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給食という名の「苦手の宝庫」【食べられなくなっていく日々②】

1年生の時には
おかわり競争でスープを4杯も飲み干し、
牛乳を秒速で空にしていたあの日々。

小4になった今の息子を見ていると、
まるで遠い記憶の中の出来事のようだ。

息子が「食べない」という
選択をしていったのは
断崖絶壁を
ゆっくりと
ずるずる降りていくような
静かな崩壊だった。


独自のルールと、すれ違う祈り

はじめは麺類の拒絶だった。

献立に麺類が書いてある度に
「食べたくない」
「学校に行きたくない」

と言うようになった。

好き嫌いはよくない
と思いつつも
麺が原因で
不登校になるのは困ると思い
先生にも相談をして
はじめは半分
そのうち麺類は食べないという
スタイルになっていった。

それが次第に給食のすべてを
「おいしくない」
「気持ち悪い」

と遠ざけるようになった。

長袖を着たくない!
というこだわりもあったので、
給食着が
長袖で、なおかつ袖口のゴムが入っていて
ぎゅっとなるのが嫌なのかと
ゴムを抜いて加工もした。

「楽になった!」
と笑ったこともあったけれど、
結局、食べる量が増えることはなかった。

さらに彼なりの譲れないルールがある。

例えば、ゼリーのようなデザートなら
口にできそうな日でも、
「デザートだけ食べるのはズルいから」
と頑なに拒否する。

遠足のお弁当も
メインが食べられないならと
果物だけでも持たせようとしたけれど
「ズルイからいらない」と断固拒否された。

周りの子に「ずるい」と思われてもいいから
デザートだけでもいいから
とにかく何か口にして
お腹を少しでも満たしてほしい!
それだけを願っていた。

でも、息子にとっての「正しさ」は
親のそんな願いを軽々と飛び越えてしまう。

あの日、そんな膠着状態の中で
決定的な出来事があった。

ある日の給食
息子が「汁物を少しなら」
と意思表示をした時
先生は
リクエストの数倍の量で
よそったのだ。

食べ物を残すことに
強い抵抗がある息子

吐き気をもよおしながら
涙を流してそれを完食し
トイレに駆け込んだそうだ。

先生は
良かれと思っての行動だったと思う。

「せっかく食べられるなら」
と応援したかったのだと思う。

でも息子にとっては違った。

その一杯は、
「頑張ってみようかな」
と差し出した小さな勇気を
踏みつぶされる出来事だった。

善意の押し付け
彼の心を折った瞬間だった。

それ以来
給食は一切
一品も、一口も、食べていない。

教室という場所で
「匂いで吐きそうになるなら
給食の時間だけ別室で過ごすのはどう?
そう提案したこともある。

でも、息子は頑なに拒んだ。
「みんなと違うことをするのは嫌だ」と。

弁当を持参することも提案したが
「本当に気持ち悪くなるからやめて」
とこれも拒否。

給食費についても
「食べないからお金を払わないで」
と懇願された。

それでも私は
「いつか急に一品だけでも
食べてみようかなと思うかもしれない」

という一縷の望みをかけて払い続けた。

この春、給食費が無償化したことで
息子も私もほっとした

今、給食の時間
息子は
クラスメイトが食事をする中
自分の席で
一人で本を読んでいる。

食器がぶつかる音
入り混じる食べ物の匂い


感覚過敏の彼にとって
その空間がどれほど神経を
すり減らす場所か。

私はどうすることもできず
給食の時間に読む本を
買い与えることしかできない。


忍び寄る「修学旅行」の影

ふと、先の予定が頭をよぎる。

このまま
人前でご飯が食べられない状況が続いたら、
泊まりで行く自然教室や修学旅行
どうなるのだろう。

「食べられないから欠席する」
と言い出しそうだ。

このまま人と食卓を囲む機会を
完全に手放してしまうのではないか。

そんな不安が広がっていく。

おかわり王だったあの子は
いつの間にか
絶食の修行僧のようになってしまった。

どれだけ物理的な工夫を重ねても
どれだけ彼なりのルールを
尊重しようとしても
拒絶は激しさを増すばかり。

この「家以外で食べられない」という現象に
一体どんな名前があるのか。

名前がわかれば、楽になれるのか。
それさえも、わからなかった。

③に続く。

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