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長編小説「3色だんごの子連れ旅」 1-1

 遠くから何やら地響きが聞こえてきた。

 ズドドドドドドド…………

 ところどころが剥げて地表がむき出しになっている草原、広大な緑の絨毯には、ぽつりぽつりと低い樹木が生えている。ぽっかりと開けた水辺には草食動物もしくは争いを好まないモンスターたちが水をのむために訪れているかもしれないが、身を隠すための植物すらないこの場所では、そこまで激しいことは起こらないはずだった。

「馬かイノシシか、それともモンスターの大群か」

 木に寄りかかって寛いでいた男はそうつぶやき、上半身をむくりと起こした。二度ほど大あくびをして目元をこする。男は短髪で、ミルキーなピンク色をしていた。長身で引き締まった体躯の男。

「よっ……と」

 するすると木に登り、様子を伺った。
 向こうの土埃……もうもうと煙が立ち込めて見えにくいが、男の煌めくスピネルのような赤い瞳は、しっかりと物事を捉えていた。

「…………子供、が、追われている……?」

 ピンク頭の男は目を見開き、ためらうことなく木から飛び降りた。
 ドッシンと重量感のある音がして、地面にけっこう大きなクレーターが現れた。重いのだ。この男の重量が、見た目に反して。
 だが男は振り向くこともせずに大群に向かって走り出した。

 大草原の上空を飛んでいた鳥たちは不思議に思っただろう。
 緑のなかに現れた、ピンク。
 一直線に、ピンク色が、突き進む。
 光……いや、音……いや、わりと速いスピードで、突き進む。

 追われていた子供をさっと男が抱きかかえ、くるりと方向を変え、再びわりと速いスピードで戻っていった——……。


 半刻が過ぎたころ——そのころには、例の大群は男と子供が身を隠した樹木の下を気づくことなく素通りし終わっていた——男は詰めていた息をようやく吐いた。

「ふぅ……なんとか無事だったな。大丈夫か? お前」
「…………」
「良かったな。もうさっきのモンスターたちはどっかに行ったよ。お前もとりあえず血は出ていなさそうだな? それとも、どっか怪我したか?」

 ピンク髪の男はそう言うと、ずっと抱えていた子供をちらりと見やった。
 もそもそと子供が動き、男のほうへ顔を向けた。

 泥と土と汗と何かでとてつもなく汚い、子供だった。
 男はぎょっとして思わず手を離した。

「…………んー」

 子供の髪はとても長く、淡い緑がかった色のウェーブヘアを腰のあたりでひとつに束ねていた。前髪は汗でへばりついており、顔をほとんど覆っていたのだが、隙間から見える瞳は宝石のような緑をしていた。

 子供はおっきな口をあけ、それからあくびをした。

——この状況で、あくびかよ!

 男は心のなかでツッコんだ。なかなかのマイペースっぷりだ。

「……おい、怪我は……?」
 男がおそるおそる尋ねると、子供は
「…………んー。ない、と思う。痛くない、と思う」
 とこたえた。そして再び大あくびをした。

 男は気を取り直して周囲を警戒してみたが、どうやら平穏な状態に戻ったらしい。地響きも、唸り声や遠吠えもなく、いたって静かでいつもの草原になったようだった。

 そもそも何故こんな幼い子供がモンスターに追われていたのだろうか、と至極もっともな疑問をもって男が見下ろすと、淡い緑の髪の子供は何かを抱えていた。

「……それ、なんだ?」

 男は引きつった表情で尋ねた。子供が、眠いのかぼんやりした顔をして、抱えていたブツを見せてくれた。

——げぇっ! これは、何かの肉塊じゃねぇか……!

 動物なら鶏だろうか、血は滴っていないが、適切に処理をしてカラッと揚げ焼きにでもしたらめちゃくちゃ美味そうな、そういうお肉だった。むしろ、男も食料としてほしいと思った。

「美味そうだな、それ……」

 モンスターたちも狙っていたのか、そのお肉。
 だから追われていたのか、お前。
 そんな想像もできちゃうくらい上質な食材を手にした子供は、木の上で男に抱きかかえられながら、こっくりこっくりと船をこぎはじめた。

——おーい! 寝るなぁー!

