アルゴリズム幻想曲 — プラットフォームが見る夢は?
「noteでの伸びるタイトルの付け方」
「YouTubeアルゴリズムに好かれる投稿頻度」
「Xでインプレッションを増やす方法」
こういう感じのタイトルの記事や動画は、どのプラットフォームにも必ずあります。
見慣れたはずのそれらが画面の中を流れているとき、ふと思いました。
いったい何を、攻略しているのだろう。
自分もコンテンツを作るようになったので、数字は気になります。
そういった情報があふれる理由も、なんとなくわかります。
ただ作るだけでなく、誰かに届いてほしい。
それは、大抵の「何かを作る人」が持つ想いだと思います。
攻略情報を見て工夫することで、コンテンツの質が上がるという面もあるかもしれない。でも、「攻略」という言葉には、なにか引っかかるものがある。
その引っかかりの正体を、ちょっとだけ考えてみることにしました。
プラットフォーム攻略スレ part2026
「攻略」という言葉には、ゲームをクリアするとか戦争で城を落とすとか、そんなようなニュアンスを感じます。
敵がいて、障壁があって、それを突破する。
では、プラットフォームのアルゴリズムは「敵」なのでしょうか。
そんな表面の字面だけを見て連想できる、単純な話ではなさそうです。
おそらく、プラットフォーム側は自分たちのアルゴリズムを「攻略されるもの」として設計してはいないと思います。(多少意識はしてるかもしれないけど)
公式に語る言葉には、もっと別の夢(攻略対象ではなく「なんかいい感じの宣言」っぽいもの)が書かれています。
プラットフォームが公式に語る「夢」
各プラットフォームが、自分たちのアルゴリズムや推薦システムについて公式に説明している言葉を見てみましょう。
YouTube は、おすすめの目的をこう説明しています。
「視聴者が次も見たくなるような、満足度の高い動画をマッチングする」
かつては再生時間が重視されていたようですが、現在はそれよりも「視聴者満足度」を重視する仕組みに移行しています。視聴後にポジティブなアクションを引き出すこと、視聴者がチャンネルに再訪すること——そういった「本当に良かったと思われたか」を重視する方向に変化してきました。
公式のクリエイター向けアドバイスにはこんな言葉もあります。
「アルゴリズムではなく『人』を見る」
TikTok は、For You フィードの仕組みをこう説明しています。各ユーザーの行動(いいね、コメント、視聴時間、シェア)を学習し、「その人が興味を持ちそうなもの」をランキングするシステム。重視されるのは「視聴完了率」——最後まで見てもらえたかどうかです。
Instagram は、フィード・リール・ストーリーズそれぞれに異なるアルゴリズムを持ちながら、共通して「保存」と「シェア」を重要なシグナルとして扱います。「見て良かった」と思ったときに人がとる行動を、指標にしているわけです。
note のミッションは、こう書かれています。
「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」
noteが大切にしている考え方のひとつに「Creator First(クリエイター視点で考えよう)」があり、「楽しく作り続け、伝わるべき人に届け、それをビジネスにして生活の糧にできる」、そんな環境を目指すと説明されています。
Google は、検索結果の品質ガイドラインで「E-E-A-T(経験・専門性・権威性・信頼性)」を掲げ、コンテンツ評価の基準としてこう問いかけています。
「検索エンジンのためではなく、ユーザーのためにコンテンツを作っているか」
有名どころを調べてみると、どのプラットフォームも、言葉のうえでは 「ユーザーに良いものを届けたい」という夢を語っています。
あたりまえですが、「私は攻略対象です」とは一言も言っていません。
では、なぜ世の情報は「攻略」という言葉を使うのでしょうか。
【余談】
世に出回る情報で言われている「攻略」のニュアンスは、「RPGをクリアする」というより、「ギャルゲーでトゥルーエンドに行く」みたいな感じに近い気がしました。魔王を倒すのではなく、魔王を落とす。
YouTubeの「アルゴリズムではなく『人』を見る」という言葉ではアルゴリズムと人を分けていますが、アルゴリズムを攻略しているつもりでも、その先に「人」を意識しているのであれば、それらを分ける意味はあまりないのかもしれません。
