「エスコートヒーローたち」 北大最初の女子学生・加藤セチ
「美人すぎて、科学者には向かない」と言われながら、
著名な化学者として成功した、
北海道大学 最初の女子学生・加藤セチ。
座り込みまでして、
北大入学を、勝ち取りました。
さて、入学後は、どうなったのか?

実は、かなり苦戦しました。
語学力が足りず、
授業が理解できなかったためです。
戦前は、現在とは違い、
科学の世界では、
ドイツ語が幅を利かせていました。
同級生たちは、予科(付属高校)の頃から、
みっちりドイツ語を仕込まれていました。
しかし、セチはドイツ語の教育を受けていません。
教授会は、もともと
「加藤セチは、学力が足りない」
と懸念していました。
残念ながら、見立ては正しかったわけです。
セチは、必死で勉強しますが、
いかんせん、女学校の教師も兼ねているので、
時間が工面できず、
思うように、はかどりません。
おまけに、同級生も冷たい。
セチをいじめるような素振りも、
あったといいます。
「男社会は、女を叩いてばかりいる」
と憤る方もいらっしゃでしょうが、
救いの手を差し伸べたのも、
男子学生たちです。
授業に苦しむセチに、
ノートを貸して助けたのは、
「佐藤正一」という同級生。

私は、なんとなく、
優し気で、ナヨッとした、
中性的な人を想像していました。
ところが、調べてみると、
剣道が得意な、
ちょっと厳つい男性でした。
佐藤は、
北大卒業後は、台湾に渡り
台北帝国大学教授として活躍しました。
戦後は本土に引き揚げて、
茨城大で教鞭をとりました。
時々、セチを理研に訪ねていたようです。
もう一人、
秀才の「足立仁」がいました。

同級生の中でも、実力は抜群で、
卒業研究の論文は、
百年以上を経て、なお引用されています。
北大を修了したセチは、
短い間、副手として北大で研究しましたが、
足立に、化学の技術を教わりました。
足立も、佐藤と同じく台湾に渡り、
これまた台北帝国大学教授に任ぜられ、
科学者として大成しました。
誰もが認める才人でしたが、
実は、姉の「たか」の方が、有名人です。
「足立たか」は、
昭和天皇には母のように慕われ、
「戦争を終わらせた総理大臣」鈴木貫太郎の妻にして、
2.26事件では、反乱将校を相手に武勇伝を成した
伝説的なハンサムウーマンです。
こんな「エスコートヒーロー」たちの助けもあって、
ようやく、セチは挽回し、
ついには、級友にノートを貸す立場にまで、駆け上がり、
クラスの市民権を獲得していったのです。
「北大最初の女子学生・加藤セチ」については、
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」を、
下記リンクよりご参照いただければ、
より詳しくお知りになれます。
第1回「美人すぎて、科学者には向かない」
(タイトル画像は、AI彩色および高解像度化したものです。
記事中の画像も、AI彩色しています)