「おーいっ! 寝るなぁーっ!」

 思った瞬間に叫んだ。男は悩む。ぐぬぬ……と頭を抱えて悩む。

 男の名前は、レンという。
 レンはずっと長い間旅をしていた。たったひとりで誰の助けも借りずに。先ほどのような、何かに追われている何か、という場面に鉢合わせたことは数知れず。レンは、追われているからと言って闇雲に追っている者たちを「悪者」とみなすことはしない主義だった。追われている者を助けることはするけれど。

——だって、見ないふりは、できねぇし

 追われている者が野盗、山賊、極悪人と思えばすぐに見限るが、助けが必要な者だと思えばとりあえず助けてみる。これは旅人の処世術。感謝されて施しを受けられれば御の字だ。一宿一飯は最高の施し。食材をいただくことだって大変助かることだ。見返りがほしくて助けるわけじゃないけれど、誰かを助けることは気分がいい。社会とつながっている感覚になる。

 だが、目の前の寝落ち寸前の子供ははたしてどっちだろうか?

 追っていたモンスターたちの食料を盗んだのかもしれん。それにしては罪悪感の欠片もないやつだ。どのような状況でも睡眠をとれることは旅人として能力が高いと思うが、だからといって敵か悪人かも分からん大人の男のとなりで、こんなに……(すでに寝はじめたぞ)こんなに、寝こけたら。

 ……死ぬぞ、おまえ。

 大きなため息。レンは、ぐったりとして樹木からそっと降りた。
 もちろん淡い緑の子供を起こさぬよう、最大限の配慮とともに。

——ツッコみ疲れた。むしろ、どこからツッコんだらいいのか分からん

 雄大な草原のなかの一本の樹木。そこにタープと簡易テントをこしらえて、レンはとりあえずここで一晩明かすことにした。夜に移動するのは死にに行くようなものだ。日が沈む前に寝る支度をして、夜明けとともに動きはじめる。カンテラで暗闇でも明かりを灯すことはできるが、できるだけ燃料は温存すべし。

 レンは巨大なリュックサックから荷物を出し、手際よく準備をした。
 子供はすやすやと眠っている。
 火を起こす。子供の抱えていた謎の肉を炙るといい匂いがたち込めた。

 串焼きのための金属串に、じゅわっと肉汁が滴った。
 大口あけて、レンが肉塊をほおばろ……

「たぁ——べぇ——るぅ——」

「……えっ」

 ぱっくん、もぐ、ごくん。

 一瞬、一瞬目を離した隙に、寝ていたはずの子供に肉を盗られた。

「げぇ——! お、お前っ! おれの肉……!」
「おいしーい! おなかすいたぁー! もういっこぉー!」
「……嘘だろ」

 汚い顔のままの子供が、ほっぺたを薔薇色に染めて肉の串焼きにかぶりついていた。口のまわりは脂でべとべとだ。そして良い笑顔だった。レンは仕方なく残りの串を取り出して、せっせと串焼きを増産していった。

「おい、盗人ぬすっと! せめて名前を教えろ」

 がぶりと豪快に肉に食らいつき、レンが尋ねた。今度は子供にも一本渡したあとだったので盗られなかった。子供はキョトンとして小首をかしげる。

「名前……? そんなん、ない」
「ない?」
「……うん。……忘れた」

 記憶喪失かと思うほど、子供は嘘をついているようには見えなかった。レンは深くは詮索せずに、ボリボリとピンク色の頭をかく。子供はあまりに小さく、レンはうつむいた少女を見下ろす格好になる。

「……じゃあ…………ミントだ」

 淡い緑色の髪を眺め、レンは小さく言った。

「ミント……? それ、ミントのこと?」

 少女、ミントは己を指さしてレンに問う。レンがうなずくと、ミントはぱぁっと明るい笑顔になった。

「気に入ったー! ミントはいまからミントだぁー! あっ、おっちゃんは名前、何ていうの?」

 レンは無表情で自分の名前を教える。
 おっちゃん、ね。もうツッコむ気すら起こらない。

「レンだ」
「わー、レン。レンね! ミントと、レン!」

 ミントはくふふと脂いっぱいの口で笑い、それから嬉しさのあまりレンに抱きついた。肉の匂いに混ざって、汗や泥や土などのかぐわしいフレグランスが漂ってきて、レンは顔をそむける。

——とりあえず、寝て、とりあえず、明日は水浴びからだ……!


 固い決意だった。


 ゆるやかにとろとろと地平線に陽が沈んでいく。レンの瞳のように染まる赤い空がやがて紫となり、紺を経て、黒へと変化する。

 一日の終わり。
 旅人はその日旅人たちとなり。
 彼らは、世界の片隅で、眠りについた。


(つづく)


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