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九六式艦戦の実用化までの苦難 〜【堀越二郎の挑戦その3】

 堀越二郎の挑戦ということで今回は第3回目です。
 映画「風立ちぬ」では、九試単戦の飛行が成功したところがクライマックスになり、ラストは戦後の飛行機の墓場と、カプローニ伯爵の会話、菜穂子との死後の再会というシーンになりますが、現実の世界ではここからが大変になってくるわけです。
 九試単戦を艦上戦闘機として仕上げていくための苦労の連続がこの後に続きます。


1. 試作から正式採用へ

 九試単座戦闘機の成功を受け、実用化に向けた改良が進められました。まず大きな変更点のひとつが、特徴的だった逆ガル翼の廃止です。
 逆ガル翼は、脚を短くできることで軽量化や構造の簡素化につながり、大型プロペラとの干渉を避ける効果もありました。また、機首前方から下方にかけての視界を改善する工夫でもありました。
 しかし一方で、失速特性に難点があり、海軍の求める艦上戦闘機としての設計要件を満たせなかったのです。そのため、より現実的な運用に適した通常型の主翼が採用され、着陸時の安定性や失速特性の改善が図られました。

逆ガルウイング好きなんですけど

 堀越二郎が設計主務を務めたこの機体は、1936年(昭和11年)に制式採用され、九六式一号艦上戦闘機(A5M)と名づけられました。A5は海軍戦闘機としては5番目の採用した機体で、Mは三菱製の機体という意味です。
 まずは、三菱航空機が初めて海軍の主力戦闘機として正式に配備された記念すべき存在です。日本が戦闘機開発で世界のトップレベルに追い付いた瞬間でした。 

 最初の量産型は460馬力の寿二型改一を装備しました。出力が小さいためプロペラの枚数は2枚なので後の3枚型とは見分けがしやすくなっています。


 「アルキメデスの大戦」の7巻では、逆ガルウイングに拘る堀越二郎と通常翼に拘る主人公の櫂少佐との試作機争いが面白いですね。フィクションなんですが、実際に史実通りに動いています。

2. デビュー戦と最初の成果

 性能はエンジンの選定で悩みに悩み、試作時の九試単戦よりもやや劣るものでしたが、信頼性もあり、実戦では驚くべき結果を残しました。
 1937年、中国戦線でのデビュー戦。空母「加賀」から発艦した九六式1号艦戦2機が、襲来したカーチス・ホーク6機を迎撃します。数的不利をものともせず、3機を撃墜して見事に帰還。この戦果は艦上戦闘機としての可能性を証明し、堀越の設計が実戦に耐えるものであることを示しました。

当時のライバル機たち。九六式艦戦の性能は圧倒的でした。
中国に供与されていたアメリカの戦闘機たち
(上)カーチスホークⅢ(BF2C) (下)アメリカのP-26

3. 続々と寄せられる現場の声と改修

 続く九六式二号一型(A5M2a)では発動機を強化し三翅プロペラを採用。さらに二号二型(A5M2b)では密閉式風防やカウルフラップを装備しました。
 しかしこの風防は、パイロットたちから「視界が悪い」と強い不満が寄せられ、現場の要望で開放式に戻されるという経緯もありました。少数生産機だからこそ可能だった改造の柔軟さが、実戦に即した改良を可能にしたのです。
 その間も現地から様々な要望が来て、1,000機あまりの生産数のわりに実に様々なバリエーションが出来上がることになります。全部わかる方は相当なマニアです(^^)。

風防だけでもこんなに種類が・・・

九六式1号(A5M1)〜寿二型改1エンジン(460馬力)で2枚プロペラ。30機生産
九六式1号改(A5M1a)〜20mm機銃を装備した実験機
九六式2号1型【前期】(A5M2a)寿三型(610馬力)で3枚プロペラに。
九六式2号1型【後期】胴体を高くしたタイプ
九六式2号2型【前期】(A5M2b)
密閉式風防タイプ現地からは大不評。
九六式2号2型【後期】操縦士保護のために背びれを高くしたタイプ。
九六式3号(A5M3a)水冷エンジン搭載の実験機。
九六式4号(A5M4)
寿四型(680馬力)本命登場。約1,000機製造

九六式3号(A5M3a)全然スタイルが違いますね!
ファインモールドの「九六式四号艦戦 蒼龍飛行機隊」

4. 本格量産と圧倒的戦果

 1937年末には、改良発動機「寿」四型を搭載した九六式四号(A5M4)が完成。最高速度435km/h、上昇性能も大幅に改善されました。ここに至り、ようやく堀越が最初に描いた理想像に近づきます。九試単戦の初飛行から約3年。長い長い改修の歴史になりました。

 南京上空戦闘をはじめとする日中戦争では大戦果を挙げ、1938年4月の大空戦では27機の九六式艦戦が78機の敵を迎え撃ち、わずか2機の損失で51機を撃墜しました。
「天下無敵の戦闘機」という戦果に国内の新聞もこぞって書き立て、この「海軍新鋭戦闘機」の名は国民にも広く知れ渡ることになり、設計者堀越二郎の名も認知されるようになります。
 日本人だけの力で欧米列強国機に対抗できる機体を実現するという目標は、この九六式艦戦によって達成されたといえましょう。

敵機と空中衝突をして片翼になりつつも
帰還したことで有名になった樫村寛一氏の九六式艦戦

5. 次なる挑戦への橋渡し

 もっとも、ライバルの中島飛行機が開発した陸軍九七式戦闘機は九六艦戦を上回る性能を示し、日本国内での優位性も長く続きませんでした。わずか数年で性能が追いつかれる・・・。そんな一息つく休みもないような時代だったようです。

陸軍の中島九七式戦闘機

 堀越にとっても、初の正式採用艦戦であり、地道な改良と現場対応を通じて信頼を築き上げた経験は、次なる大飛躍への確かな土台となりました。

 次回は、いよいよ日本海軍航空隊の象徴となる「零式艦上戦闘機」の開発秘話に迫ります。


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