【2話】灯りの家へおかえり。-ある日、魔女は少女を拾った-
居場所
「――この家はどうして『灯りの家』と呼ばれてるんだい?」
幼い魔女の問いに紳士が笑う。
「本当は別の家につけるはずの名前だったんだ」
紳士は懐かしそうに目を細めた。
「私の大切な人が言っていたんだ。暖かな部屋で温かい料理を用意して、灯りのついている家で家族を出迎えたい。いつか子が独り立ちをして家を出て行くまで、居場所となるような家にしたいと、そう言っていたんだ」
「へえ、そうかい」
魔女はそれ以上聞かなかった。その『大切な人』がどうなったか知っていたからだ。
パンにかじりつく。この家に来てから、温かな料理を口にしてきた。紳士は料理ができなかったから、ほとんど魔女が用意したものだ。その料理を口にすると彼は微笑んでくれる。舌が肥えているはずなのに、魔女の料理に嬉しそうにしてくれるのだ。
魔女が出掛ければ、紳士が帰りを待ってくれている。彼が出掛ければ、魔女も灯りを消さずに待っていた。
家族の真似事だと二人ともわかっていた。けれど、それが二人の居場所になっていた。
「……いい名前だね。アタシは好きだよ」
魔女の言葉に紳士は嬉しそうに微笑む。
「私もそう思うよ」
彼はそう言うと、手を止める。
「この家には私たちのような人の居場所となってほしい」
魔女には理解ができなかった。どうして知らない人を助けるのか。人間は信用できない。すぐに手のひらを返す。罪なき者を殺す。
けれど、うなずいた。魔女自身、人間の彼に手を差し伸べてもらったからだ。
「……そうだね。この家は『灯りの家』だからね」
紳士は目を細めてうなずく。
彼が亡くなったあとも、魔女は彼の言葉を考え続けた。
「アタシの言葉はわかるのかい?」
幼い少女はうなずく。暗い色をした短い髪がわずかに揺れた。返事をしようと口を開いた。
「っ……」
口から声が出て来ず、彼女は顔をこわばらせた。その表情は声を出せないことに対する戸惑いだけでなく、声を出すことに対する躊躇いもあるように見えた。
「無理に話すことはないよ」
魔女の言葉に少女はビクッと肩を震わせ、泣きそうな顔で口を閉じる。
「……話したくなったら、話せばいい。話したくないなら、話さなくていい。アンタの好きなようにすればいいのさ」
その言葉に少女は意外なことを言われたように顔を上げた。だが、魔女はそれに気づかず、考え込むように腕を組む。
この子どもが言葉を話せない理由はわからない。だが、話せないからと言って、不便はない。家事ができればいいのだ。
魔女は棚の中から何かを取り出す。
「今日からこれを使いな」
差し出したのは石板だった。幼い子どもが字を勉強するときに使うものだ。魔女は石筆を持って、石板に文字を書く。
「こうやって文字が書ける。アンタ、自分の名前は書けるかい?」
魔女の問いに少女は首を横に振る。
「文字は?」
再び首を横に振る彼女に魔女は気にした様子もなく言う。
「じゃあ、覚えな。アタシが教える」
普通の人間は文字を覚えない。文字を勉強するのは貴族か聖職者、地主階級、商人くらいだ。
不思議そうにこちらを見る少女に、魔女はフンと鼻を鳴らした。
「アタシも昔に教えてもらったんだ。そこらへんの人間より、勉強はできるよ」
魔女は指で顎を擦ると少女をちらりと見た。
「それにしても、名前を呼べないのは不便だね」
魔女は少女をじっと見る。
「……アリス」
少女は目を瞬かせる。魔女はもう一度言った。
「アリス。今日からこれがアンタの名前だよ」
頭の中で反芻しているのか、少女は胸に手を当ててうつむく。
「嫌なら、名前をさっさと教えることだね」
魔女は綺麗な文字を石板に書く。
「これがアンタの名前さ。書けるかい?」
