委任の第三の波──人はなぜAIに"判断"を預け始めたのか

「AIに任せる」という言い方を、最近よく耳にするようになった。まるで人類史上はじめての経験であるかのように語られがちだが、実はこれ、私たちがずっと昔からやってきたことの延長線上にある——と言ったら、驚くだろうか。

「AIに任せる」という感覚は、実は目新しくない

朝、スマホのアシスタントに「今日の天気は?」と聞く。渋滞を避けるルートをカーナビに選んでもらう。献立に迷ったらレシピをAIに考えてもらう。こうした小さな「お任せ」を、私たちはもうごく自然にやっている。

でも、よく考えてみると、人間は昔から「自分の手に負えなくなった判断を、誰かに預ける」ことを繰り返してきた生き物だ。マンションの管理組合は細かい運営を管理会社に任せるし、老後の資金は運用のプロに任せる人も多い。「AIに任せる」という今の感覚も、実はこの長い「お任せの歴史」の、いちばん新しいバージョンにすぎないのではないか——これが今回考えてみたい仮説だ。

歴史を大きく振り返ると、「任せる」の波は少なくとも二度あった。一度目は「私たち市民から、行政(役所)へ」。二度目は「会社の持ち主(株主)から、経営者へ」。そして今、三度目の波として「人間から、AIへ」という任せ方が広がり始めている。過去の二つの波が、なぜ起きて、何を失い、それをどう手なずけてきたのかを見ておくと、三度目の波の正体がぐっと見えやすくなる。

しかも三度目の波は、思っている以上に生活の奥深くまで入り込んでいる。文章の下書きを任せる、問い合わせへの一次対応を任せる、日程調整や情報収集を任せる——気づけば私たちは、以前なら人に頼んでいた作業の多くを、すでにAIに預け始めている。だからこそ、この「任せる」がどういう性質のものなのか、今のうちに整理しておく価値がある。

任せることの歴史① 私たちは、細かいことを役所に任せてきた

たとえばマンションの管理組合を思い浮かべてほしい。総会で決めるのは「大きな方針」だけで、日々のゴミ出しルールの細かい運用や、清掃の段取りは管理会社に任せている。住民全員が毎日集まって細部まで話し合っていたら、マンションの管理はまったく回らないからだ。

国と役所の関係も、これとよく似た構造をしている。法律の大枠は国会が決めるが、実際に私たちの生活を縛っている細かいルール——食品の表示基準、建物の細かな安全基準、業界ごとの許認可の運用など——の多くは、国会議員が一つひとつ議論して決めているわけではなく、その先にある役所の規則(政令・省令など)のレベルで決まっている。「大枠だけ決めて、細かい運用は任せる」というやり方は、政治学では委任立法と呼ばれている。理由はマンションの管理組合とまったく同じで、全部を国会だけで決めるのは物理的に不可能だからだ。

ただし、この「任せる」には代償もある。選挙で選ばれたわけではない役所の人たちが、実質的に生活のルールを作っているとすれば、「誰が決めているのか、私たちにはよく見えない」というモヤモヤが残る。これは委任立法をめぐって昔から指摘されてきた問題で、「任せすぎではないか」という議論が絶えないくらい、根の深いテーマだ。

とはいえ、任せたら任せっぱなし、というわけでもない。国会には役所の仕事ぶりをチェックする仕組み(国会での質疑や、情報公開の制度など)が同時に用意されてきた。マンションの管理組合が、管理会社の仕事ぶりを総会で報告させ、必要なら見直すのと同じだ。「任せるけれど、丸投げはしない」——この工夫は、この後の話に何度も出てくる大事な伏線になる。

任せることの歴史② 私たちは、お金の運用を専門家に任せてきた

もう一つの「任せる」の例が、お金の世界にある。投資信託がわかりやすい。自分のお金がどの会社の株に投資されているか、一人ひとりが細かく指図する人はまずいない。「増やしておいてください」とプロに任せて、あとは結果を見るだけだ。会社そのものも同じ構造をしている。株式会社は本来、お金を出した株主のものだが、実際に経営判断を下しているのは株主本人ではなく、雇われた専門の経営者だ。

創業した本人が経営の第一線から退き、外から招いた専門経営者に舵取りを任せる、という光景は今や珍しくない。株主総会で意見を言う機会はあっても、日々の値段設定や人事、取引先選びにまで口を出す株主はまずいない。「口は出せるけれど、実際にはほとんど出さない」——この距離感こそが、「任せる」ということの本質だと言ってもいい。

そしてここにも、役所の話と同じ種類の代償がある。任された経営者は、必ずしも株主の利益だけを考えて動くとは限らない。自分の評価や報酬、社内での立場を優先してしまうこともある。これは「任せた側」と「任された側」の思惑が完全には一致しないという、"お任せ"につきものの緊張関係だ。確定申告を税理士に任せたら、想定より高い報酬を請求された、というようなすれ違いも、規模は違えど根っこは同じだと思うと分かりやすい。

この緊張をやわらげるために発達したのが、取締役会や株主総会といったチェックの仕組みだ。任せるからこそ、任せた相手を見張る仕組みも同時に用意しなければならない——マンションの例とまったく同じパターンが、お金の世界でも繰り返されてきたわけだ。

ここまでの二つの「任せる」には、共通点がある。任せる相手が、常に「人間」だったという点だ。だからこそ、選挙で落とす、株主総会で経営者を交代させるという、人間相手だからこそ効く"にらみ"が(完璧ではないにせよ)機能してきた。


▼あわせて読む

・今週、何をやったか思い出せない人へ。ChatGPT Workでつくる「週次レビュー」

https://note.com/poliplus/n/ncc28addb2b67

・1本の動画を複数媒体へ展開するAI運用設計――人間に残す判断と責任

https://note.com/poliplus/n/nfa84bc37af7a

▼このテーマのまとめ

・AI×発信ノウハウまとめ

https://note.com/poliplus/n/ncd6194c20727

では、任せる相手が人間ではなく、AIになったとき——この"にらみ"はどうなるのだろうか。ここから先が、今回いちばん考えたいところになる。

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