noteをはじめたい エピローグ
noteをはじめるための虎の巻、やまだくにあきさんの「誰でもnote」に書いてあり、それをやってみようと決めた自分との約束だった「1週間毎日書く」、を終えた次の日の話。
何を書くのかも定まらず、ひとに読んでもらえるようなものを書く準備もないまま、とにかく「始める」ことだけを超えてみようと最初の投稿ボタンを押してから、1週間で7つの記事を書いた。
毎日noteを開いて白い画面を見つめながら、書くことがこんなに難しくなってしまったのかということに愕然とした。
走ったり跳んだりするのと同じで、かつては(質はともかく)軽々といくらでも文章を綴っていたはずなのに、その記憶のイメージからはかけ離れて書くための筋肉はすっかり衰えていた。
それでもとにかく、思考が働かなければまず身体を動かす、の法則だと思って7日間キーボードに向かった。
自分の日記にこっそり書いておけばいいようなことしか出てこない日もあり、ぶらぶらと読みに出かけて迷子になって途方にくれることもあった。
散歩に出たnoteの空間は、エネルギーの輝く記事であふれていた。
軽やかに、颯爽と、力強く、「読まれる」ためのものを書いているひとたちがひしめいていた。
「スキを増やす」「フォロワーを増やす」「有料記事を読ませる」「収益化する」、そんな議論がたくさんあった。
そういう、理路整然とした記事を読んでは閉じた。
せめて読ませてもらったことへの感謝を込めて、そっとハートマークを押した。
自分の最初の記事に、ひらりと「スキ」が届いたときのふしぎなよろこびは忘れない。
誰かが自分の書いたものを読み、それに対する意思表示をしてくれる。
開いた場所で書けば、現実に誰かのところに届く可能性が生まれるのだ。
でもなぜだか、そちらに向かって歩いてみようとは思えなかった。
そこを目的にすることと、自分が書く行為には何か根本的に隔たりがあるように感じた。
わたしは閉じているんだろうか。
ありがたいことに、noteの世界では、そういう硬直状態から動き出すときの葛藤を知っているひとたちがたくさんの仕組みを用意してくれていた。
記事を投稿するとそのたびに励ましのメッセージが表示される。はじめかけのクリエイターの投稿を集めて皆んなの目に届きやすくしてくれる。
この超大な箱には、おそるおそる足を踏み出してみた背中を押してくれるすてきな仕掛けが詰まっていた。
7日間を終えて、7つの記事が公開されて、ありがたいことに最初の記事にいくつかの「スキ」がついた。
4日目以降の記事はだれの目にも留まらなかった。
留まるようなものを書いたとも思わなかった。
これは小さなリハビリ。
だから、それでもよかった。まずは「はじめてみる」をやってみた。
それはそれで、ひとつ満足した。
だけど、自分がこの先この空間でどうしていきたいのかは依然見えてこなかった。
ひたすら毎日記事を書く、とか、テーマを決めてシリーズを書く、とか、いくつかやり方はありそうだったが、次の一歩の方向が見えていないまま続けても、早晩行き詰まりそうな気がした。
8日目に、その寄る辺ない気持ちを書いた。
せっかくここに参加してみたいのに、どうやってとっかかりを作っていいのかわからない。
その晩、眠る前に布団のなかで何気なくメールをチェックしたら、受信ボックスに「スキされました!」というタイトルがずらっと並んでいた。
差出人はnoteだ。件名はまったく同じものが8つ並んでいて、何かのバグかと思った。
一番の下のをひとつ開いた。Violaさんという方が、最初の投稿にスキしてくれていた。
二通目は、おなじViolaさんから二つ目の投稿へのスキだった。
三通目、四通目、、、Violaさんは、わたしが公開した8つの投稿すべてに、スキを送ってくれていた。
その威力はすごかった。
「Violaさんがスキしました!」というメッセージとともに、イラストのハートが飛び出してきた。
わたしの受信ボックスに、ハートがあふれた。
投稿したらメッセージが自動表示されるnoteの仕様だけでも確実に励まされていたけれど、この世界のどこかに存在するひと(外国に住んでいる方だったので、時間も空間も相当に隔たっているはずだ)が自分の書いたことに目を留め、とんでもなく力強い応援のメッセージを送ってくれた。
比喩ではなく、その瞬間に私の世界は変わった。
その方のアカウントにお邪魔して記事を読み、そこからまたその先の新しい記事に導かれた。
その先に、私が住みたいと思う街が広がっていた。
「ご無理なさらず、ご自身の為に書き始めてください。」と、彼女はメッセージをくれた。
noteには、「収益系」とそうではない世界がくっきり二分されていること。
慎重になりすぎず、人のことは気にせず、とりあえず書いて投稿していくうちに、自分のペースや書く目的が明確になっていくだろうこと。
引っ越してきたばかりの街で、シャンゼリゼ通りみたいな目抜き通りのショーウィンドウに目がチカチカし、最新AI搭載のEVがびゅんびゅん走る四車線の幹線道路の前でとても自分には渡れそうもないと尻込みしていたわたしの背中を、彼女は後ろからそっとトントンとたたいてくれた。
「こっちだよ」と導いてくれた先に、途方もなく楽しそうな裏路地があった。
こっちだ、と思った。
わたしの心がりんりんと鳴った。
はじめて、ここで暮らしていけるかもしれないと思った。
これは、「noteをはじめたい」のエピローグでもあるし、これから先のプロローグでもある。
8日目にこんな体験をしたわたしはとても幸運だと思う。
そして、そのことを書くのに1週間もかかってしまった。
自分が動いてみれば、必ずその反動で世界のどこかが小さく揺れる。
それを見つけてくれるひとがいるかもしれない。
その動きが伝わるのはもう少し後かもしれない。
誰にも感知されずに消えていくかもしれない。
そうしたら、もう一回小さな波を起こせばいい。
今度はどこかに届くかもしれない。
届かなくたって、べつにかまわないのだ。
Violaさんには、「自分らしいnoteを創っていきたいです」とお返事をした。
路地裏で見つけた、すてきな記事すべてにお礼を言いたい。
これからまだまだ見つけにいこうと思う。
気負わずに、最初から遠出しようと思わずに、てくてく歩いてみようと思う。
自分が動けば、楽しいことに必ず出会える。
わたしのnote暮らしのはじまり。
