雑誌『庭NIWA』のコラム『2100年の日本庭園へ』。vol.259では庭園アーカイヴ・プロジェクト『終らない庭のアーカイヴ』や著書『洲浜論』の原瑠璃彦さんが登場。
■コラム『2100年の日本庭園へ』が掲載されている雑誌『庭NIWA』vol.259が発売中

創刊40周年を迎えた日本の「庭」の専門誌『庭NIWA』。2023年から続いている庭園情報サイト《おにわさん》編集者:イトウによるコラム『2100年の日本庭園へ』。2100年=次の次の世代に伝えるために、「今の自分が次の世代になにができるか」みたいな意味を込めています。
その前段に関しては以下のnoteをお読みください。
前回のvol.257〜8に関する記事は下記。世の中的に人材不足、植木屋さんでも後継者不足の話題をお聞きする中で、「文化財庭園における技能実習生」にフォーカスしました。
■2025年4月発売 vol.259でフォーカスしたのは『洲浜論』『日本庭園をめぐる――デジタル・アーカイヴの可能性』著者・原瑠璃彦さん。
このコラム、これまでは割と「課題」「解決」みたいなテーマでお話しをお聞きしに行くことが多かったーーのですが、今回はちょっと毛色を変えて、もうちょい純粋に「この人に話を聞いてみたい」という方に会いに行きました。
日本庭園のデジタル・アーカイヴのプロジェクト『終わらない庭のアーカイヴ/庭園アーカイヴ・プロジェクト』に取り組み、また著書『洲浜論』で芸術選奨「文部科学大臣新人賞」を受賞した原瑠璃彦さん。

原さんのプロジェクトに限らず、「日本庭園のデジタル・アーカイブ」自体は日本庭園をとりまく課題の中で今後必要となる取り組みの一つ(日本庭園だけでなくあらゆる分野で必要なこと)。なので記事ではその事も色々話していただいているけれど。
でも今回のインタビューはもう少しそもそも「原さんって、どんな人なんだろう?」という興味からオファーしたインタビュー。
上記の「researchmap」での経歴・実績をご覧いただければ分かりますが、学術的にも「日本庭園」の「専門家」だけど(静岡大学人文社会科学部・地域創造学環准教授/博士(学術)/東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了)、いわゆる『庭園専門誌に登場してきている先生』ではない。
だから、いわゆる「庭園業界・造園業界」の方からすれば、意外と知られていないかもしれない。
けど、『美術手帖』の様な美術専門誌に登場する「日本庭園の専門家」って、原瑠璃彦さん以外には居ないのではないか。美術・アート目線から「日本庭園」をとらえた方々にとって、現在認知されている「日本庭園の専門家」が原瑠璃彦さん。
先述の『終わらない庭のアーカイヴ/庭園アーカイヴ・プロジェクト』は現代日本美術の中でもメディアアート方面で人気/高い評価を得ているYCAM(山口情報芸術センター)とのプロジェクトでもある。メディアアート好きな人からしたらYCAMってだいぶ憧れの存在!!!
海外の方の反応を見ていると…「日本庭園」を「東洋美術」のいち作品/ジャンルとして捉えられているんだなぁ、と思う事がある。
そうしたニーズに対して、アート面でのバックグラウンド、美術史観(?)からアプローチしている人はあまり居ないかもしれない。原瑠璃彦さんはそうした側面から日本庭園にアプローチ(本人曰く「人文」的なアプローチ)している稀有で異質な面白い存在。
一体どんな人なんだろう???という興味からのオファーでした。
…いやでもこんな自分のコラムなんかでの紹介でええんやろか??もっとちゃんとしたコーナーが良いのでは?とも思ってたけど(笑)、『日本庭園をめぐる――デジタル・アーカイヴの可能性』(ハヤカワ新書)では「おにわさん」にもチラッと触れていただいており、快く受けていただきました。異質、異質と書いてしまっているけれど、イメージよりはめっちゃ気さくで(笑)、それでもいわゆる「造園家」とはまた異なる分野の知識が当然ながら豊富で、めちゃくちゃ面白かったですね…。
あと原瑠璃彦さんが登場するnoteの記事では下記のような記事があります!
■坂本龍一さんが与えた「庭園」シーンへの影響?
