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早く起きた旅行の朝は その2

→→→前話→→→

 本䏻寺ほんのうじを過ぎて府道37号を渡り、寺門通りを北上したら、周囲のお店や家に『下御霊神社』と印刷された紙が貼ってある。
 散歩を続けると、その神社にたどり着いた。
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下御霊しもごりょう神社 7:02

御祭神:本殿八座
崇道すどう天皇 (早良親王さわらしんのう桓武天皇の弟。藤原種継ふじわらのたねつぐ暗殺のかどで配流の途中、薨去)
伊予(豫)親王いよしんのう(桓武天皇と藤原吉子の皇子。兄・平城へいぜい天皇の御代に謀反の罪で幽閉、服毒死)
藤原吉子ふじわらのよしこ(藤原大夫人。伊予親王の母。伊予親王と共に謀反の罪で幽閉、服毒死)
藤原広嗣ふじわらのひろつぐ(藤大夫とうだいぶ。玄昉・吉備真備を重用する朝廷に不満を持ち『藤原広嗣の乱』を起こす。敗北のち斬刑)
橘逸勢たちばなのはやなり(きつ大夫。三筆の一人。皇太子恒貞つねさだ親王を擁して謀反を企てた(承和じょうわの変』)として流罪、途中で客死)
文屋(室)宮田麻呂ふんやのみやたまろ(ぶん大夫。筑前守の任を解かれた2年後=承和の変の翌年、謀反の疑いで伊豆に流刑。その後不明。)
吉備聖霊きびのしょうりょう(吉備真備の説もあるが、下御霊神社では上記六座の和魂にぎみたまとしている)
火雷天神からいのてんじん(下御霊神社では上記六座の荒御魂あらみたまとしている)

 いずれも無実の罪などで非業の死を遂げた方々の霊を鎮めるためにお祀り。

また天中柱皇神あめのなかはしらのすめがみとして、ご本人さま生前のご希望で合祀された霊元れいげん天皇も相殿にいらっしゃるそう。

社号標
御由緒

 【御霊】と聞くとソワソワ、ちょっとワクワクしてしまうのは、天満宮の御祭神・菅原道真公に子どもの頃から馴染みがあるからだと思います。
 自分は高校・大学と書道の授業を取っていたので、橘逸勢さんは馴染みがある名前なんですが…まさかのこんな所でお見かけするとは。

 ちなみに御由緒にもある『上御霊神社』と御祭神が若干異なります(伊予親王、藤原広嗣、吉備聖霊→井上大皇后いのえのおおいきさき他戸おさべ親王、吉備真備)。なんでだ。

本殿

鉾が両側にあるのは
あまり見たことがないかも
持って帰った時にシワが入っちゃった…

  拝殿にはお神輿が鎮座。

本殿からみた神輿 (小さい方)
本殿から見た神輿 (大きい方)

 (一応)保護のため白塗りにしていますが、個人名やお店の名前が書かれた紙・御神酒がずらり。
 神社に来る前に見た張り紙は、こちらに奉納した証なんでしょうね。ほぼ全ての建物に貼ってあったけど。

本殿に向いた時の神輿
1枚目の神輿(小)の反対側
本殿に向いた時の神輿
2枚目の神輿(大)の反対側

 2026年は5月1日に神幸祭、5月24日に還幸祭だそう。行ったのが16日だから、お邪魔虫にならなくてよかった…。

江戸時代の絵図

五社・大国主命事代主命社(と、お猫サマ)

五社:左から日吉社・愛宕社・高知穂社・大将軍社・斎部社

五社(左)と大国主命 事代主命社(右)
お猫サマはどこにいるかわかりますか?
ここにおはします(^ω^)
ちょうど良い場所

天満宮社

御祭神はもちろん 菅原道真公

稲荷社・猿田彦社・山崎闇斎(相殿)・柿本歌聖(相殿)

稲荷社(右)と猿田彦社(左)
猿田彦神輿
山崎闇斎やまざきあんさい先生
猿田彦社の相殿に垂加社として合祀、とある

 山崎闇斎 江戸時代の儒学者・神道学者。スタートは禅僧だが、朱子学を学んで還俗、のち神道を学んで、儒学と神道を合体させた垂加神道を提唱。…日本史の教科書では本居宣長などの国学を全面に出しているが、実は山崎闇斎の垂加神道の方が尊王攘夷の下地なのでは…?とか。

 柿本歌聖、すなわち柿本人麻呂の方は気付かなかった…

鳳輿舎

案内は 拝殿にありました

宗像社

 写真を撮っている時に、地元の方が2名ほどいらっしゃってご挨拶してくださいました。おはようございます。地元の方に大切にされている神社なのがよくわかります。
…しかし、朝早いですね。(普段だとまだ起きていない時間 笑)

 本当は本殿に向かって左側に、神明社・八幡社・春日社の三社託宣社があるそうですが、今回気付かずスルー…すみません。
 お神輿に気を取られましたゎ。

 さて、気を取り直して散歩に戻りましょう。
下御霊神社さま、お邪魔いたしました。ありがとうございます。

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 時刻は7:12。丸太町通にさしかかります。

→→→ その3へ続く


 

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