プラットフォームの裏の顔
プラットフォームが抑制したいものを見ると、「理想」がより鮮明に見えてきます。
各プラットフォームが嫌うのは、普通に良くないとされるものです。
スパム、釣りタイトル、低品質コンテンツ、誤情報、コピーコンテンツ、過度な商業利用、炎上、ユーザー離脱。

この逆を考えると、プラットフォームが「良いもの」と定義しているものが見えてきます。
オリジナルで、誠実で、ユーザーが満足して、プラットフォームに居続けてくれるコンテンツ。
この「居続けてくれる」というところで、別の顔が出てきます。
プラットフォームは理想だけで成り立っているわけではなく、事業として続けていくための現実的な目標もあります。
滞在時間を伸ばしたい(広告収益に直結する)
投稿者を増やしたい(プラットフォームが育つ)
離脱を防ぎたい(エンゲージメントが指標)
投資家に成長を示したい(上場企業であれば)
「良いコンテンツを届けたい」という理想と、「滞在時間を最大化したい」というビジネス目標は、多くの場合は一致します。しかし、完全には重なりません。
長く見させることと、満足させることは、同じではないからです。
かつてYouTubeが「再生時間」を最重視していた時代、内容を引き延ばしただけの長尺動画が量産されました。Googleの検索がクリック率を重視した時期、中身のない煽りタイトルが溢れました。プラットフォームが指標を変えるたびに、攻略の形も変わっていきます。
【余談】
Google検索で「いかがでしたか?」が大量発生した時は、マジで困りましたが、生物が環境に適応して進化していく様子のようで、なかなか興味深くもあります。
「いかが大量発生期」とか「釣りサムネ全盛期」とか、時期ごとに名前を付けて、表でも作ったら面白いかも。
グッドハートの法則という呪い
ある経済学者が提唱した「グッドハートの法則」という概念があります。
ある指標が目標になると、その時点でその指標は良い指標ではなくなる。
(When a measure becomes a target, it ceases to be a good measure.)
アルゴリズムは、ユーザーの満足度という「目に見えないもの」を測るために、クリック率・視聴時間・いいね数・保存数といった代理指標 を使います。感覚的なものを個別に計測することは現実的ではないので、それは当然の方法です。
しかし、それらの指標が「攻略の目標」になった瞬間、指標は本来の役割を失い始めます。
視聴時間を稼ぐために、内容を引き延ばす
クリック率を上げるために、タイトルだけを過激にする
いいねを増やすために、共感されやすいテンプレートに乗る
これらはすべて「数字は上がる」が「本質とズレていく」行為です。
プラットフォームはそれを察知して指標を修正する。修正されたら、また攻略が始まる。
こうして、アルゴリズムと攻略者のいたちごっこが続きます。
鏡に映る自分の顔をいじっても、本物の顔は変わらない。
体温計の数字を下げても、熱が治ったわけではない。
——そんな感じの話です。
作り手の理想と、言葉にされない欲望
ユーザーが語る言葉にも、いくつかのパターンがあります。
「伝えたいことがある」
「役に立つ情報を共有したい」
「好きなことで生きていきたい」
表現や創作を主軸にしているクリエイターはこういう言葉を使います。この場合、稼ぎたい・認められたい・バズりたい、という系統の欲求は、言外に漂っている程度です。日本の奥ゆかしさが感じられます。
一方、もっと直接的なパターンもあります。
「noteで月5万円稼ぐ方法」
「副業で収入を得るための発信術」
「フォロワーを増やしてマネタイズする」
こういう言葉は、お金や影響力の話を最初から前面に出しています。先ほどの「創作主体」系とはだいぶ違います。
しかしながら、後者の「稼げる系」情報も、そのまま「お金が欲しい」とだけ言うことは少なくて、
「好きなことで食べていく」「場所を選ばない自由な働き方」「自分らしい生き方の実現」
といった物語の外装がついていることが多いです。
「届けたい」系 → お金の話は言外にある
「稼げる」系 → お金について直接語るが、「自由」や「夢」の文脈で語られる
どちらも、お金を最終的な目的地として語ることはしない、という点では似ています。
