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常田大希を考察する-番外編2(ニルヴァーナとオルタナ以前と以降の断絶) その1

(間違えて削除してしまったので復活させてます💦)

ライブ感覚で続けているシリーズなので、ちょくちょく書き直したり付け足したりしてきていますし、記事としてまとめるまでの過程も含めてお見せした方がいいのかなぁと思い、今回からは途中まで書いたものを投稿することにしました

が、思ったよりも(個人的には)積年の謎が解けていくような面白さがあり、いろんなものをペタペタ貼ったこちらはこれで一旦〆て、連載とすることにしました

名前は出せないものの、とあるクリエイターの方とのやり取りを続けて気付かされたものが案外影響したりしていて、そういうことからより着想を膨らませたりということもあります

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常田大希さんがリスペクトしている椎名林檎さんがオルタナティブロックとしてデビューしたことを、少し前に解説系YouTuberの方の動画で初めて知りました


ここで展開する話にも大きく関係するものの、僕はそもそもオルタナティブロックに関してはベックのコレくらいしかピンと来ないまま、

ロックから離れてしまい、ハウスやらヒップホップやらダンスホールスタイル・レゲエやら、過去の様々なジャンルに及ぶ名作の掘り起こしに向かっていった時期にもあたり、ロックと呼べるものはかろうじて口コミでしか当時はライブの告知がなかった灰野敬二さんや裸のラリーズを観に行くくらいになっていたということもありますが…

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常田さんも当然のようにニルヴァーナが後進世代に与えた影響を我が事のように語りますし、

この「考察」シリーズを続けるならば、元々長いキャリアがあって大好きだったソニック・ユースと同じくゲフィン・レーベルからメジャーデビューしたものの、インディ時代から聴いていてイマイチ感があったニルヴァーナについてもいよいよ考えざるを得ないということで、同じくずっと苦手意識が強かった椎名林檎さんともども勉強せざるを得ないなぁとなり…

でも苦手意識のあったものを、他にも聴きたい音楽やすべきことがある中で、今更追いかけるのもなかなか気が進まずという正直な気持ちもあり伸ばし伸ばしにしてきたことは認めざるを得ない

『丸の内サディスティック』が時代を超えた名曲と認定されていることを知って、気持ちに余裕のある時に気力を出して聴いてみると「これは確かにそうなる出来だわ…」と感じました


だからそれなりの納得を得た上で椎名林檎さんに関する解説系配信動画を視聴してきたりしてきたものの、ニルヴァーナはメジャーデビュー前から聴いてきて判断した上で「自分には要らない」としたバンドなので、なかなか積極的にはなれないままだったんですよね…

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あれほど夢中だったソニック・ユースでさえ、メジャー行きを宣言してリリースしたアナログレコードで2枚組の『デイドリーム・ネイション』は、かつてのロックみたいな大作志向と感じて以降サヨナラしてしまったくらいなのでグランジというムーブメントには今更感しか無かったんです…

(当時はほぼ無名に等しかったゲルハルト・リヒターの有名な蝋燭モチーフの油絵をジャケットに使うあたりには、さすがに脱帽という感じですが)


で、関連動画として推してくるこちらをGW期間だからこそつくることのできた時間と心の余裕のある内にという感じで聴き流しながら、他の配信者さんにも流れていきました

そんなに影響力があるんだ!と新しく教えてもらった感じでしたよ!

みのミュージックさんにはニルヴァーナに触れた配信が数多くありまだ全ては追いきれていませんが、コレを視てかなり思うところはありました


1967年生まれのカート・コバーンは1980年代のパンクやポストパンク、ニューウェイブの直撃を受けた世代ですから「なるほどね」というラインナップが並びますが、ニルヴァーナがインディレーベルからスタートしたのはそうした1980年代の熱い季節が終わった時期でもあったんだよな…とようやく気づかされました

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彼らのデビューの少し前は、今でもヒップホップの最重要グループの一つであろうパブリック・エネミーが騒然とした雰囲気を醸して話題を独占していた時期でもあり、しかしながら彼らには1980年代のパンクやポストパンク、ニューウェイブに通じるマインドがあったんですよね

