なぜ「ノートルダムの鐘」は最高傑作と呼ばれるのか:音楽の構造から読み解く
ディズニー映画の音楽で何が一番好きかと聞かれたら、多くの人は『アラジン』の「ホール・ニュー・ワールド」や『アナと雪の女王』の「レット・イット・ゴー」を挙げるのではないでしょうか。
ところが、ディズニー音楽に詳しい人々の間では、こんな声が繰り返し聞こえてきます。「音楽だけなら『ノートルダムの鐘』が圧倒的に最高」。
1996年に公開されたこの作品、正直なところ日本での知名度はそこまで高くありません。パークのグッズ売り場でカジモドを見かけることもほとんどないでしょう。それなのに、なぜ「最高傑作」とまで言われるのか。
実はこの映画のサウンドトラックには、他のディズニー作品とは明らかに異質な音楽設計が施されています。今回は「なんかすごい」で終わらせず、その正体を一つずつ言語化してみたいと思います。
そもそも、他のディズニー音楽と何が違うのか
『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』『ライオン・キング』。ディズニー・ルネサンスと呼ばれる黄金期の作品群は、いずれもキャッチーで口ずさみやすいメロディが大きな武器でした。
『ノートルダムの鐘』の音楽は、この路線から完全に逸脱しています。
作曲を手がけたのは、まさにこの黄金期を支えてきたアラン・メンケン。作詞は、後に『ウィキッド』で世界的な成功を収めるスティーヴン・シュワルツです。このコンビが本作で選んだ「音楽的パレット」は、19世紀ロマン派の管弦楽と、中世カトリック教会の典礼音楽の融合という、およそディズニー映画とは思えないものでした。
ベルリオーズやサン=サーンスのようなフランス・ロマン派の重厚なオーケストレーション。そこにグレゴリオ聖歌の響きを持つラテン語の合唱が幾重にも重なります。
そしてこの合唱が、本作の音楽を特別なものにしている最大の要因の一つです。通常のディズニー映画では、コーラスはシーンの雰囲気を盛り上げる「背景」にすぎません。しかし本作の合唱隊は、ギリシャ悲劇における「コロス(歌唱隊)」のように、物語の道徳的な目撃者として、そして大聖堂そのものの意思を代弁する「もう一人の登場人物」として機能しています。
6分間のオープニングに詰め込まれた設計思想
映画の冒頭を飾る「ノートルダムの鐘(The Bells of Notre Dame)」は、6分を超える異例の長さを持つ楽曲です。
実はこのオープニング、当初は通常の語りによるナレーションとして設計されていました。しかしテスト段階で「あまりにも平坦だ」と判断され、シュワルツが大きな転換を提案します。ジプシーのリーダーであるクロパンを語り部に据え、セリフと歌が渾然一体となって物語を展開する「ミニ・オペラ」形式に作り替えたのです。
D短調を基調に、クロパンの怪しげなテナー、フロローの冷酷なバリトン、大聖堂の良心を象徴する大司教の威厳あるボーカルが交錯し、ラストの「怪物か人間か、どちらがどちらか?」という問いに向かって、100人規模の合唱団とパイプオルガン、フルオーケストラが怒涛のクレッシェンドを形成します。
メンケン自身、この導入について「おそらく自分がこれまでに書いた中で最高のオープニングナンバーだと思う」と後年のインタビューで語っています。
「罪の炎」に仕掛けられた知的な二重構造
本作の音楽を語る上で避けて通れないのが、ディズニー史上最もダークなヴィラン・ソングとして知られる「罪の炎(Hellfire)」です。
この曲の核心は、対位法(カウンターポイント)にあります。
厳格な判事フロローが、踊り子エスメラルダへの抑えきれない欲望と、それを認められない自己欺瞞を歌い上げます。フロローが「私のせいではない!」と叫ぶその瞬間、背後の聖歌隊はカトリック典礼の「Confiteor(告白の祈り)」を厳粛に歌い続けています。
フロローが「It's not my fault(私のせいじゃない)」と歌うとき、聖歌隊は「Mea culpa, mea culpa, mea maxima culpa(私の罪、私の罪、私の最も重い罪による)」と歌っている。
この鮮烈な対比について、作詞のシュワルツは自身の公式サイトで「この二重構造を構築する作業は、この上なく知的で楽しいものだった」と振り返っています。
音楽理論的にも、暗さと緊張を極限まで高めるフリギア旋法、不吉な響きを持つ減七の和音、そして足元から這い上がる欲望を象徴するオルガンのペダルトーン(持続低音)が重層的に組み合わされています。
つまりこの曲は、聴いているだけで「なんか怖い、なんかすごい」と感じるように、音楽の構造そのものが緻密に設計されているのです。
本物の教会で、本物の合唱団が録音した音
本作のサウンドトラックが持つ異様なまでの重厚感には、録音環境も大きく寄与しています。
