西国街道(近畿)その13 西宮市内
京都から中国地方を通って太宰府へと向かう西国街道の近畿部分を歩いたレポートの「その13」です。
今回は兵庫県西宮市内を散策しました。
前回に訪れた「日本三體厄神」である門戸厄神東光寺の1.5kmほど西には廣田神社が鎮座しています。平安時代のリスト延喜式神名帳に載る式内社の中でも格の高い明神大社、しかも「二十二社」の1つに定められている神社です。二十二社っというのは、国家の重大事や天変地異などの際に朝廷から特別に奉幣を受けた神社たちのことです。やっぱり京と奈良に多いのですが、京洛・南都以外ではここ廣田神社と伊勢神宮、住吉大社、日吉大社だけがその22人の選抜メンバーに入っています。

廣田神社の境内には伊和志豆神社が祀られています。こちらも式内社です。元は南東1.5kmほどの所に鎮座していましたが、大正6年に廣田神社に合祀されました。

廣田神社が鎮座しているのは西宮市大社町で、その西の町名は城山です。ここには戦国時代にお城がありました。管領細川高国に仕えていた西宮・芦屋界隈の領主であった瓦林正頼が永正13年(1516)に築城した越水城です。その後、三好氏に奪われたり瓦林氏が奪い返したりを繰り返しますが、天文8年(1539)に三好長慶が居城として、やがて畿内を(首都圏を=当時の感覚では天下を)掌握し、長慶が(高槻市に)芥川山城を築いて引っ越すと越水城には側近の松永久秀が入りました。長慶の死後に久秀と三好三人衆が争って三人衆が優勢となった永禄9年(1566)には、三人衆に推戴された足利義栄が阿波から上陸して入城し、ここから(その6で立ち寄りました)摂津富田の普門寺に移って2年後に第14代将軍の宣下を受けたのでした。
三好長慶が居城として、織田信長も利用した越水城跡ですが、大社小学校の脇に城跡碑と説明板があるのみで、遺構は何も残っていないと言っても過言ではありません。東の防衛ラインに利用された廣田神社とその東の御手洗川、城跡の西にあるニテコ池を眺めて、その間に築城されたんだなぁっと想像を膨らませるのみです。越水城が築城されてその東の防塁の役目を背負わされた時には、廣田神社はハナハダ迷惑に思ったことでしょう。戦国期には寺社が城塞に組み込まれる事はよくあるパターンではあるのですが。 上町筋・谷町筋その2で書きました真田丸でも、西国街道その2の勝竜寺城でも、その11の有岡城でも同じようなことが行われましたよね。

ちなみに、越水城の西のニテコ池は古くからあった池を城の堀に利用したっというのではありません。「えべっさん」こと西宮神社に重要文化財指定の土塀がありますが、豊臣秀頼がそれを造営する際にここから土が採取されて、その窪地が池になったのです。 そして「火垂るの墓」で兄妹が住んでいた横穴は、この池の畔にあったんだそうです。

ニテコ池の西側の丘の上には名次神社が鎮座しています。小さな神社ですが、ここも平安時代のリスト延喜式神名帳に掲載されている式内社です。

名次神社から西へ400mほど歩くと北から夙川が流れてきていて、川に沿って2駅しかない阪急甲陽線が走っています。 夙川駅と北にある終点の甲陽園駅の間にある苦楽園口駅の駅前でモーニングを食べに行きました。向かったのは上島珈琲店さんの本店です。
チェーン店の1号店に行くのも好きな私。西国街道その9でミスタードーナツさんの1号店にも行きましたが、全国にチェーン展開する上島珈琲店さんの1号店がここ苦楽園本店なのです。このお店はUCC上島珈琲が展開する喫茶店です。喫茶チェーンの中では私が個人的に好きなお店。スタバほど若者向けではなく、ドトールほどカジュアル過ぎず、ベローチェほども高級っぽくないように思います。コメダは年配の方の憩いの場っぽいし、サンマルクに入ったらパンを食べないといけないように感じるし(笑) あと、当たり前ですがコーヒーが美味しい。ネルドリップで淹れられています。ハンドドリップではなく大きなマシンですが。
この本店に伺ったのは2回目です。 自宅からは遠いのに、東京のコレド日本橋店とか京都の四条烏丸店の方がよく行っています。 クロックムッシュと黒糖ミルクコーヒーのモーニングセットを頂きました。チーズはモッツァレラ・ゴーダ・パルメザンの3種類が使われているんだとか。美味です。 上島珈琲店さんでは大抵は黒糖ミルクコーヒーを注文してしまいます。他の喫茶店でも自宅でも缶コーヒーもブラックしか飲まないのに。

