、ちょっと違っていました。
家事は、ほとんどしない。
子供の世話も、まかせきり。
後年、
セチの娘は、
「母は、あてにしていなかった。
祖母(キンのこと)の方が、懐かしい」
と述懐しています。

では、セチのイメージ詐欺だったのか?
それは違います。
「生涯のほとんどを捧げても、
なお、世界に通用するか、わからない」
それが研究です。
実際に、研究を経験された方は、
よく実感されているでしょう。
昭和10年(1935)に、
「女博士座談会」
という、科学雑誌の企画がありました。
日本中の女性博士(ほとんど医学)が、
一堂に会して、
女性ならではの苦労を、
語りあいました。
「家事と研究は両立するか」
話題になりました。
参加者の一人、竹内茂代(医博、女権運動家)などは、
きっぱりと断じて、
「無理」
黎明期には、
女性科学者が、ほとんど独身だった理由です。
女性が、
社会に出て、働くことが、
当たり前では無かった時代。
働く女性には、
男性には無い苦労がありました。
セチは、
女性への配慮を要求したり、
男性社会への批判をするよりも、
「実力」
で、真向勝負しました。
「実力」には、男も女もありませんから。
幸い、セチには、
全力でサポートしてくれる家族がいました。
母のキンは、
本来、妻たるセチが担うべき家事の大半を、
引き受けました。
夫の得三郎も、
自分のために、セチを仕えさせたりせず、
むしろ、セチのために一歩引いていました。
そうして、
セチが、全身全霊で研究できるよう、
「総力戦」の体制を、敷いていたのです。
そうしなければ、
セチは、著名な科学者として、
成功することは、無かったでしょう。

ただ、セチは有名人で、
雑誌の取材やら、座談会やらで、
いろいろ掘られます。
そこで、
「家庭婦人」として、
意見を求められたりすると、
ちょっと、バツが悪い。
「母性愛座談会」という企画では、
「あなたの子育ては?」と問われて、
具体的な意見が出てこずに
「子供に教えられるばかりで、
こんなところに出る資格のない者でございます」
と発言したきり、
黙ってしまいました。
逆に、
ちょっと良いお母さんのように
振舞っているかのような記事も
いくつかあります。
パブリックイメージと、
実際とのギャップを、
少し後ろめたく思っているような
気配を感じます。
テレビを見ていると、
「パブリックイメージ」と
「本当の自分」または「なりたい自分」
との落差に、
葛藤を抱えているかのような
タレントさんを、
よく見かけます。
「可憐で無垢」なイメージなのに、
本当は、「強くかっこよく」ありたい。
「親切な善人」のイメージなのに、
本当は、「恐れられる大物」になりたい。
「間の抜けた、道化者」のイメージなのに、
本当は、「尊敬される、賢い大人」に見られたい。
「他人が求める自分」と
「本当の自分」が
ずれていたら、
ちょっと、苦しいでしょうね。
セチの言動には、
基本、
ほとんど嘘も忖度も
ありませんでした。
常識的に言いにくいような事でも、
歯に衣着せずに、
本音を吐きました。
自分に都合の悪いことでも、
願望で歪めることなく、
事実を冷徹に分析しました。
セチのこの性分こそ、
自然科学者として
私が最も尊敬するところです。
そのセチにして、
こんな「いいお母さんぶりっこ」
があったというのは、
可笑しみがあって、
私は好きです。
ニヤリと笑って、
天井を見上げながら、
今日は、筆を置かせていただきます。
<追記>
ひとつ、
セチの名誉のために書き加えれば、
子供への愛情は、
まぎれもなく本物でした。
エッセイに綴られた
子供たちの細かな観察や、
くすぐられる感情、
美点を見つけた時の誇らしさ。
一人息子を、
硫黄島の戦いで失った時の
哀れな取り乱しよう。
母、そのものでした。
ただ、
並みの家庭とは違って、
子供たちにとっては、
「おかあさん」
の役は、
祖母のキンがつとめ、
セチは、
「おばあちゃん + おとうさん」
のような役回りだった、
ということですね。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」
(挿絵は、AI生成したものです)