…で、そんな原瑠璃彦さんの詳しいお話は雑誌『庭NIWA』をお読みいただきたいのだけれど。その中でやっぱり庭園専門誌としては異質かもしれない、けど面白いエピソードが《原瑠璃彦さんの日本庭園への活動に影響を与えた一人が坂本龍一さん》(ざっくり言うと)という点。ただ「好きだった影響受けた」とかではなく、坂本龍一さん本人から受けた薫陶のエピソードなど色々振り返っていただいています。
坂本龍一さんと日本庭園。近年では、山口市の国指定文化財庭園『常栄寺』の“雪舟庭”を舞台に、坂本龍一さんのインスタレーションが展示されています。尚、原さんの庭園アーカイヴ・プロジェクトでも『常栄寺』は登場しています。
■庭園がアート/芸術としての土俵に再度上がるには?
……「庭園がアート/芸術としての土俵に再度上がるには」って言葉にすると陳腐なんだけど、でもわかりやすく言うと本当にそう思うんですよね……
かつてはそうだったはず。
先の『美術専門誌に原さんのプロジェクトは載っている』みたいな話で言うと、なぜこれまで、そして他の「造園家・ガーデナー」「庭園専門家」はその俎上に上がれなくなってしまったのだろう。『建築・建築家』は美術の一環として捉えられているのに、なぜ「庭園」はその俎上に上がらなくなってしまったのだろう?
過去を責めたいのではなく、やっぱ日本庭園/ガーデンって美術・芸術としての側面が存在していると思うし、そこに原因・理由があるのであればその課題は解消して、「俎上に乗せたい」と思うんですよね。
原さんは日本の美術/アートシーンの中で、(学生時代から培い深めてきた)「日本庭園」を専門分野としてアクションを起こし、一定の評価を得られている。
原さんをきっかけに「日本庭園」が「アート・美術界隈」と接点を強められるならばそれはすごく良いなぁと思うし、原さんの活躍が自分の「なぜそうなってしまったのだろう?」が解消されるヒントになる…かもしれない。
…その様な「アート・美術界隈」からの評価を
《意識して取りに行くべきなのか(その為にはどうしたらいい?)》
《その様に振る舞うのが、良いのか悪いのか》
かはわからないんだけど。
(そこも「クリエイター軸」と「作品軸」とあって、自分の場合は「庭園がもっと美術作品として評価/捉えられないか」という作品軸)
更に言うと、
本当は別に《現代アートっぽく振る舞う》必要はなく、
オーセンティックな日本庭園/庭師もとてもクリエイティブだ…、というのは分かっている人は分かっていると思うし、先述の「日本庭園を東アジア美術」として鑑賞されている海外勢からすればオーセンティックな庭師を求めているし。
でも、たとえば日本国内で『室生山上公園芸術の森』と『室生寺』が同じ土俵かと言えばそうじゃない感じもする…。…と言ってみたけどこの2例も複雑だな、前者はアート作品としての側面もあるのだけど「公園」感が強いかもしれないし、むしろ室生寺の方が「古美術」として捉えられているかもしれない。
何が言いたいんだっけ…なのでだからなるべく「おにわさん」は「この庭園も作品の一つだし、このランドスケープも作品の一つだ」と「併せて語る」ということをしたいし、そう心がけている。
『ラコリーナ近江八幡』から藤森照信さんに興味を持った人が、茅野の『フジモリ茶室』を好きになって、そこから『本陣岩波家』、『慈雲寺』に足を運んでもらうようなそんな流れができたらいいなあと思うのです。
…なんかダラダラ長くなってしまった。ということで、原さんの今後の活動、そしてどう評価されていくのか興味深いし今後も注視したい!
■次回予告
上で《「日本人の日本庭園を見る目」と「海外の方の日本庭園を見る目」ってやーっぱ違うなと思うんですよね。》と書いたけれど、いや実際のどころどうなん?というところで、次号では「海外日本庭園の関係者」へインタビューをしています。
で、その方も「もっと日本の関係者と交友を広げたい」と言っていたし、原さんも「まだ距離があるかもしれないけど、距離を詰めていきたい」という様なことは仰っていた。
今はおのおのが若干の距離があるけれど、少しずつ埋まっていくことで、【よりおもろい日本庭園シーン】みたいなものが出来ていったらいいなあ。
あと「庭NIWA」での話ではないですが、次回のコラムにも原さんとの話が登場予定…!
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