これが「本音と建前」の問題かというと、そうとも言い切れません。
表の言葉が完全な嘘ってことはなく、本当にそう思ってもいるし、同時にそれ以外のことも思っている、というのが正直なところかと思います。
人間はそういうもんだし、経済もそういうもんでしょう。
二宮尊徳の、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という言葉を思い出しました。
「これでガチ100万円/月」といったお金一直線で語られている情報もありますが、そういうのはもう詐欺に片足突っ込んでるのでここでは見なかったことに……。
「攻略」と「理解」は、何が違うのか
アルゴリズムを意識することは、「悪いこと」なのでしょうか。
数字を見ることは、創作の「劣化」なのでしょうか。
私は、そんなに悪いものでもないと感じています。
YouTubeが「視聴者満足度」を重視しているとわかれば、その動画を最後まで見た人がどう感じたかを気にするようになる。
Googleが「E-E-A-T」を重視しているとわかれば、自分の経験を丁寧に言語化しようとする。
noteが「伝わるべき人に届ける」を大事にしているとわかれば、誰に向けて書くかを考えるようになる。
こういう場合は、「攻略」なのか、「理解」なのか。
少なくとも、プラットフォームが何を「良いもの」と定義しているかを知ることは、単なる攻略とは違う気がします。
「相手を理解する」とか「作法に則る」とかに近いイメージ。
問題が起きるのは、指標そのものを目標にしたとき——「誰かのため」ではなく「数字のため」に動き始めたとき——かもしれません。
「攻略」と「理解」の違いは、目的が「指標の操作」にあるか、「自分の本質の実現」にあるかの違いなのかな、とぼんやり思いました。
クリエイターエコノミーという名の新しい庭
「クリエイターエコノミー」という言葉があります。
個人が自分のスキルやコンテンツを発信し、プラットフォームを通じて収益を得る経済圏のことです。
10年前には存在しなかったやり方で、個人が生計を立てられるようになりました。
この経済圏は「アテンションエコノミー(注意経済)」の上に成り立っています。人々の「注意」が希少資源であり、それを取り合う競争が基盤にあります。
プラットフォームはその競争場を提供し、ユーザーの「注意」を集めることで広告収益を得る。
クリエイターはその競争に参加することで影響力を得て、その影響力を収益に変える。
全員が同じ方向を向いているように見えて、全員が微妙に違う方向を見ている。
プラットフォームが見る夢は「最適な人に最適なコンテンツが届く世界」かもしれない。
クリエイターが見る夢は「自分の作ったものが誰かに届くこと」かもしれない。
その間に広告、収益、承認欲求、競争、指標が入り込み、夢はいつのまにか攻略対象になる。
プラットフォームの夢と、作り手の夢
プラットフォームは、すべての人に最適なものが届く世界を夢見ています。
しかしその夢は、広告・収益・成長の論理から逃れられません。
作り手は、誰かに作ったものが届くことを夢見ています。
しかし届けるために、自分の表現を最適化する手段がチラつきます。
それらの間にあるズレが、「攻略」への違和感の正体なのだと思います。
プラットフォームの夢と作り手の夢は、重なっているようで完全には重ならない。
それは誰かの悪意のせいでも、誰かの嘘のせいでもなく、複数の夢が同じ場所で動いているから起きること、なのかもしれません。
攻略したければ攻略すれば良いし、しなければしなくていい。
そこに貴賤はたぶんありません。
攻略を意識したとき、自分が「誰のために、何のために作っているか」がわからなくなる感覚——
私が引っかかっているのは、たぶんそこなのだと思います。
まぁ、んなもん好きにしろって話ですが。
アルゴリズム攻略のためではありませんが、久々に、「ときメモ」でもやろうかと思います。(「アマガミ」もいいかも)
参考にした概念: グッドハートの法則 / アテンション・エコノミー / クリエイターエコノミー / プラットフォーム資本主義
⇩本文内で言及したプラットフォームの歴史に関する参考資料です。
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