まったりモーニングの後、北へと歩いて洋菓子店に向かいました。ケーキと焼き菓子のツマガリさんの本店です。 昭和61年(1986)創業の、阪神間では有名なお店ですが、本店の他には大阪大丸と神戸大丸にしか出店されていません。到着するとお店の前の行列が2列に分けられていました。ケーキ用と焼き菓子用の行列。焼き菓子も買いたかったのですが、熟考の末にケーキの方に並びました。 店内には大勢の従業員さんが立ち働いています。ケーキ作りの作業場に9人、ケーキのショーケース内側と焼き菓子コーナーに8人、お店前の行列整理に1人。小さなお店に18人もの従業員さんが忙しく働いていました。これ位の人員が必要なくらい繁盛しているのでしょう。ケーキ作りの作業場に入った新入りは他のスタッフとぶつかりまくるんじゃないかって思います(笑) ツマガリチーズタルト、かぶとやま、シュー・ア・ラ・クレームを購入。和菓子のようなネーミングの丸い「かぶとやま」は、お店の北方にある甲山をイメージしたものなのでしょう。
それぞれ決して安くはありませんが、お値段に背かない美味しさです。お会計の際、おまけにクッキーを1枚つけてくれました。焼き菓子も食べたかったので、なんとも嬉しいサービスでした。そしてこのクッキー、表面はカリッとしているのに中はホロホロッとしていて絶妙な食感! わざわざケーキとは別に並ばせるのが理解できる美味しさでした。

西へと歩いて越木岩神社に立ち寄りました。高さ10mもある甑岩(こしきいわ)と呼ばれる巨石が御神体の神社です。こういった巨岩や山や滝などの自然物を御神体として崇めるのは古い信仰の形態です。岩の名前の甑(こしき)というのは酒造りに使われる道具の1つです。 かつて豊臣秀吉も、豊臣家を滅ぼした後の徳川秀忠も、この巨岩を切り出して大坂城の石垣に使おうとしましたが、石を切り出す職人たちに災いが起こって使用を諦めたっというイワレがあります。

越木岩神社の300m西に小さな苦楽園神社が鎮座しています。越木岩神社の境外摂社(境内の外にいる子分)となっているこの神社には龍神様が祀られています。っというのも昔この神社の裏には滝があって、社殿の前には池があったんだとか。住宅地となっている今では想像できませんが。
苦楽園では大正の頃に温泉が発見され、旅館が立ち並ぶ観光地となって保養地・別荘地にもなったんだそうで、俳人の山口誓子もこの地に住んだんだとか。 ですが(谷崎潤一郎の「細雪」にも描かれている)阪神大水害で温泉が枯れてしまって、その後は高級住宅地になったとのこと。温泉地であったというのも現在はイメージするのが困難ですが。

阪急夙川駅から線路沿いに東へと歩いて西宮北口駅に着きました。駅前には兵庫県立芸術文化センターがあります。阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして2005年に開館しました。 毎年12月に「1万人の第九」が行われますが、そこでタクトを振られている指揮者の佐渡裕さんがこのセンターの芸術監督です。 演奏会のポスターが貼られていました。佐渡さんは還暦を越えられていますが全然そんな感じには見えません。

かつて西宮北口の駅前には西宮球場がありました。私も何度か野球観戦に行ったことがあります。阪急ブレーブスの試合や(関西大学vs関西学院大学の)関関戦など。子供の頃から阪神ファンの私ですが、パリーグでは阪急を応援していました。生まれ育ったのは南海沿線なのですが。そして何故か子供の頃はロッテオリオンズの野球帽をかぶっていたのですが(笑)
いま阪急西宮球場の跡地には商業施設「西宮ガーデンズ」があります。その5階には小さな記念スペースがあって、西宮球場のジオラマ模型や阪急ブレーブスの様々な展示があります。 前回に立ち寄るのは遠慮した、甲子園球場近くのBARを経営されている「世界の盗塁王」福本豊さんや「史上最高のサブマリン投手」山田久志さん、2度の首位打者になった加藤英司さんのもの等の展示があります。


西宮ガーデンズ近くのお店にランチを食べに行きました。洋食とワインのお店 土筆苑さん。ツクシエンさんです。念のため。 カニコロ&ハンバーグを注文。カニコロうまっ!ハンバーグは結構しっかり目。ワインもウリのお店ですが、ワインを飲んでしまうと午後から歩くのがイヤになるかもしれないのでビールにしました。「バゲットにつけて下さい」っとポーションタイプのオリーブオイルも出てきました。コーヒーに入れるポーションミルクのスジャータの製品。こんな物も作ってるのかぁ。初めて見ました。

このお店には「成長ハンバーグ」という企画があります。小学生以下の子供は(半年以内の)次回の来店時に背が伸びた分だけ1cmにつきハンバーグを1個もらえるっというもの。5cm伸びていたら5個のハンバーグがお皿に盛られるっという訳ではなく、冷凍のパックにした物をもらえるシステム。西宮市民には有名らしいのですが、私はつい最近ソレを知りました。もっと早く知ってたらなぁっと思います。

