矢作川流域で生きる人たち――森・川・海をつなぐ実践者たち
はじめに|子どもたちが、椎茸を持ってきた
2026年の5月、根羽村の小学生たちが西尾市の海岸へ潮干狩りに来た。
お土産に、椎茸を持って。
根羽村で採れた椎茸を、矢作川の下流に住む漁協の人たちに渡す。根羽村を招待する取り組みはもう10年以上続いているらしい。
誰も「流域経済」なんて言葉は使ってない。でも、その場で起きていたことは、まさにそれだったと思う。上流と下流が、贈り物を持って会いに来る。
前回は、水の流れから矢作川流域経済を考えた。
でも実際に矢作川を歩いてみると、そこにあるのは概念ではなかった。最上流の根羽村では牛を山に放して酪農をしている人がいる。村と都市の間に立つ人がいる。春の香嵐渓にマルシェを立ち上げる人がいる。海辺でハンバーガーを焼いている人がいる。
流域経済は、まず人の顔をしている。そして今は、子どもの顔もしている。
Happy Mountain――森を整える仕事
根羽村で幸山明良さんの仕事を一言で説明しようとすると、すぐに行き詰まる。
酪農家、と言えば正しい。でも足りない。猟師、とも言える。山の管理人、とも言える。でもそのどれかに決めてしまうと、何か大事なものが抜け落ちる気がする。
Happy Mountainでは、牛が24時間365日、山の中で暮らしている。牛舎はない。牛たちは野芝や笹や下草を食べながら、自分で山を歩く。その結果として何が起きるか。笹に覆われていた土地に光が入り、クローバーやオオバコが生える。草の種類が増えると、虫が増える。虫が増えると、鳥が来る。
つまり牛が、森を整えている。
人間が管理するのではなく、牛が動くことで、山が少しずつ変わっていく。幸山さんはそれを見ながら、少し手を入れる。全部コントロールしようとするのではなく、牛や山や雨と相談しながら場を整えていく、という感じに近い。
鹿の話も、この延長にある。増えすぎた鹿は若木や下草を食べ、森の更新を妨げる。だから駆除される。ただ「害獣」として処理するのか、それともその命を食として受け取り直すのか。幸山さんたちが考えているのは後者で、そのストーリーから今年の春に生まれたのが鹿肉をミンチにしてそのまま焼いた「鹿バーガー」だ。
根羽村の山で捕られた鹿が、矢作川を下って、西尾の海辺でバーガーになる。それを食べながら「これ、どこの肉ですか」と聞いた人が、初めて根羽村という地名を知る。食べることが、流域を想像する入口になる。
現代の経済は、すぐに売上にならない価値を扱うのが苦手だ。山が荒れないこと、土が流れないこと、生きものが戻ってくること——こういう価値に、どうお金を流すのか。Happy Mountainはその問いを、牛と一緒に山の中で考え続けている。
ねばのもりと杉山マギー――上流に人を呼ぶということ
「源流の村」という言葉は、少し美しく聞こえすぎる。
実際の根羽村には、林業の担い手不足があり、木材価格の低迷があり、山主の高齢化がある。森はある。でも、その森を見続ける人がいなければ、森は守れない。美しい言葉は、そういう現実を覆い隠してしまうことがある。
マギーこと杉山泰彦さんは、根羽村への移住者として、村と外をつなぐ仕事をしている。関係人口のコーディネート、と説明すると正しいけれど、実態はもっと地道だ。人と人をつなぐ。村と企業をつなぐ。森と都市の間に、会話が生まれる場をつくる。

2017年より、地方と都会の繋がりを支援する株式会社WHEREに参画。
地域PR・移住定住サポート事業等で合計20地域のサポートを行ったのちに、
2018年12月に東京から長野県根羽村に自らも移住。
2019年4月-22年3月までは総務省・地域おこし企業人として根羽村PR戦略担当を務め、
任期中に2年連続社会増を実現し、地域の魅力づくりに貢献。
2020年8月に社団法人を立ち上げ、「村ごこちの良い里山の風景を持続する」活動を行い、
2025年に“nebane”の代表に就任。
nebaneが掲げる「流域経済圏」は、上流が下流に自然を提供し、下流が上流を支援するという一方通行ではない。上流にも価値があり、下流にも価値がある、その交換をどう設計するか、という問いだ。木材、水、体験、物語、関係人口——それらを流域の中でどう巡らせるか。
2026年3月、根羽村で「Forest College Advance in 根羽村」が開かれ、全国から有志が集まって山を歩き、現場の実践者と語り合った。これは単なる研修ではない。「自分の飲んでいる水がどこから来ているか」を、都市側の人間が身体で知る場として機能している。
そして、潮干狩りに来た根羽村の小学生たちは、その次の世代の話だ。
大人が会議室で流域経済を議論している間に、子どもたちは椎茸とアサリを交換していた。理屈より先に、関係が動いていた。
足助・香嵐渓の"中流"――観光地から文化圏へ
上流と下流だけでは、流域は単純すぎる。根羽村と西尾の間に、川は流れている。
豊田市足助。香嵐渓。
香嵐渓といえば紅葉だ。秋になると観光客が来て、飲食店と土産物店が稼ぐ。それ自体は長年積み上げてきた資産だけれど、観光が秋に集中しすぎると、地域の経済は季節の奴隷になる。
