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崩壊直後のベルリンの壁を見た話|1990年ヨーロッパひとり旅

※1990年のヨーロッパひとり旅のお話です。

ベルリンの壁を見る

ベルリンの次はやはりハノーヴァーに行くつもりで、列車の時刻表を見ると、ベルリンでは3時間半ほど過ごせるようだ。
(*え、3時間半しかいないの?)

ゆっくりはできないので、壁博物館 Museum Haus am Checkpoint Charlieだけ見ようと決め、地下鉄に乗った。
(*「壁の博物館」と呼ばれる施設は複数あり、この時私が行ったのは現在「チェックポイントチャーリー博物館」と呼ばれている博物館でした)

道路の真ん中にあるのがチェックポイントチャーリー(=国境検問所)

ここには、たくさんの人が壁を超えるために細工した様々な物ー自動車やオルガンや家具などが、写真とともに展示されている。

チェックポイントチャーリー博物館の窓から見たベルリンの壁

ひととおり見終わるあたりには、テレビが置かれており、ベルリンの壁崩壊の時のビデオを繰り返し流していた。

壁の上にたくさんの若者が立ち、手を振り上げている。

淡々と展示されていた事柄の意味を、私は本当に理解できただろうか。

「私にはわからない。わかろうとしても本当に理解することはできない」

なぜか、とてもかなしかった。
私の知らないことだけど、涙が出て、とても辛かった。

「私は、なんにも知らないんだ」

ロビーへ戻って絵葉書を買おうかと考えているところへ、日本語が聞えてきた。

「ねえねえ、これどう思う?」
「えー、何それ?」
「ねえ、こっちの方がもっと怖そうだよ」
「ほんとだー!あ、これもいいね!」

三人組の女の子が、絵葉書を選んでいるのだった。

静かな館内に、声がよく響く。

彼女たちがそれぞれ絵葉書を買って出て行くまでの時間が、私にはひどく長く感じられた。

壁には落書きがされ、削っている人もいました

カイザー・ヴィルヘルム記念教会

再び地下鉄に乗って駅へと戻る。
車内は、静かで暖かかった。

大通りにはカイザー・ヴィルヘルム記念教会が、戦禍を受けたままの姿で立っている。

1990年は外観を見ただけ。2025年は中に入りました

なんだか私、小さいなぁ。
なんだか惨めだ。

しなければいけないことが、たくさんあるように感じた。

旅の始めの1週間は、迷って泣いただけで過ごした。
迷ったら人に訊くべきだということ、そしてあまり人を当てにしてはいけないということが、身に染みてわかった。


【2026年の私から】
2025年の旅でも、再びベルリンを訪れました。
チェックポイントチャーリー博物館にも行きましたが、ずいぶん規模が大きくなっていたように思います。
東西ドイツの分断や鉄のカーテンにまつわる展示だけでなく、様々な分断、差別、戦争、テロなどをテーマにした展示室もありました。
1990年の私は、楽しげに絵葉書を選んでいる同年代の日本人女子グループの様子に違和感を感じたようですが、今の私から見ると、そう感じる私自身がやはり未熟だったなと感じます。

1990年の写真では、空は白く写っています。カメラの性能のためか天候のためか…。
2025年のベルリンでは幸い天候にも恵まれ、美しい街だなと感じました。

駅前の近代的なビルcube berlin
チェックポイントチャーリー(コンテナ車で隠れてますが)とアメリカ兵の写真
変わらぬ姿のカイザーウィルヘルム記念教会
壁の芯だった鉄棒が残るベルナウアー通り
1989年11月9日まで壁が東西ベルリンを分断していました
「ベルリンの壁 1961-1989」
アート?な感じのビル
緑の芝生が美しい公園でした
ブランデンブルク門

35年で変わったこと変わらないこと|1990年と2025年のヨーロッパを旅して【バックパックひとり旅】」にも書きましたが、ベルリンの街の雰囲気は、35年でだいぶ変わったように私は感じました。

まあしかし、1990年はたった3時間半しか滞在してなかったわけで…。
“35年の時を超えて比較する”なんて本当はできないかもしれません。

それでも、1990年に感じたベルリンの空気と、2025年に歩いたベルリンの景色。
そのどちらも「ベルリンの記憶」として、私の中に確かに残っています。


別記事で、1990年と2025年の風景比べをしています。

また、1990年と2025年、ふたつの旅のエピソードをそれぞれマガジン▼にまとめています。


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