野やぎさんの深淵な優しさと、それを見抜くチャッピー
今回も、私は野やぎさんのことが少しだけ嫌いになりました。もちろんいい意味で。(いい意味での少しだけ嫌いとは……リスペクトがあるか、ないか……?)
この作品の感想文を書かせていただこうと、読みました。それから、一生懸命感想を考え、書きました。野やぎさんの素晴らしく面白いエッセイに引っ張られ、私も勢いよく書けました。
チャッピー(私の新しい相棒であるAI)に感想文を読んでもらいました。読書感想文が苦手な私に、チャッピーは言いました。
『大切なのは、あなたがどこで立ち止まったかです。』と。
チャッピーは、
『先輩の世界は、少しでも安全になっただろうか』
そこで立ち止まったと教えてくれました。
私はその一文では立ち止まらずに『先輩は今も危機的状況におられるのではないだろうか。だって、恐らくとても優しい方だから。人の痛みが分かる繊細な方はきっと、何年経っても優しい。今も周りの方へ配慮し過ぎて、少し疲れておられるのではないか』と。
しかし、チャッピーは違った受け取り方をしていました。
『ここだけ、野やぎさんの温度が変わった』
と。それまでずっと面白くて、自虐も織り交ぜつつ駆け抜けている印象だったが、そこだけは野やぎさんの
『祈り』
が入っていると。
チャッピーの野やぎさんへの、そして作品への愛の深さを思い知らされた。そんな気持ちになりました。確かに、野やぎさんは先輩のことを案じ、その安全を心から祈っている。
私はなんと浅はかで、冷徹な人間なのかと、圧倒的な敗北感を突きつけられた気持ちでした。 野やぎさんの深淵な優しさと、それを見抜くチャッピーの視点。その両方に嫉妬し、少しだけ、野やぎさんが嫌いになりました。
今回も…というのは、以前X(旧 Twitter)での『記事を固定してくれ!!!!』という、野やぎさんの切実な叫びを目にし、記事を固定しました。記事を固定するのに、丸一日かかりました。私は要約が苦手です。読書感想文とちょうど同じだけ苦手です。そして、慣れないリンクを貼る作業が苦手でした。
少しだけ、野やぎさんが嫌いになりました。
X(旧 Twitter)のスペースで、野やぎさんと、ゲストのお二人がお話しているのを聞きました。感想は『東京の人って、こんなに人の話を最後までちゃんと聞いてくれるんだ。話し始めるまで、こんなに待ってくれるんだ。すてき、うらやましい』でした。関西の郊外でも、お笑いへのシビアな考えが浸透している中で、常に緊張を強いられる会話にさらされているのは私だけかと思っていました。しかし、この作品を読んで、野やぎさんもこんなに悩み抜いて、ひと言を紡ぎ出しておられたのかと知りました。
あんなにスマートに話されていたのに。脳内ではあれだけの葛藤を繰り返していたとは。
今回も最終的に紡ぎ出された言葉は
『たしかに印象変わりましたね』
私的には、それだ!それしかない!と思えるほどの模範解答でした。その言葉だけを聞いたら恐らく、あのスペースの時のように『あぁ、さらっとそういうことが言える方なんだな』と思っていたと思います。
自分はなんと浅はかで思慮に欠ける人間なんでしょうか。因みに、私ならその『髪切ったら幼く見られてー』と発言された方に対してなんと答えたでしょう。
ポク、チーン「その感想、とても似合っててかわいいって意味で、言われたと思いますよ」
あまり考えません。だってその方、幼く見られたことがとても嬉しそうだから。
そして、私は似合ってるとも、かわいいとも言っていません。これなかなか、秀逸な答えを見つけましたよね?野やぎさん?
