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「働きたい人を支える」は誰の意思か―年収の壁と所得連動給付のねじれ

低所得者の生活水準が高まること自体に、反対する理由はない。

生活保護や公営住宅、医療費負担の軽減によって、困窮する人が以前より安定した生活を送れるようになる。
それは社会保障の成果であり、支援を受ける人の生活が改善されることを、不公平として責めるべきではない。

問題は、そのすぐ外側にいる労働者の生活が、十分に守られていないことにある。

地方では、フルタイムで働いても生活に余裕を持てない賃金水準にとどまる仕事がある。そこから家賃、社会保険料、医療費、車の維持費を負担する。
公的支援の対象になるほど所得は低くないとされながら、病気や車検、家電の故障が一度重なれば、家計は簡単に崩れる。

こうした層へ、所得に応じた補助を行うという発想そのものは妥当である。

しかし、現在進められている所得連動給付は、低所得勤労者の生活を守る制度であると同時に「年収の壁」を越えてもっと働いてもらう制度としても説明されている。

この二つの目的は、同じ方向を向いているようで、必ずしも一致しない。

「希望どおり働ける」という説明

政府は「年収の壁」対策を、短時間労働者が壁を意識せず、希望に応じて働ける環境を整える政策として説明している。

社会保険料の負担が発生することで手取りが急に減り、本当は勤務時間を増やしたいのに抑えている人はいる。
その不合理を解消することには意味がある。

だが、政策は同時に、短時間労働者の被用者保険への移行や労働時間の延長を促している。
企業が労働時間の延長などによって短時間労働者を社会保険へ加入させる場合には、事業主への助成制度も用意されてきた。
年収の壁を意識せず働けるようにする政策は、企業側から見れば、既存の短時間労働者から今より多くの労働時間を得る政策でもある。
「年収の壁」への対応|厚生労働省

つまり「年収の壁」対策は、労働者の不利益を取り除く政策であるだけでなく、非正規労働力をより多く市場へ供給させる政策でもある。

ここで使われる「労働者の希望」という言葉には、偏りがある。

短時間勤務を選ぶ人が、全員もっと働きたいと考えているわけではない。
育児や介護だけでなく、健康、自分の時間、仕事の責任との釣り合いを考え、その勤務時間を選んでいる人もいる。

労働者の意思を尊重するなら「もっと働きたい」という意思だけでなく、「この程度の時間にとどめたい」という意思も、同じように尊重されるはずである。

ところが政策が積極的に取り上げるのは、労働時間を増やす方向の意思である。

「人手不足を補うため、短時間労働者にもっと働いてほしい」と正面から言えば、企業や労働市場側の都合が前面に出る。
そこで「働きたいのに制度に阻まれている労働者の意思をかなえる」という説明に置き換えられる。

名目上の主語は労働者だが、政策上の重心は労働力の確保にある。

壁を越えさせながら、低所得を補う

一方で、現在検討されている所得連動給付は、中低所得層に対して、所得情報を利用したきめ細かな給付を行う構想である。
社会保障国民会議 給付付き税額控除等に関する実務者会議(第19回)議事次第|内閣官房

2026年7月16日の社会保障国民会議実務者会議では、2029年度から「所得に連動したきめ細かな給付」を本格導入する方向を示した中間取りまとめ案が公表された。

給付付き税額控除の典型的な設計では、働き始めの所得帯では、勤労所得が増えるほど給付も増える。
一定の水準に達すると給付額は横ばいになり、さらに所得が増えると、給付は徐々に減っていく。

無収入から就労へ移る人に対しては、一定の効果が期待できる。
働けば賃金だけでなく給付も増えるなら、就労参加を促す方向に働く。

しかし、それがすでに週3日や週4日働いている人を、週5日勤務へ移すとは限らない。

たとえば、週4日働いた賃金が月16万円で、給付を加えれば20万円になるとする。週5日に増やしても、税金と社会保険料が増え、給付が減ることで、最終的な手取りが21万円にしかならないのであれば、追加の1日を働かない選択は十分に合理的である。

