takemotti「Action-ZERO」のこと
ゲンロン友の会非公式総会@北海道「おんまる」で頒布されたtakemottiさんのエッセイ本『Action-ZERO』についての感想記事です。本書のタイトルの元ネタは『仮面ライダー電王』の二号ライダー、仮面ライダーゼロノスのキャラソン『Action-ZERO』から。ぼく自身は最近のニチアサ特撮、ウルトラマン他作品についてオンタイムで追いかけられていないですが、こと平成仮面ライダーについてはクウガからゼロワン(令和ライダーですね、ゼロワン)くらいまではオンタイムで追っていました。そして、年齢的にはもちろん、ユリイカ・特集:平成仮面ライダーを読んでいたというわけです。したがって、現役を退いているとはいえ、似たようなジャンルを眺め、近しい界隈にいた一人として、本書を読みました。
既に購入いただいた方、本当にありがとう。
— takemotti (@AndWalls) October 5, 2025
引き続き宣伝ですが、BOOTHにてエッセイ&ポストカードの事後通販スタートしました。
特撮批評を封印しエッセイに挑戦しました
テーマは私の過去
かつて所属したオンラインサロンでの出来事
仕事での挫折と復活を書きました。
よろしくお願いします pic.twitter.com/1RPWGjOJw7
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さて、本書は筆者であるtakemotti(以下、敬称略)が、かつて所属していたオンラインサロンでの出来事や、主催とその主著をめぐりながら、自らの人生の挫折と復活をテーマとしたエッセイであり、批評や論考というジャンルで書かれたものではない。しかし、ここで挙げられているオンラインサロンや、その主催による他のプロジェクトが、とりこぼしたものについて捉えている文章である。
と、ここまで固有名詞を避けて書いてきたが、takemottiから別に問題ない旨のコメントもあったので、固有名詞を挙げてしまおう。オンラインサロンとは批評家・宇野常寛が主宰するPLANETS CLUBであり、本書は宇野常寛が提示してきたいくつかの提言が、ほんとうにその通り動いているのかを突きつける内容であった。
宇野のここまでの仕事については、ぼくもいくつかの文章で言及しており、かつ「おんまる」で頒布した北海道論もまた、ある種の「郊外物語論」(宇野常寛,ゲンロンβ1所収,コンテクチュアズ,2010)へのアンサーとして書いた部分がある。宇野の仕事における提言・理念は確かに、多くのインターネットユーザーを正しい道へ戻すような意味合いが大きく含まれている。特にTwitter(現X)上に見られる諍いや欲望の連鎖に対するブレーキとして機能することが期待されているものもあるだろう。一方で、宇野の言説がインターネット(特にTwitter)を離れた世界、彼の手や目が届かない世界でも有効かどうかについては議論が必要である。というよりも、宇野の言説が本来届くべき相手は、宇野とは違う世界の見方をしている人類なはずだ。具体的にはJTCあるいは国内の中小企業で働くサラリーマンだったり、インターネットに頻繁に接続しない人だったり、二次産業・三次産業従事者だったりするはずだ。遅いインターネット以後の宇野の言説に合わせるのであれば「Somewhere」な人々である(この命名自体はイギリスのジャーナリスト、デイヴィッド・グッドハートによる)。ともすれば既得権益を保持したり、飲み会で取り巻きと悪口を言う人「でも」各々が庭にアクセスできる、制作にあたることができる、という状態がなければ、宇野のいう「労働」と「行為」を結びなおせる社会は現れないだろう(そういう社会から独立するのが「風の谷」なのかもしれないが…)。
takemottiの人生のうねりと、宇野のサロンや著書、イベント等とのつながりはぜひ「Action-ZERO」を読んでいただきたいが、その具体性から立ち上がる宇野の理念への批判は極めて有効だったと思料する。もちろん、ここにおける批判は否定・非難ではなく、どのように宇野の理念を実装できるか、という問いとして機能する。それを機能させるのは宇野自身というよりも、ぼく自身を含む宇野の読者だろう。『仮面ライダー電王』における時の電車デンライナーは、過去と未来をつなぐタイムマシンである。電車、線路というかたちをとることで、時というものに分岐がある、ということを分かりやすく視覚化したガジェットだ。宇野による「庭」に対応する表現のひとつとして、プラットフォームから離れた交通空間というものがあるが、線路はまさしく交通空間のひとつである。本書はtakemottiの過去と現在をつなぐと同時に、人々が自分を取り巻く言説や環境とコミュニティをどう繋ぐのかという問いとして機能しているのだ。
なので、みんなもポチッと購入だ!
これまで書いた宇野常寛に言及のある文章
