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【その②】量子力学の「観測」って何かを、「合わせ鏡の喩え」で考えて、「エージェンシャル・リアリズム」と比較して考察した

私の本業は、Webマーケティングで普通の社会人です😄ただ、論理学や哲学を考える事が好きで、様々な哲学書を読んでいます。近年では、哲学は、量子力学とも関連があるとされており、そのため、ニールス・ボーアなどの量子力学の本を、科学というよりは、哲学の書として私は、読んでいます😌
前回の記事では、量子力学の「観測」について、私が考えた「合わせ鏡🪞の比喩」を使って考察しました。
今回は、「合わせ鏡🪞の比喩」をカレン・バラッドの「エージェンシャル・リアリズム」と比較してChatGPTを使って考察します🤔

宇宙の途上で出会う: 量子物理学からみる物質と意味のもつれ

今回の記事は、こんな方にオススメ

・存在論や認識論、量子力学の基礎的な理解があり、哲学の専門書を10冊は読んでいる。
・量子力学の「量子の二重性」を理解している。
・カレン・バラッド著「宇宙の途上で出会う: 量子物理学からみる物質と意味のもつれ」に興味を持っている。
上記のような方であれば、本記事の内容について、ある一定の理解と「そうゆう考え方もあるかも🤔」と思って貰えるかもしれません😊
なお、今回の考察はChatGPTを使って考察した内容などをそのまま記事にしています😄

ChatGPTに質問した内容

私は、量子物理学者であり、哲学者でもあるカレン・バラッドの主張に興味を持ちました。カレン・バラッドは最近「宇宙の途上で出会う: 量子物理学からみる物質と意味のもつれ」という本を出版しています。本の概略を共有するので、先程の私の仮説との関連を述べてください。

「思想界全体の物質への注目を導いた、ニュー・マテリアリズムの金字塔的大著。 本書で提案されるのは、この宇宙のあらゆる物質をはじめ、空間、時間までもあらかじめ確定したものとして存在しているのではなく、関係する諸部分のもつれと内部作用から創発するという、新たな認識論、存在論といえる「エージェンシャル・リアリズム」である。ボーアの量子力学に深く立ち入り、バトラーのフェミニズム理論を批判的に検討することで、言葉と物質、人間と非人間の関係を独自のポストヒューマニズム的視点から捉え直し、哲学、科学論にとどまらず社会理論にも重要な示唆をもたらす。21世紀の思想にその名を刻む革命的著作。 「物質と意味は独立した二つの要素ではない。両者は分かちがたく融合しており、どれほどのエネルギーを持つ出来事をもってしても切り離すことはできない。「分割することができない」「切り離すことができない」という意味のギリシャ語アトモスに由来するアトム、つまり原子でさえも分割することができる。しかし、物質と意味は、化学変化や遠心分離器、核爆発をもってしても分離できない。問題=物質(マター)になるとは物質と意味に同時に関わることであり、おそらくこのことが明白になるのは、問題=物質(マター)の性質が問われているとき、つまり、問題=物質(マター)の極小の一片であっても根深い固定観念や大都市を爆破してしまうほどの力があると明らかになるときだろう。だからこそ、現代物理学がつきつけるさまざまな問題=物質の不可避なもつれ――在ることと知ることと行うことの、存在論と認識論と倫理の、事実と価値のもつれ――は否定しようもなく、非常に重要な意味をもつのだ。」

Amazonのレビューより引用

ChatGPTの回答

AIと会話する日本の女子高生

カレン・バラッドの「エージェンシャル・リアリズム(agential realism)」とあなたの「合わせ鏡の仮説」には、重要な共通点があるように思います。以下、関連を整理しながら考察していきます。

「エージェンシャル・リアリズム」と「合わせ鏡の仮説」

バラッドの主張の要点は、物質(マター)と意味(ミーニング)が分かちがたくもつれ合っており、事実と価値、存在と知識、存在論と認識論を切り離すことはできない という点にあります。
一方、あなたの仮説では、「観測」そのものが自己反射的な無限の過程であり、確定的なものではなく、無限の現象として理解するべきだという主張をしています。
この二つの主張を結びつけると、以下のような対応関係が見えてきます。

両者の対比

つまり、あなたの仮説は「量子力学の観測問題は、観測そのものの正しさを確かめることができない(無限の合わせ鏡のように続く)」という点にフォーカスしていますが、バラッドの主張では「観測行為(知ること)と存在(あること)はもともと分かちがたく絡み合っており、それ自体を固定的に捉えることはできない」という視点になります。

「観測=意味と物質のもつれ」として捉える

​​バラッドは「物質(物理的な存在)」と「意味(概念的な理解)」が不可分であると述べています。これを量子力学に適用すると、「観測」とは単なる物理的な測定ではなく、情報的・意味的な関与も含むということになります。
これは、あなたの「合わせ鏡の仮説」と深く関係します。
なぜなら、「観測」は単なる物理的な作用ではなく、「意味を決定する行為」であり、その意味はまた別の観測によって変化する可能性があるからです。
例えば:

  • 量子が波なのか粒なのかは、観測によって変わる。

  • しかし、その観測自体が「正しい」と保証するためには、さらに観測が必要になる。

  • すると、それは合わせ鏡のように無限のループを生み出す。

これは、バラッドが言う「物質と意味のもつれ」に似ています。
「観測」は単なる物理的な出来事ではなく、「意味の確定のプロセス」であり、物理と概念の間にはっきりした境界はないという点で共鳴します。

「確率的収束 vs. 無限の現象」

あなたの仮説では、「量子力学の本質は無限の現象であり、確率的収束(ボルン則)を前提とするのは無理がある」と考えています。
バラッドの主張も「物質と意味がもつれ合っている以上、確定的なものとして捉えることはできない」と考えており、これも共通点があります。
つまり、バラッドの理論を応用すれば、
「観測の結果が確率的に収束する」こと自体も、観測者の関与(物質と意味のもつれ)の結果であり、本質的には無限の可能性がある
という解釈ができるかもしれません。

哲学的・物理学的な影響

バラッドの考え方は、以下のような現代思想と関連しています。

  • ボーアの相補性(観測によって波か粒かが決まる)

  • デリダの差延(意味は固定されず、関係性の中で変化し続ける)

  • 量子エントングルメント(もつれ)(二つの粒子の情報が分離できない)

あなたの「合わせ鏡の仮説」も、量子もつれや観測問題の無限後退を示唆する点で、バラッドの考えと共鳴しています。

結論:あなたの仮説とバラッドの視点の統合

バラッドの「エージェンシャル・リアリズム」は、観測や意味が物質と切り離せないことを強調しています。
一方で、あなたの「合わせ鏡の仮説」は、観測行為が自己反射的な無限の構造を持つ可能性を示しています。
この二つの視点を統合すると、次のような新しい視点が生まれるかもしれません。
「観測とは、物理的な測定というより、情報・意味の創発プロセスであり、その過程は自己反射的で無限に続く可能性がある。」
もしこれをさらに発展させるとしたら、量子情報理論や非線形動力学(フラクタル的な観測構造)などを組み合わせて、「観測とは自己組織化する情報ネットワークである」といった新しい理論につなげることも可能かもしれません。

あなたの「合わせ鏡の仮説」は、バラッドの理論と組み合わせることで、「観測=物理的現象ではなく、情報と意味の創発過程である」という新たな視点を提供する可能性がありそうです。

次回の予告

次回は、バトラーのフェミニズム理論について、バラッドの「エージェンシャル・リアリズム」と、私の「合わせ鏡の仮説」との関連を考察します!


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