自分が一番カッコええなぁと感じるのはコレですね


ずっとソニック・ユースと並び称されるような扱いだったスワンズや、デビュー早々に界隈の話題を独占したジム・フィータスも忘れ難い存在でした

(元ボアダムスのタバタさんが書いておられましたが、今はかなりの腕前の画家としても活動しているとのことです)


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日本のバンドならば山塚アイさんがやっていたハナタラシには間に合わなかったものの、ボアダムスも、当時誰が名付けたともわからないジャンクと呼ばれていた、重くて暗くてうるさいロックのマイナーなジャンルとして聴いていました

ゴアトランスに移行していくまでの東京でのライブはほぼ観てきています


アイさんはハナタラシから活動を始めた人ですが、英語圏でのWikipediaにも彼の活動が項目にほぼ残されていて、初来日のライブで日本側の対バンとして選ばれて以降、ソニック・ユースの面々がその実力を認めて、少年ナイフ灰野敬二さんなどとともに海外に積極的に紹介していった功績の大きさを感じさせてくれます

ハナタラシとして「やり過ぎた」からボアダムスとして何もかも変えて再スタートせざるを得ない状況になったものの、ボアダムスそのものの強烈な存在感や山塚アイさん、ヨシミさんの他にもおられた個性が強くて実力のあるメンバーが揃っていたとしか言えないが故に、ソニック・ユースのサーストン・ムーアキム・ゴードンらに認められて世界的に知名度が高まり、ボアダムスの他のメンバーや彼らの個々の活動にまで至る英語圏のWikipediaがかなり充実しているほどの世界的な知名度と評価を獲得して、今なおマイペースで活動している人たちでもあります

ヨシミさんなんて英語圏のWikipediaにしか項目が無いくらいの存在感ですよ

まったく何も知らないままでの初見の風貌はオッさんみたいとしか思えなかった山本精一さんがまたとんでも個性的な実力派のギタリストだったり…


ハナタラシは、少し上の世代の動物の内臓を客席にぶちまけたスターリンや自らの身体を切り裂いていた血塗れになっていた江戸アケミさんを中心にしたじゃがたらよりも明らかに過激過ぎました

ライブから「生還」した方の貴重なコメントが付けられていて、そちらも必読ものです


自分はハナタラシには間に合わず、でも当時の先端カルチャーに触れたいからというだけで首都圏への進学を決めたくらいだったから、「見逃すわけにはいかない」という感じでした

ハナタラシは冗談では済まないおっそろしいライブをやっていたので、正直な気持ちで言えば間に合わなくて胸を撫で下ろしたくらいでしたけど、最初に観たボアダムスも十分過ぎるほどこわかった…


吉川さんに変わってヨシミさんがドラムスを担当する頃には楽屋に出入りする関係になってましたが、メンバーさんの全員があまりにも恐れ多くてほとんど喋れないくらいでした😅

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ハナタラシ当時の山塚アイさんは、🇺🇸の白人男性至上主義者で猟奇的大量殺人犯を賛美するコンセプトで活動していたノイズ・インダストリアル系のグループであるホワイトハウスを紹介してくれ、

(アイさんもイジメられていたと語っているとwikiにはありますが、今でいうインセルを表現としてギリギリのラインで昇華した感じです)

こうした類の中では安定感があってカッコよかったので人気がありメジャーな存在の方だった、東西を分つ「壁」のあった頃のベルリンで活動していたアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンにも夢中でした

この曲が一番聴きやすいはず…


アイさんが来日ライブに爆破物を持ち込んで結構な騒動になってしまったサイキックTVは別の方向で完全にイッちゃっていたグループで、

この時のとんでもないエピソードを、盟友でもあったタバタさんの気さくなパーソナリティのままに、ごく軽ーく話しておられます

(タバタさんもまた憧れの人でしたが、今はSNSで繋がって楽しくやり取りさせていただいてますよ😃)


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こんなんをずーっと聴いていくと、少し時代を遡ってやがてニック・ケイヴがいたバースデー・パーティーThis Heat、そしてポストパンクの最重要バンドだったThe Pop Groupに行き着きます

The Pop Groupはブリストル出身、坂本龍一さんと同じ年にお亡くなりになったマーク・スチュアートが中核メンバーのグループで、後のマッシブ・アタックバンクシーまで至るブリストルのシーンの系譜の起点に位置していた人たちてすね