手取りが逆転する必要はない。

1日分の労働を追加しても生活に使える金額が1万円しか増えないなら、所得ではなく時間を選ぶ人は出てくる。通勤費や仕事中の食費、疲労まで含めれば、本人が感じる差はさらに小さくなる。

これは怠惰でも、不正受給でもない。

給付を含む可処分所得と、自分の時間とを比較して、本人にとって有利な方を選んでいるだけである。

生活保障が機能すれば、労働の必要は弱まる

低所得給付によって生活水準が確保され、本人がそれ以上働かないこと自体を、社会的な失敗と決めつけることはできない。
給付によって、健康や家庭生活を犠牲にせず暮らせるようになるなら、生活保障政策としては成功したともいえる。

だから、問題は「給付を受けると人が働かなくなる」という道徳的な話ではない。
問うべきなのは、政策側がその結果を成功とみなすのか、失敗とみなすのかである。

低所得者の生活を安定させることが第一の目的なら、給付を含む生活水準に満足し、労働時間を増やさない人が出ることも受け入れなければならない。

反対に、非正規労働者の労働時間を増やし、人手不足を補うことが第一の目的なら、給付によって追加労働の必要性が薄れることは、制度上の問題になる。
両者は、自動的に両立する目標ではない。

それにもかかわらず、現在の議論では、低所得者の生活保障、年収の壁への対応、就労促進が、一つの制度によって同時に実現するかのように並べられやすい。

実務者会議では、所得の増加に応じて給付を増減させる仕組みと、年収の壁への対応、就労促進との関係が、同じ制度設計の中で検討されている。
生活保障と労働供給という異なる目的が、すでに構想段階から一つの給付制度へ組み込まれているのである。
社会保障国民会議 給付付き税額控除等に関する実務者会議(第14回)議事次第|内閣官房

制度の弱点は、働き控えを完全に防げないことではない。
何を政策の成功とするのかが、整理されていないことである。

崖をなくしても、勾配は残る

所得連動給付をめぐっては、ある所得を超えた途端に給付が大きく失われ、働いても手取りが増えない「給付の崖」が問題にされる。
給付を突然打ち切らず、所得の増加に応じて緩やかに減らせば、明確な段差は小さくできる。

しかし、崖を滑らかにしただけでは問題は終わらない。

所得が増えるたびに税金と社会保険料が増え、同時に給付も減るなら、追加で稼いだ金額のうち、実際に手元へ残る割合は小さくなる。
崖がなくても、勾配が急であれば、労働時間を増やす見返りは薄い。

さらに、給付込みで本人が必要とする生活水準に達すれば、所得を増やす必要そのものが弱まる。

したがって「年収の壁をなくしても、新しい壁ができる」というだけでは正確ではない。

生まれるのは、新しい境界線だけではない。給付、税金、社会保険料、労働時間、余暇を組み合わせ、本人にとって最も都合のよい所得帯を選ぶ行動である。
103万円、106万円、130万円という分かりやすい壁を取り除いても、今度は給付を最も効率よく受けられる所得帯が、新しい目安になる。

制度が精密になれば、人もまた精密に適応する。

言葉が行動をつくる

権丈善一は、多くの論者が社会保険加入の境界を「壁」と呼び続けることを「予言」と捉え、それを信じた人々が就業調整する状況を「予言の自己実現」と表現している。
「専業主婦の年金3号はお得だ」って誰が言った?|kenjoh

制度上の損得だけでなく、制度をどう呼び、どう説明するかが、人の行動をつくるという指摘である。

この指摘は、所得連動給付にも当てはまる。
政府が、どの所得帯でどれだけの給付を受けられるかを示せば、人々はその制度を前提に働き方を決めるようになる。

どこまで働けば給付が最大になるのか。
どこから先は、給付の減少と保険料負担によって見返りが薄くなるのか。
勤務を一日増やした場合、実際に手元へ残る金額はいくらなのか。

