<閑話>「トイレは、どうした?」 北大最初の女子学生・加藤セチ
※本記事は「北大最初の女子学生・加藤セチ」の第5回ですが、
一話完結ですので、単体でもお楽しみいただけます。
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
男子学生ばかりだった北大に、
紅一点。
気になるのが、「トイレは、どうした?」

ここに一冊、面白い本があります。
「北大の紹介本」なのですが、
社会問題の提起とからめて、
ちょっとダークなトリビアを集めています。
「北大初の女子トイレの設置を求めて」
という章があり、
セチのことに触れて
「いったい、トイレはどうしていたのだろう?」
と不思議がっています。
北大に、初めて女子専用トイレが設けられたのは、
セチが卒業してから30年以上も後の、1950年代。
北大広報誌にも、
「女子学生の会」なるものが決起して、
「専用はばかり」を要求した、
と書かれています。
ここで、ふと気になったのが、
医学部附属病院。
看護婦もいれば、
婦人系診療科もあるから、女性患者もいる。
当然、女性が快適に使えるトイレもあったでしょう。
しかし、附属病院が開業したのは、
セチが札幌を去る前月。
つまり、在学中には、
女子用トイレは、
公式には無かったようです。

では、
セチは「はばかり」を、
どうしていたのか?
資料を紐解いて考察した、
私の仮説は、
「下宿のトイレ」
「または、男子学生は使えない学内のトイレ」
「いざという時は、隙を見て、男子学生用のトイレ」
です。
「下宿のトイレ」
北大に入学した当初は、
セチの下宿は、時計台近くにあり、
ちょっとトイレを使うには、いささか遠かった。
しかし、後に、
北大正門付近に、
引っ越しています。
下宿と言っても、
助教授の家に、書生住まいでしたから、
一番、安心なトイレだったでしょう。
「または、男子学生は使えない学内のトイレ」
大学本部など、
職員専用のトイレがあったはずです。
入学をめぐる騒動の時には、
ひと月も座り込みをした本部ですから、
馴染みもあったかも。
下宿ほどではなくても、
まあまあ、落ち着くのではないでしょうか。
「いざという時は、隙を見て、男子学生用のトイレ」
最後は、
「それを言っちゃあ、おしまい」
なのですが――
工場などでは、
戦前から、
女子トイレの設置は、
義務だったとはいえ、
トイレを男女で分けるのが
常識になったのは、
実は、戦後10年近く経ってから。
それまでは、
共用の方が、むしろ普通。
私なら、
緊急事態に陥ったら、
隙を見て、
たぶん、男子学生用でも使うと思います。
実際、後年の女子学生は、
男子学生がいない時を見計らって、
男子トイレを使った、という逸話があります。
ただし、複数の女子学生が同行して、
見張りを立てて使った、とされているので、
たった一人の女子だったセチには、
よりハードルは高かったでしょう。

「初めての女子学生・トイレ問題」は、
その後、各大学を悩ませることになるのですが、
結局、男子トイレのひとつに
「女子専用」の貼紙をして、
急場を凌ぐくらいしか、
手がありませんでした。
ちなみに、この問題、
日本に限らず、
欧米でも対策に苦慮したそうです。
まあ、何れにしても、
女子専用のトイレがあれば、
そっちの方が良いに決まっています。
ところが、昨今、
「ジェンダーレストイレ」
なるものが出現しました。
新時代の、「男女その他兼用トイレ」です。
個室の独立性を高めれば、
部屋で分離する必要がない、
男女以外のジェンダーでも利用できる、
という理屈で、作られました。
主に、性的少数者への配慮を重く見て、
普及が運動されているわけですが、
長所も短所もあり、
一概に是非は決められないとして、
「女子トイレ」を普及させた苦労の経緯からすれば、
「ジェンダーレストイレ」への歴史的審判がどうなるか、
見届けたくはなります。
以上、記事を書いた後に、
もしかして、
私の知らない事があるだろうか、と
Gemini の Deep Researchで、確認してみたら——
私と同じ「仮説」を提案されました。
今回は、閑話でした。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
「美人すぎて、科学者には向かない」 北大最初の女子学生・加藤セチ |アスカリ
(タイトル画像は、AI彩色および高解像度化したものです。
挿絵は、AIで作成しました)