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更に追いかけていくとスラップ・ハッピーヘンリー・カウを通してカンタベリー系と言われるプログレッシブロックの潮流の中での重要バンドだったソフト・マシーンや、メジャーどころでは唯一でキング・クリムゾンに辿り着きます

今はクラウトロックと呼ばれている、日本人ボーカルのダモ鈴木さんがいたCAN、最重要バンドの一つだったファウスト、個人的には一番好きだったGURU GURUへと進んで、ソフト・マシーンのデビッド・アレンが関わっていたフランスのヘンテコなグループのGONGや、町田康として作家として世間にその名が知られるまで、真剣に音楽をやっていた町田町蔵さんが目指していた存在だったキャプテン・ビーフハートも、彼の盟友だったフランク・ザッパよりも先に夢中になったりしていました


アンダーグラウンドで活動していた、今のごく普通にいらっしゃる音楽の好きな人にはほぼ聴くに耐えないモノばかり貼ってあるので、この投稿のリンク先の楽曲を最後まで聴き通すのはほぼ無理やろ…とも感じますが…、自分は同時並行して爽やかなネオアコの関連するあたりと同じように大好きだったのでひたすらにそれぞれを追いかけてました
ネオアコに関しても記事を上げています

ココに載せきれなかったルイ・フィリップのこのカバーは今も毎回感動するように聴いたりしているくらいです(ちゃんと聴ける素敵な曲ですよ😉)


フリッパーズ・ギターが解散した前後の時期に小山田圭吾さん自らつくったトラットリア・レーベルに、ノイズ・インダストリアル系の中原昌也さんのユニットだった暴力温泉芸者がいたように、この当時は誰もが細分化したジャンルに縛られることなく、何もかも全部いっぺんに聴いて自らの中に吸収していました

(カート・コバーンも同じくだったと感じますね)

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こうした重くてうるさくてノイジーなサウンドを持ち、ずっとアンダーグラウンドで音楽活動を続けながら評価を得て、シーンの最終盤に大きな存在感を伴って出てきたのが、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』のプロデューサーとして名前が残るスティーブ・アルビニの関連するバンドでした


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オルタナティブロックの時代で、かろうじて来日ライブを観に行くくらいだったのは、プッシー・ガロアとしてデビューして界隈で話題となり、一般的に認知されたジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンくらいな感じだったものの、

誰が名付けたかもわからないジャンクと呼ばれたジャンルに属するロックやノイズ・インダストリアルは、ヒップホップのパブリック・エネミーに通じるものは確実にあると感じながらも、一大ムーブメントとなって今なお影響を残すグランジと呼ばれていたニルヴァーナにはそこに通じるものは全く感じ取れなかったという印象がありました…

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インディでデビューした"Love Buzz”にはかろうじて感じ取れる「何か」があるにはあるんですけど…


当時の全米カレッジ・チャートを賑わして多少話題になっていたシアトル出身のバンドはだいたいこんな感じで、悪くはないんだけど「学生さんたちのやることはお気楽なもんだな」というくらいの軽さを今も感じてしまいますね…


メジャーデビューを果たしてからの彼らを代表するとされるこのナンバーは…

メジャーレーベルと契約した後だからとはいえ、ここまでペタペタ貼ってきたジャンクやノイズ・インダストリアルに比べるとあまりにも軽過ぎてポップに振り過ぎとしか感じないです

(この投稿のために初めて聴いたんですけど、コレが誰もが認めるニルヴァーナの代表曲なの?とがっかり😞するくらいでした…)

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自分の中にずっとある、ニルヴァーナ以前以降にあると感じてしまうとても大きな溝は何に由来するんだろう…という疑問はずっと抱えていながらも(軽くてポップということは一聴すればわかるものの…、評価され支持され続けるのはそこではないんだろうとは思うので)…

それを考えるために時間を割くほどの値打ちがあるとも思えなかったし、ロック聴くなら同時期のジョンスペやら少し前のレイプマンの方になってしまうしということでずっと後回しだったものの、こうやって並べてみて改めて比較みると、一線を画す明らかな違いがあると気づかされました

長くなったので、続きます

途中になったままのこちらの連載シリーズにもかなり深く関係していく話になりますね

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