メインのオーケストラはロサンゼルスの大型映画音楽スタジオ「トッド-AOスコアリングステージ」で収録されました。しかし合唱とパイプオルガンの録音は、場所をロンドンに移しています。ロイヤル・オペラ・ハウス合唱団の精鋭メンバー約100人が、ナイツブリッジの「セント・ポールズ教会」で演奏を行いました。
高い天井と大理石がもたらす天然のリバーブ(残響)が、デジタルでは再現しきれない「空気の振動」としてそのまま録音に刻まれています。映画を観ていて感じる、あの「大聖堂の中にいるような」音響空間は、実際の教会建築の音響特性を活かしたものなのです。
ちなみに、「フランスのノートルダム大聖堂で録音された」という話がネット上で見かけられることがありますが、これは事実ではありません。制作チームはパリのノートルダム大聖堂をロケハンしてインスピレーションを得ていますが、本番の録音はロンドンで行われています。
「最高傑作なのに知名度が低い」のはなぜか
音楽の芸術性がこれほど高い作品でありながら、特に日本での知名度が低いのには、いくつかの具体的な理由があるとされています。
まず、日本公開時のタイトル問題があります。原題の「The Hunchback of Notre Dame」に含まれる「Hunchback(せむし)」という表現が日本のメディアでは差別表現として使用を避けられるため、邦題は『ノートルダムの鐘』に変更されました。これにより、原作小説が持つゴシックで重厚なイメージとの接点が弱まったという指摘があります。
加えて、作品そのものが持つテーマの重さも影響しています。赤ん坊の間引き未遂で始まるオープニング、宗教的迫害、ヒロインへの歪んだ執着を歌い上げるヴィラン。当時のディズニー映画に求められていた「明るく家族全員で楽しめるエンターテインメント」からは、あまりにもかけ離れていました。
興行収入を見ても、世界で約3億2,500万ドルと単体では成功の部類に入りますが、『ライオン・キング』の約9億6,800万ドルや『美女と野獣』の約4億2,400万ドルと比較すると差は明らかです。サウンドトラックもBillboard 200で11位と健闘しましたが、『ライオン・キング』の1位には遠く及びませんでした。
つまり、音楽の芸術性が高すぎたがゆえに、大衆的なヒットに結びつかなかった。 この逆説こそが、「最高傑作なのに知られていない」という不思議な状況を生んでいるのかもしれません。
それでも「最高傑作」に異論はある
公平を期すために、批判的な視点にも触れておきます。
本作のサウンドトラックに対する最大の批判は、トーンの一貫性の欠如です。「罪の炎」のような壮絶なヴィラン・ソングの直後に、ガーゴイルたちが歌うコミカルなナンバー「ガイ・ライク・ユー」が突然挿入されます。フロローが狂気に駆られてパリ中に火を放っている最中に、軽妙なブロードウェイ・コメディが展開されるこの構成は、公開当時から「作品のシリアスな芸術性を損ねている」と指摘され続けています。
映画音楽の専門レビューサイトでも、「メンケンが書いた中で最も洗練された最高峰のスコア」と絶賛しつつ、「子供向けブランドの制約がスコアの完璧さを引き裂いている」という評価が並立しています。
興味深いのは、この弱点が後の舞台ミュージカル版で解消されていることです。2014年のアメリカ公演以降、「ガイ・ライク・ユー」は完全にカットされ、ガーゴイルたちはカジモドの孤独が生み出した「脳内の幻想」であることが明確化されました。劇団四季による2016年の日本初演も、この方向性を踏襲しています。
つまり、「ノートルダムの鐘の音楽は最高傑作だが、映画版のパッケージングにはもったいない部分があった」というのが、賛否両方を踏まえた現在の共通認識に近いと言えそうです。
「最も人気がある」と「最も優れている」は違う
本作が「ディズニー音楽の最高傑作」と呼ばれるとき、それは「最も多くの人に愛されている」という意味ではありません。
口ずさみやすさなら『美女と野獣』や『アラジン』の方が上でしょう。カラオケで盛り上がるのも『アナ雪』かもしれません。
しかし、和声設計の複雑さ、オーケストレーションの重厚さ、歌詞の文学的な深み、そして映画全体を貫くライトモティーフ(主題旋律の変奏)の緻密さにおいて、本作は他のディズニー作品とは明らかに異なる次元にあるとされています。
大衆的なキャッチーさを一定程度手放すことで到達した、妥協のないクラシカルな完成度。それこそが、プロの音楽家や映画音楽の専門家たちが「最高傑作」という言葉を使う根拠なのです。
もしまだこのサウンドトラックを聴いたことがなければ、まずはオープニングの「ノートルダムの鐘」から聴いてみてください。6分間、スマホを置いて、ヘッドフォンで。
あの「なんかすごい」の正体が、きっと聴こえてくるはずです。