アリスは魔女の字をじっと見つめると、隣に自分の名前を書いた。線に不安定さがあるものの、正しく書かれていた。
「へえ。上手いじゃないか」
魔女は次々と文字を書いていく。アリスはそれを見つめると、同じように書いていく。アリスは物覚えが良いらしく、一度で文字を覚えてしまった。
「アンタ、頭が良いんだね」
魔女の言葉にアリスは目を瞬かせると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
魔女は彼女のことを少し物覚えが良い子くらいにしか思っていなかった。だが、アリスの物覚えの良さは字だけに限らなかった。
アリスに家事を教えるようになった一週間後、魔女はテーブルの上に置いてある料理を見て、驚きの声をあげた。
「……もう覚えたのかい?」
そこには初日に一度だけ作り方を教えた料理が置かれていた。
アリスは魔女を見ると、お茶を淹れて魔女の前に置いた。座るようにと椅子を引いてくれるので、魔女は腰を下ろす。アリスも向かいに座った。
食事に手を付ける。焦げていないし、味付けも教えたとおりにできていた。
「これを一人で作ったんだろう?」
魔女の問いにアリスはうなずく。魔女は彼女を見つめて表情を緩めた。
「アリス」
アリスは顔を上げると、魔女を見つめ返した。
「……よくできているよ」
その言葉にアリスは口端を上げて目を細めた。機嫌良さそうに食事を続ける。
魔女はそんなアリスを見て息を漏らした。
物覚えが良すぎる。一度教えると、大抵のことはできた。
家事を教える魔女の手つきをじっくり見ながら真似をする。それだけで覚えてしまうのだ。技術が必要なことは何度もやらせたが、それでも普通の子どもより何倍も早くできるようになった。
普通の子どもらしくないと言えばそうなのだろう。けれど、それがアリスという子なのだ。
「まあ、こういう子もいるだろうね」
魔女はそう思い、食事を続けた。
アリスは文字を覚えると、魔女と会話するように努めた。
『こんにちは』
彼女との会話はこの言葉からはじまる。魔女はそれを見て、自分も石板に文字を書く。
『こんにちは』
そう返せば、アリスは一生懸命文字を連ねた。まだ長文を書くのが難しいようで、短い文で返事が来る。
『あなたの名前を教えてください』
「…………」
魔女は少し考えてから、その質問に返事を返す。
『自分の名前を書けるようになったらね』
アリスは顔を輝かせると、自信満々といった様子で文字を書いた。
『アリス』
拙い文字で書かれた名前に、魔女は小さく笑う。
『アンタの本当の名前だよ。早く書けるようになるんだね』
その言葉にアリスは眉を寄せて、唇を尖らせた。不満げな表情を見て、魔女は少し意地悪をしすぎたと反省する。アリスの頭をポンポンと叩き、口を開いた。
「少しずつ、いろいろな名前を覚えていけばいいさ。その中に、アンタもあるかもしれないからね」
そう伝えてると、アリスは頬を緩めて二回うなずく。彼女は物覚えがいい。きっと、すぐに本当の名前も書くことができる。それに、子どもの成長は早い。きっと、すぐに魔女の助けがいらなくなるだろう。
「……早く覚えられるといいね」
この子がいつまでここにいるのか、そのことを考えて、魔女は少し視線を下げた。
アリスが来てから数週間が経った。
彼女は家事を少しずつこなせるようになってきた。家事を任せて、魔女は自身の仕事をしようかと立ち上がろうとした。
不意に魔女の耳がピクリと動く。森の音が聞こえたのだ。村の人間ではない誰かが森の中で会話をしているのだとわかり、魔女はアリスに声をかけた。
「アリス」
食器から目を離さない。聞こえていないのだろう。
