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私がnoteを書く"理由"

 記事を読んでいただき、ありがとうございます。
 noteを始めてまだ1年も経っていない初心者ですが、今回は"自分のコト"を綴ってみたいと思います。


 昨年にnoteを始めてからというもの、多くの面白い記事を読ませていただきました。みなさん本当に自由に楽しみながら執筆されているんだなあというのと、「なんでこんなに文章綴るのが上手なんだろう」と羨ましく思うnote生活を送っています : )

 
 
 そんな日々、最近気になってきたのが、「なぜnoteを書くのだろう?」ということです。

 みなさんの自己紹介文を読んでいると書かれていることも多いのですが、こと”自分”に関してははっきりとしていなかったなあと。

 特に文才もないし、みなさんのお役に立ちそうな情報を書けるわけでもなく、面白い珍妙な経験談を書けるわけでもなく・・・(笑)。それでも「何か書いてみたい」と思うわけなのです。

 
 昨年、ふらっと始めたnote ——。


 普段の生活の中での「気づき」を書ければいいなと思って始めたのはそのとおりなのですが、ではなぜ「気づきを書いてみたい」と思ったのかは明確ではありませんでした。

 自分の中でモヤモヤしていたのですが、仕事も落ち着き、割とゆったりとした時間を過ごせるようになってきたこの頃、その答えが見えてきました。それは何かというと・・・

「今」を生きる人間の息遣いを、「後」の時代の人に感じて欲しいから。

・・・というものです。文字にするとだいぶオーバーな感じがしますが、全然そんな意図はなくて(笑)。


 例えば、私たちが「過去の出来事を知りたい」となったとき、調べて得られる情報とすると、次のようなものかと思います。

①古代のこと ⇒ 粘土板・石碑
②中世のこと ⇒ 文書・書籍・絵画
③昭和・戦争のこと ⇒ 新聞・ラジオ

 上の整理はちょっと誤認があるかもしれませんが、あくまで私の中のイメージということで(笑)。


 ここでお伝えしたいのが、①~③いずれも、「その時代を生きていた個人レベルでの感想や考えを知ること」は到底できないことが多い、のではないかということです。

 ①②はもう、時の政府要人か学者か教会、絶大な才能のある画家くらいしか、情報を残すすべがありません。割と近い時代の③であっても、口伝や手記(残っていれば)くらいしか個人の思いを伺うことはできません。

 
 「その時代の日々の生活の中で、人が何を思い、何を考えていたのか」


それを個人レベルで可能にする機能が、noteにはあると思うのです。


 なにも、noteが歴史資料として役立つ必要はありません。


 「うちのひい爺さんは若いころ、これをみて、こんな風に感じて、こう考えていたんだ」というように、家族の中での話のネタの1つにでもなれば面白いのかなあと。

 その中で、自分の子どもやひ孫など(仮定の話ですが)、後の時代の人に「今を生きる人」として何か残そうと思ったら残せる。

 後の時代の人が「令和の米騒動」について調べものをしているときに、noteに書かれているみなさんの記事にたどり着いて、「個人レベルでの息づかい」を知ることができる。

 そう考えたら、何かロマンみたいなものを感じます。(note記事を紙に残すか、ずっとnoteが機能していることが前提ですが(笑))


 まあでも結局は ”自分が楽しみながら書く” のが一番ですし、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

 とりあえず私には子供が2人いるので、この子たちが中学生くらいになって興味を持ってくれたら、noteの話ができたら面白いのかな~なんて。中学生にもなれば相手にされていない可能性が高いですが(泣)


 以上、「私がnoteを書く理由」でした!
 みなさんの記事もずっと残って、「令和の後の人」にも読んでもらえると楽しいですよね! 私はそう思います : )

 今回もとりとめないですが、最後までお読みいただき、ありがとうございました!



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