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「風立ちぬ」の本庄季郎と”双舵の美人”と言われた九六式陸攻

ちょっと古い話で恐縮ですが、宮﨑駿監督の映画「風立ちぬ」の中に登場してきた堀越二郎の友人に本庄季郎というイケメン紳士がいました。
 今回はこの友人の作ったヒコーキの話を。

なんか人気でしたね(笑)

■堀越二郎氏の零戦と本庄季郎の一式陸攻

 映画での堀越二郎氏と本庄季郎氏。映画では同期の友人のように描かれていましたが、実際には、本庄氏の方が東京帝国大学工学部航空学科の一期先輩です。二人共、三菱に入社し、零戦と一式陸上攻撃機を設計して世に知られるようになりましたね。
 実際の二人の開発した飛行機たちの流れはこんな感じです。

本庄季郎→九六式陸攻一式陸上攻撃機
堀越二郎→九試単座戦闘機(九六式艦戦)→零式艦上戦闘機

 映画では、九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)の飛行が成功するところで終わっていましたが、日本の航空機産業を世界レベルまで飛躍的に押し上げたのが、九六式艦戦と、九六式陸上攻撃機と言われております。
 映画でも八試特偵(後の九六式陸上攻撃機)という名前の曲がサウンドトラック盤で出ていました。

八試特殊偵察機、この特徴的な垂直尾翼!映画「風立ちぬ」より

■美しいデザインと世界一周の記録

 佐貫亦男氏『ヒコーキの心』では、「スラリとした細い胴体もさることながら、翼端まで神経の行き届いた素晴らしい設計である。特に美しいのが正面で、胴体、双蛇、ナセル、引き込み脚などのデザインも秀逸であるとも」と絶賛しております。
 

主翼の形も垂直尾翼も特徴的です。

 確かに大きく広げたような直線的な主翼はコウモリのようにふわりと空に舞い上がるような感覚を覚えますし、垂直尾翼が2つ途中についているもの特徴的ではありますが美しいデザインだと思います。なによりスマートさを感じますね。

 こういう批評を受けながら模型や図面を見るのが格段の楽しみでもあります(^^)
 設計者の苦労やセンスがこういう形で現れるのですね。

胴体は綺麗な流線型だと思います。

 九六式陸上攻撃機は、中型のサイズであるので、後継機の一式陸攻と共に通称「中攻」と呼ばれました。
 軍から払い下げられた機体の中には、国産航空機で初の世界一周に成功した毎日新聞社の「ニッポン号」などがあります(1939年に世界一周飛行に成功)。

国産の航空機で世界一周に成功した「ニッポン号」模型化もされています。

■チャーチルを落胆させたその実績

 九六式陸上攻撃機の初飛行は1935年7月。支那事変から太平洋戦争の初期まで活躍し、後継機として一式陸攻にその主役の座を譲りましたが、高い航続性能を誇り、1941年の太平洋戦争の勃発には、一式陸攻と共にイギリスの戦艦、プリンス・オブ・ウェールズリバリスを撃沈するという戦果を上げ、当時の首相であったチャーチルを意気消沈させてしまいます。
 そのイギリス筋から名付けられたが「双舵の美人(べル)」ですので、にくき相手にも、そのデザインの良さは認められていたようです。

当時の日本の艦船では撃沈不可能と言われていたプリンス・オブ・ウェールズ
世界で初めて航空機のみの攻撃で撃沈した戦艦として歴史に名を刻むことになります。

■本庄季郎氏について

 この本庄季郎氏ですが、この九六式陸上攻撃機の完成間近の1934年に日本航空学会の懇談会でこんな意味の発言をされています。
 「今のエンジンは、油温計、油圧計、回転計、それにこの頃は排気分析計までつけている。これではまるで、体温計を脇の下へはさみ、血圧計を腕にくくりつけ、脈を測り、それに呼吸の分析をしながら走っているランナーのようなものだ。こんな計器なんぞなくても大丈夫な丈夫なエンジンをつくってもらいたい
 これを先程の佐貫亦男氏は、ユーモアとアイデアとは同じ起源のものだと聞いていたが、上手いたとえだなと感心した記憶があるとのこと。
 無邪気で典型的な東京人で、対話していてもエスプリが星のようにきらめく人柄だったと言います。同じ設計者でありながら堀越二郎氏とは正反対の性格であったとのこと。

実際にはあまり仲が良くなかったようで・・・。

 余談ですが、この本庄氏と堀越二郎氏の二人の設計に有能なブレーンとして携わった設計者に久保富夫氏という方が居るのですが(堀越二郎氏の4期後輩)、この方は、後の百式司令部偵察機という日本最速の優秀な飛行機の設計主任にもなりました。
 戦後は三菱自動車社長として「ギャラン」「ランサー」の名車を育てている方でもあるのです(^^)


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