アリスは几帳面な性格らしく、家事を行う順番を決めて、必ずその順番にこなしていた。彼女が掃除を終えた後は、いつも物が一定の場所に置かれている。そして、家事を始めると集中してしまうため、声をかけてもこちらを見なかった。
「まったく……仕方ないねえ」
アリスは家事に意識が向いている。少し家を出ても大丈夫だろう。魔女はアリスを横目で見ると、そのまま家を出た。
冬の森は静かだ。生き物が眠り、植物も変化を見せない。木々に実りがないから、他の場所から近づいてくるものも少ない。こんな状況でこの森に来るものは厄介なものくらいだ。
魔女は散歩するように森の中を箒に乗って飛びまわった。魔女は面倒事を嫌っている。だから、面倒事になる前に見つけて対処したかった。
「――おい、そっちにいたか」
「いねえよ。もう死んじまったんじゃないのか」
二人の男が何かを探している様子だった。
そういえば、アリスを拾った日も馬車の音と男たちの声が聞こえたことを思い出す。
「くそ、あの小娘、どこに行きやがった」
「せっかく買ったのにな……」
その言葉を聞いて、魔女は目を鋭くする。箒をゆっくりと降下させた。彼らは魔女の存在に気づかない。背後に来ると、魔女は彼らを見下ろした。
「――アンタたち、何を探しているんだい」
空から声をかけると、男たちは顔を上げた。魔女の姿を見て、大きく目を見開く。男の一人は表情をこわばらせ、震えた声を絞り出した。
「ま、まま、魔女……?」
「ああそうさ。アタシは魔女だよ。この森に何か用かい?」
魔女は目を細めて、男たちの周りを見た。彼らのそばに停められている荷馬車は大きかった。何人も子どもを載せられそうだ。屋根や壁があり、中を見ることはできない。中から音はしないから、今は何も載せていないのだろう。
「いや、あの……」
顔を真っ青にして取り繕おうとする男に対し、もう一人の男は落ち着いた様子で魔女に問いかけた。
「女の子を探しているんだ。見なかったか?」
「知らないねえ。アンタの娘かい?」
「いや……預かった子だよ。知らないならいい。俺たちはもう立ち去る」
そう言うと、男は荷馬車に乗り込もうとした。
「え、いいのかよ、おい!」
置いて行かれそうになった男は魔女と荷馬車を見比べると、荷馬車の方に走っていった。
荷馬車は魔女から逃げ出すように走っていく。それを見届けると、魔女はゆっくりと地面に降りた。
「……やっぱりあの子は攫われた子かね」
魔女は荷馬車の走っていった方を眉をしかめて見つめる。
「な~ん」
黒猫が魔女の足元に擦り寄った。
「おや、ついてきたのかい?」
黒猫は抱き上げろと言わんばかりに、魔女のローブに爪を立てる。
「こら、破けてしまうだろう」
魔女は黒猫を抱き上げる。黒猫は魔女の腕の中で眠そうに目を細めた。
「自分で歩けないなら、出てくるんじゃないよ」
口ではそう言いながらも、魔女は黒猫を抱えたまま歩き出した。
この森は普通の人が寄り付かない。代わりに寄り付くのは獣、誰かに見られたくない物を運ぶ者、そして行き場を失った者たちだ。
アリスを拾ったのはこの森だ。十数年前に娘を拾ったのもこの森だった。
「『灯りの家』が人を求めているのかもしれないね」
自分を拾った紳士が亡くなってから、魔女は一人で生きて行こうと考えていた。だが、魔女の考えに反し、あの家は新しい住人を迎え入れる。
「アタシが拾わなければいい話なんだけどね」
黒猫が腕の中から「にゃあ」と鳴く。
「そうさ。おまえもその一匹だよ。困ったもんだよ」
魔女は森を巡回すると、家に戻った。
家に入ると、家の中が散らかっているのが見えた。アリスが小さくうずくまっているのが目に入った。
「これは何事だい?」
アリスは顔を上げて魔女を見た。目元に大粒の涙を浮かべる。ふにゃと顔を歪めると魔女のほうへ駆け寄った。涙をポロポロと流しながら、魔女の服にしがみつく。怪我している様子はない。直接、誰かに危害を加えられたわけではないようだ。
