AIを禁止する時代は終わる。大学が次に考えるべきは「評価の設計」ではないか
生成AIが教育現場に急速に浸透している。
ChatGPTをはじめとする生成AIは、文章作成や要約、プログラミングまで高い精度でこなせるようになった。一方で、多くの大学では「レポートへのAI利用をどこまで認めるか」という議論が続いている。
しかし、私は最近、この議論自体が少しずれてきているのではないかと感じている。
「AIを使ったか」を判別する時代は終わる
多くの大学では
・AIの利用を禁止する
・利用する場合は申告する
・AIが作成した文章を提出しない
といったルール作りが進められている。
もちろん、学術的誠実性(Academic Integrity)を守るためには必要な考え方だ。
しかし現実には、生成AIの性能は急速に向上している。
数年前であれば「AIらしい文章」は比較的見分けやすかった。しかし現在は、人が少し手を加えるだけで、人間が書いた文章との区別は極めて難しくなっている。
これから数年後には、教員が成果物だけを見て
「これはAIだ」
と判断することは、ほぼ不可能になるだろう。
つまり、
AIを使ったかどうかを見抜くゲームは、いずれ終わりを迎える。
では、大学は何を評価すべきなのか
ここで評価の軸を変える必要がある。
重要なのは、
「AIを使ったか」
ではない。
「提出した内容を、自分の言葉で説明できるか」
こちらではないだろうか。
例えば学生がAIを活用してレポートを書いたとする。
もしその内容について、
* なぜこの結論になったのか
* 他の考え方はあるのか
* このデータから何を読み取ったのか
* 反対意見にはどう答えるのか
と質問したとき、自分の言葉で説明できなければ、それは本当に理解したとは言えない。
逆に、AIを使っていても、自分なりに解釈し、考え、説明できるのであれば、その学生はAIを「道具」として活用していると言える。
評価すべきなのは、AIの利用そのものではなく、その理解の深さなのだ。
ただし、これにも課題がある
ここで一つ疑問が生まれる。
真面目な学生はルールを守るだろう。
しかし、高い成績を取りたい学生はどうだろうか。
AIに完成度の高いレポートを書かせ、それを少し修正して提出することは十分可能である。
さらに、「AIは使っていません」と自己申告する学生も出てくるかもしれない。
現在の大学教育は、多くの場面で学生の誠実さを前提としている。
だからこそ、この問題は単純なルールだけでは解決できない。
AI利用を前提とした評価設計へ
では、どうすればよいのだろう。
私は、「AIを使うこと」を前提に評価を設計する時代が来るのではないかと思う。
例えば、
* AIを使った場合は利用内容を明記する
* 使用したプロンプトを提出する
* AIが出力した内容から、自分がどこを修正したかを書く
* 提出後に口頭で説明する
* ディスカッションや発表で理解度を確認する
こうした評価方法であれば、AIを利用していても、その学生が本当に理解しているかどうかを確認できる。
つまり、
成果物ではなく、「説明できること」そのものを評価する。
そんな発想への転換である。
AI時代に大学が育てるべき能力
生成AIは、これからさらに性能を上げていく。
「AIを禁止する」という議論だけでは、いずれ限界が来るだろう。
だからこそ大学は、
AIを使わせない教育ではなく、
AIを使っても、自分の頭で考え、自分の言葉で説明できる人材を育てる教育
へと変わっていく必要があるのではないだろうか。
AI時代に問われるのは、「書く力」だけではない。
本当に問われるのは、
理解し、考え、説明する力なのである。
