3度目の出産で、私はやっと"お産に感動"できた

〈前回のふりかえり〉
「もう無理」と言われた低置胎盤が改善し、私は普通分娩で3人目を迎えられることに。そして「自分の経験は、いつか誰かの光になれるかもしれない」という小さな灯りが、心に生まれた。
(第6話はこちら

夫と一緒に、お産に挑めた

ヒプノバーシングを学んで、何がよかったって
夫と協力して、出産に挑めたことだ。

赤ちゃんのことを思いながら、
ひとつひとつ、お産の経過を、赤ちゃんと一緒に、自分で進めていける。
そのことが、本当に、本当によかった。

3度のお産で、感じた"感動"はまるで違った

無事に、3人目を出産した。

思えば、1人目のお産は、壮絶すぎた。

里帰りをしていた私は、出産のときには夫が駆けつけてくれる予定だった。
でも、夕方に陣痛がきて夫に連絡すると、返ってきたのは
「そんなすぐ生まれないよね?
今から飲み会だから、また状況連絡して」という言葉だった。

そんなの、私だって初めてで、わからない。
(今になって思えば、3人目だって、
陣痛がきてから出産まで、どのくらいかかるかなんてわからないのに。)

しかも出産の立ち会いって
生まれるその瞬間だけ立ち会えばいいってもんじゃ、、、
でもそのときの私は、これからくる出産に緊張して、必死で。
「うん、わかった」とだけ言って、電話を切った。

病院到着後、すぐに分娩台に乗ることになり、
分娩台に乗ってから、もちろん連絡なんて取ってられなかった。

結局、出産に立ち会ってくれたのは
仕事終わりに駆けつけてくれた、母だった。

そんな1人目のお産は
普通分娩で、私は痛みと闘いながら、頑張って、頑張って。
もう頑張れない、と意識が朦朧としてきたところに、
助産師さんが「頑張って!」と、私を叩いて鼓舞してくれた。

そして、赤ちゃんの心拍が、弱くなってしまって。
「出すよー!」と、お腹に馬乗りになって押されて、赤ちゃんは吸引で、思いきり引っ張られて
もう、痛みと混乱で、何が何だかわからないうちに、赤ちゃんは出てきた。

だからその瞬間も、私は意識が朦朧としていて
「感動」という感情を、あまり感じられなかった。

すぐには泣かなかった赤ちゃんを、すぐに抱っこすることも、できなかった。

赤ちゃんが出てきたときも、私は意識が朦朧としていて
「感動」という感情を、あまり感じられなかった。
赤ちゃんも心拍が弱くなっていたからか、すぐには泣かなかった。だから、すぐに抱っこすることもできなかった。

この出産を経て、私は思った。
こんな思いをして子どもを産んでいる、世の中のすべてのお母さんを、心から尊敬する、と。
そして産後も痛みで唸りながら一睡もできず
「私はもう、二度と出産はしない」。
そう誓ったほどだった。

(……その誓いはのちに、二回もくつがえされることになるのだけれど。)

二人目は、和痛分娩だったこともあって、痛みが少しやわらいで、ひとりめで味わっているあのとてつもなく愛おしい我が子が生まれてきたと思ったら、とても感動したのを覚えている。

この時助産師さんに言われたこと、
一人目が吸引分娩になったことにも繋がるのだけれど。
私は、子宮口が全開になったあと、赤ちゃんが最後のいちばん狭いところに入ってからが、出てきにくい形なのだと言われた。
だから、いちばん痛い時間が、人より長い。「どうりで、あんなに辛かったわけだ」と、私はやっと納得した。

そして、三人目。
普通分娩で挑んだこのお産が、私は一番、感動を感じられた。

夫と一緒に、赤ちゃんのことを思いながら挑めたお産。
あの日「飲み会だから」と言われたときとは、まるで違う景色が、そこにはあった。

同じ「普通分娩」でも、こんなに違うのか。

体や出産の仕組みを知り、夫の、私の、そして赤ちゃんの想いを感じながらのぞんだ出産。
自分で選び、自分で整え、自分で挑んだお産は、こんなにも心に沁みるのかと。

元気に育ってくれた

そうして生まれた元気な三人目も、現在1歳。
ほんとうに1歳になるまで、なんの病気もすることなく(汗疹くらいで)、すくすく育ってくれた。

ありがたい、日々だった。

でも、その穏やかな毎日の中で、私の心はまた、あの問いを動かし始めていた。

「私の人生、私が実現したいことはなんだろう」

(第8話へ続く)

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