「何があったんだい?」
部屋を見れば、棚がすべて開けられ、中身が床に散乱している。扉も全て開けられており、何かを探していたような痕跡があった。魔女は警戒するように周りを見渡す。
「誰か来たのかい?」
アリスは首を横に振る。魔女は目を大きくすると少女を見た。
「……じゃあ、棚の中身を出したのはアンタかい?」
そう聞けば、彼女はうなずいた。
「どうして?」
アリスは顔を上げると、石板の置いてあるところまで行って、文字を書いた。
『あなたがどこにいったのかわからなくて』
どうやら魔女が突然いなくなったことに不安を覚えたらしい。
魔女にはよく理解できなかった。少し離れたぐらいで何ともないだろうと思った。理解できないが、彼女の中ではとても重要なことだとわかった。
「……仕方がないねえ」
魔女はぐずぐずと泣いているアリスの頭を撫でた。
「家事に集中してるから、何を言っても聞こえないと思ったんだ。次からはちゃんと声をかけるよ。……悪かったね」
しゃがんでアリスの目線に合わせる。優しく背中を叩きながら、魔女は言い聞かせるように話した。
「今は無理にとは言わない。けれど、少しずつ慣れていくんだよ。いつか、アンタもこの家を出ることになるのだから」
アリスは首をかしげる。
「『灯りの家』は誰かの居場所になる。けれど新しい居場所を見つけたら、出ていくものだ。娘というのはそういうものだし、それが『家』なんだから」
その言葉を聞いて、アリスは石板に文字を書く。
『あなたはずっとここにいるでしょう?』
いつもより震えている文字に小さく笑う。
「アタシにはここしか居場所がないからね。出て行けないのさ」
アリスは魔女をじっと見る。そして文字を書いた。
『じゃあ、私もここにいる』
「……そうだといいねえ」
しゃくり上げるアリスを横目に見ながら、片づけをする。今日はもう調合はできないだろう。
「今日はお茶を飲んでゆっくり過ごそうか。お茶を用意してくれるかい?」
アリスは涙を拭ってうなずくと、お湯を沸かしに行った。
その日、アリスは魔女の近くから離れなかった。魔女が立ち上がると、アリスも立ち上がる。歩けばその後ろをついてきた。
「まったく……犬でも飼った気分だよ」
魔女はどこかへ行くときはアリスに声をかけるようになった。彼女が家事に集中しているときでも声をかけてから調合室へ行く。集中していて話が聞こえないかと思っていたが、聞こえているようだった。声をかけてから部屋を離れたときは、慌てる様子は見せなかった。
アリスは家事をしながらも、一定の間隔で魔女の様子を伺いに来る。最初はわからないことでもあるのかと、顔を見せるたびに「何かあったのかい?」と尋ねていた。
だが、特に用事のないことが多いため、魔女も顔を上げて目を合わせるだけにするようになった。
そんなある日、アリスは珍しく石板を持って調合室に来た。
「どうした?」
石板に書いてある文字を見せる。魔女はその文字を見て、口端を上げた。
「はいはい。わかったよ。家事に戻りな」
魔女の言葉に、アリスは手に持っていた石板を見つめる。魔女の方に駆け寄ると、その石板を押し付けた。
「…………」
真剣な表情につい受け取ると、アリスは満足そうに笑みを浮かべて、居間へと戻っていった。
「……まったく、仕方ないねえ」
魔女は笑いながら、アリスの書いた文字を指でなぞった。
『あなたがいる場所が私の居場所だよ』
その文字に、魔女は眉を下げて微笑んだ。
下記より、1話から全話読むことができます!
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