その計算をすることは、制度の悪用ではない。
制度が示した条件に従う、予測可能な行動である。

それを後から「新たな働き控え」と呼び、労働者の姿勢の問題として扱うのであれば、制度設計の責任を本人へ転嫁することになる。

一つの制度に多くを背負わせすぎている

藤谷武史は、給付付き税額控除を労働政策として用いる際の制度的課題を論じ、その目的として就労促進、低賃金労働者への支援、子育て支援や社会保険料負担への対応など、性格の異なる複数の機能を整理している。
日本労働研究雑誌 2010年12月号(No.605)|労働政策研究・研修機構(JILPT)

どの目的を置くかによって、給付単位や対象所得、制度設計が変わるという議論である。

生活が苦しい人を支えることと、働いていない人を就労へ移すことと、すでに働いている人の労働時間を増やすことは同じではない。
無職の人が短時間でも働き始めることと、週4日働く人が週5日に増やすことも、異なる行動である。

就労参加を増やすことと、一人当たりの労働時間を増やすことを、ともに「就労促進」と呼んでしまえば、制度が何に成功し、何に失敗したのかさえ分からなくなる。

現在の所得連動給付は、一つの給付曲線に多くの役割を負わせすぎている。

所得だけを見れば、原因は見えない

現在の所得額だけを見ても、なぜその所得になったのかは分からない。
同じ年収250万円でも、フルタイムで働いてなお賃金が低い人と、比較的高い時給を得ながら自発的に勤務時間を減らしている人とでは、状況が異なる。

勤務先から十分なシフトを与えられない人もいる。育児、介護、病気のために働ける時間が限られている人もいる。
給付を前提として、それ以上の勤務を引き受けない人も出てくるかもしれない。
所得額だけでは、そこに至った経路は分からない。

熊野英生は、給付付き税額控除の先行例で低所得者による不正受給が発生していることを挙げ、制度に伴うモラルハザードを問題にしている。
経済格差の考察:給付・減税の限界(中) ~給付付き税額控除の問題点~ | 熊野 英生 | 第一ライフ資産運用経済研究所

ただし、所得を低くする方法は申告上の操作だけではない。残業を断る、勤務日数を減らす、給付を含めて十分だと考え、それ以上の仕事を引き受けないことも、所得を低い水準にとどめる。
これらは一律に不正とはいえない。所得だけを給付基準にするなら、所得に応じて働き方を調整することは、制度内の正当な選択である。

だからこそ、個人の道徳ではなく、制度がどのような行動を促すかを問わなければならない。

そして、所得が低くなる原因は、労働者側の事情や選択だけにあるわけではない。
十分な時間を働いても所得が低いのであれば、その背景には、勤務先が設定する賃金の低さもある。
所得が低いという結果だけを公費で補えば、労働者がなぜ低所得なのかだけでなく、その低所得を生み出している雇用側の構造まで覆い隠される。

ジェシー・ロススタインは、米国の勤労所得税額控除について、就労参加を促す効果だけでなく、給付が減る所得帯で労働時間を増やす誘因が弱まることや、労働供給の増加を通じて給付の一部が雇用主側へ帰着し得ることを指摘している。
給付付き税額控除、その目的と課題を考える|NIRA総合研究開発機構

給付がどの程度企業側へ移るかは、最低賃金、企業間競争、転職可能性、人手不足の程度などによって変わる。
給付がそのまま企業利益になると断定することはできない。

それでも、労働者の生活不足分を公費で補えば、企業が賃金を大きく上げなくても人材を確保できる可能性は生じる。
所得連動給付だけを導入し、最低賃金、価格転嫁、非正規待遇、正規転換といった企業側の責任を弱く扱えば、結果として低賃金雇用を温存することになりかねない。

所得額だけを見る制度は、労働者がなぜ低所得なのかだけでなく、企業がなぜ低賃金を維持できているのかも見えにくくする。

原因を審査すれば、制度は監視になる

では、行政が「本当はもっと働けるのか」を個別に審査すればよいのか。
それも簡単ではない。

本人の健康状態、家庭事情、介護負担、勤務先が提示したシフト、複数就業の状況まで確認し「働けるのに働かなかった」と「働きたくても働けなかった」を区別しようとすれば、制度は急速に監視的になる。

