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亀戸町のお為さん(嘉永三年)

11 海老蔵、江戸に戻る

 嘉永三年一八五〇年三月十七日、河原崎座にて海老蔵の御目見得公演が行われた。興行名は「難有御江戸景清」ありがたやおえどのかげきよで、海老蔵は景清の他、幡随院長兵衛を演じた。
 見せどころは何といっても景清の「岩戸のだんまり」の場面だ。海老蔵自ら黙阿弥の脚本をいじり、

隠れていた景清が岩戸から出てきた瞬間、闇夜が明けてお天道様の光がさす

という演出を加えた。観客に日本一の海老蔵が帰ってきたことを印象付けるためだ。海老蔵演じる景清は天の岩戸を押し開き、得意の大目玉で大見得を切った。八代目に人気を抜かされても変わらず強気な海老蔵を目の当たりにした観客は、江戸追放にあっても海老蔵は海老蔵だと喜んだ。

 この時共演したのは、四代目市川鰕十郎、二代目市川白蔵、初代市川猿三郎、二代目市川九蔵、五代目市川團之助、四代目坂東彦三郎、初代坂東竹三郎、四代目浅尾奥山、三代目岩井粂三郎、四代目浅尾為十郎、二代目尾上菊次郎、尾上松緑の他、海老蔵の息子たち五人(七代目市川高麗蔵、初代市川猿蔵、二代目市川幸蔵、二代目市川あかん平、三代目河原崎長十郎)である。

 嘉永三年一八五〇年三月十七日 河原崎座にて
「御目見得口上」三代豊国画 著者所蔵


 八代目は前年から決まっている中村座の舞台があるため出られなかったが、海老蔵が挨拶の口上をする一幕だけは掛け持ちして、息子として舞台に上がった。
 海老蔵は長男(八代目)、三男(七代目高麗蔵)、四男(初代猿蔵)、六男(二代目幸蔵)を自分の周りに座らせ、口上を始める前に、

「図らずもお上のご趣意に逆らいまして、八年ばかりの間大坂へ追放となり、この度はお赦しとなって立ち帰りましたが、この大勢の子どもと久々に対面いたした時の心嬉しさはいかばかり。この真っ黒なちっぺいは、わたくし大坂の夜食のかたまりでございます」

と言って末座のあかん平を指し、観客を沸かせた。

(左絵)手前から「五代目海老蔵」「初代猿蔵」(右絵)手前から「八代目団十郎」「二代目幸蔵」「七代目高麗蔵」
「難有御江戸景清」(一八五〇)三代豊国画
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)


 この舞台は、観にきた客の評判は良かった。しかし八代目のいる中村座へ客が流れ、海老蔵や太夫元である河原崎権之助が見込んでいた程は埋まらなかった。
 海老蔵を待ち望んでいたがゆえ、あえて観に来なかった者もいた。江戸に戻る途中海老蔵が名古屋で芝居を打ったのが

「江戸役者総本家の行動として相応しくない、何より贔屓甲斐のないことだ」

と長年の贔屓筋の怒りを買ったのである。彼らは海老蔵に、取る物も取り敢えずまっすぐ江戸へ帰ってきてほしかった。海老蔵を愛するがゆえの怒りだった。
 しかし海老蔵にしてみれば、約六年世話になった上方への義理を果たしただけである。散々世話になっておきながら、赦免された途端「はい、さよなら」というわけにはいかない。

(贔屓筋をがっかりさせちまったかもしれねえが、人として間違ったこたあしちゃいねえ。まあ、仕方ないわな)

 成田山に信仰を持つ海老蔵にとっては、人としての生き方のほうが重要なのであった。


 親子共演が無事に終わり、為は安堵していた。景清の芝居では、もう今年で十二歳になる長十郎が、景清の娘人丸の役を立派に演じていた。猿蔵もどんどん上手くなっている。幸蔵はまだこれからといったところだが、それでも頑張っているのが頼もしかった。幼いあかん平も初舞台を無事にこなし、加納かのも誇らしそうだった。

海老蔵と親子共演するあかん平(海老蔵後ろ)
(右奥)三代目岩井粂三郎(右手前)四代目坂東彦三郎
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)
海老蔵と親子共演するあかん平(海老蔵右)
(左奥)初代坂東竹三郎(右奥)三代目岩井粂三郎
ARC浮世絵・日本絵画ポータルデータベースより)


 そのあかん平ももう五歳になり、いつまでも遊ばせておくわけにはいかなくなった。八代目が幸蔵と一緒に面倒をみてくれるというので、加納かのとあかん平と幸蔵は木場を出て、猿若町の八代目の家で暮らすことになった。

 八代目の家には次男重兵衛と、重兵衛に代わり六代目松本幸四郎の養子になった三男高麗蔵も住んでいる。重兵衛は天保十五年に痘瘡で片目をダメにし、それ以後役者をやめ八代目の手代をしていた。

 猿蔵は海老蔵の側にいたがり、妹ひろと木場に残った。 

 木場を出る日、加納かのはあかん平によく言い聞かせた。

「これからお兄さんのお家に行くのですが、八代目さんの他に、大勢の兄さん方も一緒になるのですから、大人しく、一生懸命にお稽古に励んで、皆さんに笑われないようにしなければいけません。おッさんが顔を見せても、わがままをしてはいけませんよ」

というのも、父海老蔵はあかん平を目に入れても痛くないほど可愛がっており、加納かのは稽古場で海老蔵を見かけるたびにあかん平に甘えがでるのではないかと心配しているのである。あかん平はわかっているのかいないのか、あいあい頷いて聞いていた。

加納とあかん平が住むことになった猿若町の様子
「江戸名所」「猿若町繁盛の図」広重画
ARC浮世絵日本絵画ポータルデータベースより)


 実際、稽古に甘えは禁物であった。稽古にいかに集中できるか、毎日どれだけ本気で芸に向き合えるかが、役者の今後を決めていくといっていい。その点、河原崎の若太夫である兄長十郎のいる環境は、申し分なかった。長十郎は誰にも甘えられない環境で、幼い頃から厳しい稽古をつけられていた。
 あかん平は長十郎と同じ師匠にみてもらうことになり、加納とあかん平は、稽古場で毎日長十郎と顔を合わせるようになった。為は加納を通して、長十郎の様子がわかるようになったのである。

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