阪急の線路沿いに更に東へと歩いて行くと日野神社が鎮座しています。ここは先述の瓦林氏の城跡。ここに城を築いていた瓦林正頼が越水城を新築して引っ越したっという経緯です。神社の境内になっているので本丸跡や土塁(土の城壁)東の堀跡の水路も確認できます。少し前まで西側には田んぼがあって、湿地に築かれた城の雰囲気を感じることが出来たのですが、今ではそこには住宅が建ってしまっています。残念ながら。 線路の南側には瓦林氏の菩提寺である極楽寺もあります。



ここから南西へ3km以上がっつりと移動して、海沿いに出ました。御前浜には旧西宮砲台跡があります。跡とは言いながらも、東京のお台場や(紀州街道その3で訪れました)堺台場のように石垣があるだけの跡地ではなく、ここには砲台自体がキッチリと残っています。もちろん大砲はありませんが。 この砲台は勝海舟の立案で文久3年(1863)から3年をかけて建造されたもの。二層目には四方を狙う砲眼が並んでいます。海側だけで良いのでは?っとも思いますが陸側にも穴があります。 が、この穴から砲弾が撃ち出されたことは一度も無かったのでした。





砲台跡の北側へと移動して、灘五郷の1つ西宮郷を巡りました。ここは前回に立ち寄った実質的に大関酒造1つしか残っていない今津郷とは違って何軒もの酒蔵が立ち並んでいます。
宮水発祥之地の碑があります。碑の近くには大関・菊正宗・日本盛・白鷹・沢の鶴・辰馬本家などの宮水井戸(取水地)が集まっています。




日本の湧き水では珍しく硬度が非常に高く、カリウムやリンを多く含んでいて鉄分が少ない宮水は、天保8年(1837)に山邑太左衛門によって発見されました。西宮郷と魚崎郷に酒蔵を持っていた太左衛門は、全く同じ原料と工程なのに西宮の蔵で造る方が美味しいことに気付いて、この宮水が酒造りに適している事を発見したのでした。
っという事で、宮水のお膝元の西宮郷の酒蔵を巡ります。

日本盛さんは明治22年(1889)の創業。清酒売上のベスト10に入る大企業には立派な酒蔵通り煉瓦館が建っています。 「寶娘」の大澤本家酒造さんは明和7年(1770)に堺で創業して昭和29年に西宮郷に移ってきたんだとか。 すぐ隣りには「徳若」の万代大澤醸造さんがあります。



文久元年(1861)創業の國産酒造さんでは「灘自慢」を醸造。 明治17年(1884)創業の松竹梅酒造さんは経営難となった時期に京都の宝酒造の傘下に入った経緯があって「松竹梅」の銘柄は宝酒造に残ることになり、現在は「灘一」の銘柄を醸造しています。 本野田酒造さんは寛政3年(1791)創業の蔵ですが阪神淡路大震災の被災以降は休造となり「金鷹」は白鷹酒造での委託醸造となっています。 天保4年(1833)創業の木谷酒造さんの銘柄「喜一」は創業者の名前が由来なんだとか。 以上の4軒では残念ながら購入することが出来ませんでした。




「島美人」蔵元の北山酒造さんは普通のご家庭のような感じの会社入口。玄関の壁にあるベルを押すと普通のご家庭の奥さんのような方が「は~い」っと階段を降りて来られました。思わず「回覧板で~す」っと言いそうになりました(笑)


文久2年(1862)創業の白鷹さんは、現在では日本で唯一の伊勢神宮御料酒献上の酒蔵です。

「白鹿」の辰馬本家酒造さんは寛文2年(1662)の創業。立派な酒造博物館や記念館があります。





宮水の取水井戸は狭いエリアに集まっています。元はもっと広いエリアで宮水を汲むことが出来たのですが、阪神高速の建設などで海水が混じるようになったり、工業地帯に近いので水質が悪くなった所があったりして、常に検査・管理をしながら大切に保全されています。っという展示も。

博物館と記念館の近くには辰馬喜十郎旧邸もあります。明治21年(1888)の瀟洒な建築です。

蔵で買えるところは買おうっと思って巡ると、ちょっと買い過ぎてしまいました。そんなに吞兵衛ではないのですが(笑)


夕食を食べるために再び阪急西宮北口駅に戻りました。RYU-RYU Primoさん(リュリュ・プリモ)へ。ランチを頂いた土筆苑さんのすぐ近くです。リュリュさんは「その12」で立ち寄った宮っ子ラーメンさんと双璧をなす(?)西宮市民の御用達。1977年に創業して、兵庫県下を中心に15店舗ほどを展開するローカルチェーンのスパゲティ屋さんです。ここがその第1号店。牛スジのカルボナーラを頂きました。 実は私の個人的な好みで言うと、ここのアルデンテよりももう少しだけ茹でられた方が好きなのですが。 ただ、牛スジがピッタリ合っているカルボナーラのソースは間違いなく絶品でした!


この日はちょっと食べすぎました。しっかり歩きましたが消費カロリー以上に摂取しているのでしょう。間違いなく。
まぁ細かいことは気にしないで食べたいものを食べましょう(笑)
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