2026年4月、「鳩ノ市 vol.2」が開かれた。新緑の香嵐渓に49店舗が出店するマルシェで、その紹介文にこんな言葉があった。「足助好きが集まるマルシェ」。
「観光客を集めるマルシェ」ではなく「足助好きが集まるマルシェ」。この違いは小さいようで大きい。観光地は外から来る人に消費される場所になりやすいが、文化圏は内側に好きな人たちがいて、その熱に外の人が惹かれてくる。足助は今、観光地から文化圏へ変わろうとしているように見える。
流域経済の文脈で言えば、足助は中流の要になる場所だ。根羽村の森の話を受け取り、西尾の海の話につなぐ。上流と下流の間で、人と物と物語が行き交う場所。川がそうであるように、中流は何かを運ぶ場所だ。
西尾の海辺カルチャー――ハズフォルニアという妄想
最初にあったのは、ほとんど冗談だった。
幡豆の海、いいよね。この夕日、カリフォルニアっぽくない? だったらハズフォルニアでいいじゃん。
それだけだった。行政計画でもなく、地域おこしの戦略でもなく、仲間内の軽口から始まった。でも、名前がつくと風景が変わった。風景が変わると人が集まった。人が集まると店ができた。ハンバーガー屋、ジェラート屋、発酵食品の店——どれも「ここでこう暮らしたい」と思った個人が自分で始めた場所だ。
個人店は、ただ商品を売っているだけではない。その人の暮らし方や時間の使い方が、店ににじむ。だから人は、そこへ行きたくなる。
流域経済の視点から見ると、こうした個人店は翻訳装置だ。根羽村の鹿肉やりんごが海辺のバーガーになる。森の話が食べる体験になる。水の話が、カウンター越しの会話になる。上流で生まれた価値が、下流の日常に着地する場所として、個人店は欠かせない。
食べることは、流域を食べること
一色うなぎが「西尾の名産」と紹介される時、矢作川の名前はあまり出てこない。でも、一色うなぎが産地として確立したのは1963年、矢作川の水を養鰻池へ直接引けるようになったことがきっかけだった。うなぎは川の水で育っている。下流の食文化は、流域の水によって成立している。
鹿肉バーガー、抹茶、発酵食品、海苔、うなぎ。並べてみると、全部流域の産物だ。「おいしい」の背景に、水がある。森がある。川がある。
食べることは、流域を食べることだ。そして、何を食べるか、誰から買うか、どんな話を聞いて食べるか——その選択が、上流の森や下流の海とつながっている。
マルシェは経済だけではない
商品だけならネットで買える。食べ物だけならスーパーで買える。それでもマルシェに人が来るのは、そこに人がいるからだ。
「これ、どこで作ってるんですか」「根羽村ってどこですか」「今度、山にも行ってみたいです」——こういう会話は経済指標には表れない。でも地域にとっては、お金と同じくらい大事なものが動いている。信頼が交換され、記憶が交換され、また来る理由が交換される。
僕はこれを「関係通貨」と呼びたい。鳩ノ市が面白いのも、西尾のマルシェで根羽村の鹿肉を出す意味があるのも、そこだと思う。上流・中流・下流が、お互いの存在を思い出す場になる。ローカルなフェスを通して、地域を超えて人が交流するのもその装置になる。西尾の吉良町では毎年5月にフェスが行われている。
山を守るのは誰か
山を守るのは誰か、と問うと、答えはすぐ「全員」になる。でも「全員」と言った瞬間に、誰の仕事でもなくなる。
竹林の問題は、根羽村だけにあるわけではない。上流にも、中流にも、下流の西尾周辺にもある。手入れされない竹林は広がり、日が入らなくなる。管理する人手がなく、お金も流れにくい。ボランティアだけでは続かないし、行政だけでも限界がある。
ここで可能性として考えているのが「片手間人口」だ。専業の林業者になるのでも、移住するのでもない。月に一度山に入る、草を刈る、子どもを連れて森へ行く——そういう薄い関わりの積み重ねが、地域を支える土台になるかもしれない。いきなり大きな雇用を生む話ではなく、まず「関わる入口」をつくること。次の担い手は、そこから生まれる。矢作川流域経済協議会は、そういう担い手を育成し、微小でも報酬を支払える受け皿でありたい。
さいごに 流域で働く未来
根羽村の小学生が西尾の海岸で潮干狩りをした、という話から今回のエッセイを書き始めた。
その子たちが大人になった時、どんな働き方をしているだろう、と考えることがある。林業者でも漁師でもない、でも流域とどこかでつながっている、そういう働き方が増えていくといいと思っている。
森で働く人、水を伝える人、食に翻訳する人、都市から人を呼ぶ人、マルシェをつくる人、写真を撮る人、文章を書く人——それぞれが、少しずつ流域に関わる。nebaneはそのハブになり、Happy Mountainは体験の入口になり、鳩ノ市は人が出会う場になり、西尾の海辺の店は下流で価値を受け取る場所になる。
流域経済を「大きな正解」として語るつもりはない。まだ試行錯誤の途中だし、うまくいかないことの方が多いかもしれない。
でも、根羽村の子どもたちが椎茸を持って海岸に来た、というその一枚の絵は、理屈より先に何かを伝えている。流域は、すでに人をつないでいる。あとは、そのつながりを見えるようにできるかどうか、だ。
著者の藤野 貴教は、西尾ミライ新聞というローカルなZINE形式の新聞も書いています。こちらからお読みください。