一定時間以上働く人だけを支援すれば、勤務先から十分な時間を与えられない人や、やむを得ない事情で短時間勤務を選ぶ人が排除される。

反対に、本人の事情を広く認めれば、給付を前提に勤務量を抑えた場合との区別は難しくなる。
数年分の所得、労働時間、社会保険加入、雇用契約、複数の勤務先をすべて照合するには、大きな行政コストもかかる。
非正規雇用は勤務時間や契約が変動しやすく、記録だけで実態を捉えられないこともある。

所得だけでは粗すぎる。しかし、所得が低い理由を細かく判定しようとすれば、制度は複雑になり、恣意的な選別へ近づく。

ここに、所得連動給付の別の難しさがある。

継続所得は答えではなく、補助線である

それでも、単年度の所得だけで恒常的な給付を決めるより、過去の所得履歴を参照する方が合理的な部分はある。

今年だけ勤務を減らした人、一時的に所得が落ちた人、何年働いても低所得から抜けられない人を、すべて同じように扱う必要はない。

たとえば、現在の所得に応じた基礎給付は維持したうえで、低所得状態が複数年続いている人には追加の支援を行う。

一時的な失業、病気、離婚、休業などによる急減は、別の緊急支援で迅速に補う。所得が上昇した場合も、給付を突然打ち切らず、一定期間をかけて縮小する。

この形であれば、現在困窮している人を放置せず、短期的な所得変動と長期的な低賃金をある程度区別できる

低所得の継続期間を見るのは、受給者の人格や勤労意欲を審査するためではない。
単年度の所得という一枚の写真では捉えられない、長期的な生活困難を把握するためである。

給付制度が導入された後に、急に労働量を減らして対象へ移る行動を抑える効果も期待できる。
現在の所得を少し下げただけでは恒常的な加算を得られないなら、給付を目的とした短期的な所得調整は割に合いにくくなる。

ただし、継続所得も万能の判定基準ではない。
長期間所得が低いことが、十分に働いても低賃金だった結果なのか、長期間勤務を抑えていた結果なのかは、所得履歴だけでは分からない。

継続期間は、現在所得だけで判定する制度の粗さを補う材料にはなる。
だが、それだけで本人の事情や給付の妥当性を判定したことにはならない。

答えではなく、補助線として使うべき基準である。

誰の希望をかなえる制度なのか

ここまでの問題は、労働者が制度に合わせて行動することではない。
その行動を一方では「自由な選択」と呼び、他方では「働き控え」と呼ぶ、政策側の都合にある。

低所得勤労者への支援は必要である。
しかし、その正しさだけで、制度の目的と効果を曖昧にしてはならない。

給付によって必要な生活水準を確保できれば、それ以上働かない人は出てくる。
その選択を認めるなら、制度は生活保障政策として評価すべきであり、人手不足を解消する手段として過大な期待を置くべきではない。

それを「働き控え」として問題視し、さらに労働時間を増やすよう誘導するのであれば、尊重されていたのは労働者の意思一般ではない。
政策側が必要とする方向へ、労働時間を増やす意思だけである。

年収の壁を越えさせ、短時間労働者の労働力を追加で使いたい。
一方では、低所得者の生活を給付によって支えたい。

二つの目的を同時に掲げること自体はできる。
しかし、両者が衝突したとき、どちらを優先するのかを示さなければならない。

生活保障を優先するなら、給付によって労働時間を減らす自由も認める必要がある。

労働力供給を優先するなら「労働者の希望」という言葉で包まず、人手不足対策であることを正面から説明すべきである。

現在の制度構想の最大の弱点は、新たな働き控えを完全に防げないことではない。

生活保障と労働力確保のどちらを目的とするのかを曖昧にしたまま、双方を「労働者の意思」という一つの名目で正当化していることにある。

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