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会いたくて、会いに行った春

マシューがアンを迎えに行き馬車で連れて帰る赤い道
リンゴの花のトンネル

信州の故郷ではまだ『赤毛のアン』の世界に出会っておらず
マツダ 三輪トラック GLTB型(1956年式)とよく似た
オート三輪が村に一つあり
ボンネットバスがのんびり走っているような時代でした

以前も書きましたが、1950年に母を結核で亡くし
父子家庭で幼い私を育てるのは大変だから
教室に連れてこられるよう校長と調整してくれた先生がいました

その方は20代前半の女性で、私も小学1年の時に
受け持って頂きました

当時は、バケツに水を入れて持たされ
廊下に立っていることがあったのですが
私の担任は一度もしませんでした

おそらく教鞭だと思うのですが
1950年代の先生達は30cm程度の棒を
持っているのですが担任だけ持っていませんでした

しかし規律は守らせることが出来ます
おそらく、子どもに分かるように話すことが
おできになったのでしょう

教師として働くことへの憧れの
原体験はこの先生なのですが
71年前のことなので、具体的なエピソードは思い出せないのです

不思議な安心感がありました
それは私が託児所代わりにきょうだいと
登校して慣れているからだけでなく
こんな思い出があります

先生が転任され
小学2年になった私達は
放課後に先生に会いたくなり
6人くらい(男女半々)が話し合って
ボンネットバスで20代前半の車掌さんから
切符を買ってバスに揺られて10kmくらい離れた
先生の転任先へ会いに行ったことがあります

不思議と、父も小学2年の担任も
誰にも叱られた記憶はなく
あなた達、来ちゃったの? と
驚いている元担任の様子だけ覚えているのです

田舎のことですから
大人の目はありますので
雑貨店の電話から学校に連絡が
いっていたのかもしれません

子ども達に慕われる、不思議な先生でした



赤毛のアンシリーズは村岡花子訳で育ちました


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