零戦よりも速い!逃げ上手の一〇〇式司令部偵察機
第二次世界大戦時の日本陸軍と日本海軍は、戦略、資源配分、権力の全てにおいてことごとく対立する仲の悪さで有名なのですが、その海軍でさえ、欲しがった飛行機が陸軍の一〇〇式司令部偵察機という飛行機です。
その機体は、アメリカからも称賛され、「第二次大戦で活躍した軍用機のうちで最も美しい機体の一つ」とまで評されています。 とにかく速い、圧倒的な逃げ切り上手なこの機体をご紹介。
■開発時点ですでに零戦より速かった!
一〇〇式司令部偵察機の一〇〇は、零戦と同じ皇紀2600年の正式採用の由来から来ています。海軍では零式、陸軍では一〇〇式にするあたり、既に対抗意識が感じられますね。
陸軍の司令部偵察機では三菱九七式司令部偵察機(480〜510km/h)が前線に投入され活躍中でしたが、そのわずか半年も経たずに後継機のキ46の開発を三菱に命じています。
設計主任は久保富夫技師(戦後三菱自動車の社長になる)。要求は最高速度くらいだったので自由に設計ができました。
1939年11に初飛行、その時点で540km/hを記録し、零戦の最高速度を超えていたのですが、要求の600km/hには達せず。しかしながら安定性の良さや更なる性能向上が見込まれたため、1940年9月に一〇〇式司令部偵察機として正式化されました。これがⅠ型で34機製造されます。

ちなみに九七式司令部偵察機は朝日新聞社の「神風号」としても有名です。
正式採用後も改良は続き、1941年に3月には国産機としては初めて時速600km/hを突破、日本機最初の600km/hオーバーを記録します。この機体は1942年6月に正式採用され、実戦に投入されます。これがⅡ型と言われるもので最多の1,093機の生産数を誇ります。
登場からしばらく、連合軍には撃墜する手段がありませんでした。中国大陸やビルマ戦線では本機が高速で偵察通過した後に爆撃機が攻撃してくる事から「ビルマの通り魔」として恐れられます。
1943年以降、アメリカ軍のP-38やF6Fヘルキャットなど、一〇〇式司偵を脅かすような強力な戦闘機が登場しますが、さらに改良を施されて性能アップし、ヘルキャットの追跡をかわせるほどの性能を持つに至りました。
どれくらい速かったかというとこんな感じです。1943年までほとんど敵なし。

・キ46-Ⅲで日本軍最速機へ
1943年3月にはついに630km/hを記録。これは四式戦闘機「疾風」(キ84)の624km/hを押さえ、戦時中に実用化された日本陸海軍機中最速機となりました。このⅢ型は速度630km/h、航続距離4000km、上昇限度10500mと高性能を誇るようになります。
ちなみに疾風は戦後アメリカで689km/h出したとされますので、一〇〇式司令部偵察機も700km/h近くいった可能性がありますね。
この時、風防を前に伸ばし更に流線型となりましたが、このスタイルが日米共に美しいとされているようです。しかしながら、後の風洞実験でこの流線型風防はあまり効果がないことが分かり、元に戻りました。

・武装化して迎撃に投入
戦局が悪化して、B-29が襲来する可能性が高まると、偵察機たちも本土決戦用に防戦装備を備えます。戦闘機たちは、まだ上昇力や高々度性能が十分でないため、高々度性能が高いこの一〇〇式司令部偵察機に期待がかかります。
当初は成果も上げていたのですがB-29が高々度から低・中高度へ戦術を変更してP-51などの護衛戦闘機を付けるようになると、被害が増えるようになり、一線から退き、迎撃専用の戦闘機たちに譲り、本来の任務に戻るようになります。以降、日本軍機の中では終戦まで活躍する稀有な存在となります。

■戦略偵察機の草分け的存在となった機体
一〇〇式司令部偵察機は、日本軍が保有していた独自の司令部偵察機であり、戦後に発展する戦略偵察機の草分けとも言える航空機でした。現代のアメリカのSR-71やU-2などの機体が知られていますが、これらの機体を世界に先駆けて配備したことは、日本軍航空部隊の先見性を示しています。
通常の偵察任務が、敵の空母艦隊や飛行場の様子を撮影するのに対し、この機体は、より敵地奥深く侵入し、生産施設や補給部隊、交通網の調査を行い軍の戦略を立てることにあったことがその特異性になります。
このように、制空権のない敵陣に飛び込んで撮影するため、危険度は非常に高いです。撃墜されるリスクもあるため、一刻も早く、最高速で逃げ帰る必要があります。したがって、航続距離も重要な要素だったわけですね。

■「飛行機の姿を見て、ああ奇麗だな、と思うようなものでなければ、その飛行機は良くならない」
設計主務技師の久保富夫氏の言葉ですが、納得ですね。そのスタイルは敵にまで言われるようなデザインで「第二次大戦で活躍した軍用機のうちで最も美しい機体の一つ」"One of the most elegant aircraft of World War Two"と評されました。
美しいから性能が良いのか。性能を良くしたから美しくなったのか。エンジニアや工業デザインを志す者には忘れてはいけない言葉かもしれません。
兵器としての悲しい宿命を負った軍用機ですが、性能の極限を求めたその姿は魅了するものがあることも確かですね。


