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及川道子のファン雑誌「オアシス」調査結果報告書

まえがき

及川道子のファン雑誌「オアシス」、創刊号を含む8冊の閲覧が叶ったため、どのような雑誌だったのか大まかに記しておきたいと思い居ます。複写不可の資料は自分のメモ頼りのため、一部情報不足な処がありますがご容赦ください。又の機会に埋め合わせたいと思っています。

及川道子の後援会でありオアシスの発行元「ミッカ会」に就いても或る程度解りましたので、そちらに就いても記録しております。

個人的には「発起人」の項に様々な著名人の名があり、一番の見所だと思って居ます。


「オアシス」創刊号 

昭和6年8月31日印刷
昭和6年9月5日発行
価格:当分会員に頒布(※後に30銭になる。)

及川道子自身の言葉

創刊にあたっての道子自身の言葉としては「このような雑誌は面はゆいけれど、これが皆さんや世の中のために役に立つのなら……」という事が書いてあり、戸惑いながら「オアシス」の創刊を受け入れたという樣子だった。
及川道子という人は何時も社会貢献ということを考えて居る人だと感じる文章だった。

「ミッカ会」の由来

及川道子が「不壊の白珠」の不要なフィルムを持って帰ったら、3歳(数え年なので満2歳)の弟が玩具の映写機でそれを写して遊んで居た。家族みんなで見て居たら、道子のアップが画面に出たときに「ガラガラミッカ!ガラガラミッカ!」と弟が騒ぎ出した。正確な意味は解らないが、ミッカとは道子の事で舌が上手く回らないからミッカと云ったんだと母が思ったのだそう。その場にいた内田岐三雄(映画評論家・字幕翻訳家)が「ミッカ」というのを可愛いと気に入り、会の名前にしてはどうか、と提案した。という話。

つまりミッカ会=道子会ということ。
また読み方は「mitsuka」ではなく「mikka」と明記あり。

因みに「オアシス」の由来は、皆さんの心のオアシスになるように……という事らしいが、道子の父が大正末期に開いていた喫茶店と同じ名前。(※その店に渡辺温他文化人や舞台人などが訪れていた)

「オアシス」の雑誌方針

編集後記より
編集の大半を担ったという桂近乎によると雑誌の趣旨はこういうことらしい。

一言にして言へば、及川道子嬢の真面目な真摯の芸術精進の目的を授けると同時に会員相互が真面目に人生問題と芸術一般の問題とを討検し合って、向上しようと云うのが目的です。だから此の雑誌に寄稿される方は、知名の人々だけでなく、会員の人であれば誰でも投稿する事が出来ます。只ふざけた物は絶対に出し度くないと思う。

桂近乎/オアシス創刊号・編集後記より

つまり、及川道子と共に芸術や人生を向上させようという趣旨の雑誌らしい。

昭和9年の第三種郵便総覧 によると
オアシスは「映画劇、文学」の雑誌で、毎月1回1日発行とのこと。
<逓信省郵務局 編『第三種郵便総覧』総覧,逓信省郵務局業務課,昭和9. https://dl.ndl.go.jp/pid/1242080 (参照 2025-10-01)>

創刊号の内容

・及川道子のエッセイ

渡辺温の墓参りと避暑に行った話
 →この後はエッセイではなく、日記形式になっていく。

・及川道子の築地小劇場時代の寫眞が5枚。

→色々と見た築地小劇場関連の資料や展示では見れなかった及川道子の舞台上の写真で、非常に貴重だった。ルパシカを着た写真もあり。

・知人から見た及川道子

→道子の声楽の先生・平井美奈子、道子の従兄弟の男性、道子と昭和5年の春に「婦人世界」で対談した女性らが寄稿。(※もう一度オアシスを確認に行けたら、執筆者の名前を控えておきます。)

・平井美奈子は、女優なのに質素で妹さんが手縫いで作った服を着ていた。芸術の話題以外はまるで無邪気な娘さん、とのこと。女性らしすぎる体型から太いしっかりした聲が出るのは意外だった。歌には向かない声だけど、悲観しないで、トーキー映画には向いていると思う。という話。

・従兄弟の男性は、最近(昭和6年)鎌倉で道子を見掛けたと知人から聞いたという話と、道子が油断しないように演技を敢えて誉めていないという話。(※長所を誉めて伸ばそうとしていた渡辺温とは正反対だと思う…笑)

・対談した女性は「とても丁寧で謙虚で感じのよい方。もし悪口を言う人がいたらその人がおかしい」というような内容。

・ファンレターより抜粋

→及川道子への熱い思いが綴られる。創刊号で原稿がないため、ファンレターから抜粋したとのこと。1作しか見れてないが熱狂的なファンだという女性、「映画批評をする力があれば素敵な事が言えるのだろうけど、道子さんが大好きな気持ちは誰にも負けません!」という感じの女性ファン。

・及川道子のゴシップ

→撮影の現場で時間に几帳面すぎるという真面目エピソード。他には斷髪にすべきかどうか、という話。(結論は無い)
余談だがアサヒグラフに載って居た道子のゴシップも「真面目すぎる」というネタだった。渡辺温が対談で「真面目すぎるというのでゴシップになるのもいいですよ」と云っていた事が実現して居る。

・XYZ氏らによる海外映畫の紹介記事2件

→及川道子とは無関係の内容。
謎の寄稿家XYZ氏も寄稿している。苦楽、女性の創刊号から寄稿し、築地小劇場の冊子、新青年、映畫雑誌にも寄稿をしているXYZ氏。どのような人なのだろうか。

・「及川家御用達」という神田區の洋装店の廣告など

「御手持ちの洋服を流行型に改造も致します」との事で仕立て屋さんなのかもしれない。

創刊号は殆どが及川道子に関する話だった。

その後の内容

これが後には「及川道子のファンによる文藝投稿雑誌」という雰囲気に変わって行く。ファンによるエッセイ、小説、コント、詩、俳句、短歌等が掲載され、内容は特に及川道子とは関係なさそうだった。短歌の投稿は少なかったようで、投稿数が少ないため短歌のコーナーがなくなった月もあった。
創刊号以外で確認出來たのは 昭和8年6月、昭和9年2月、11月、10年4月、5月、11月、11年3月の7冊のみであり、此の雑誌の全貌は解らない。

創刊号の編集後記に掲載されていた寄稿者予定

・故平林初之輔の弟・平林敏滋の「大島雑記」→次月号へ
・佐々木邦→二号か三号には必ず書く約束
・西条八十→病のためNG。二号には原稿をもらいたい。
・宮地嘉六
・白柳秀湖、加藤一夫、柳田泉、村尾薫、山本安英、薄田研二、新築地の方々など。
・外国映画の紹介を増やしたい。
・昭和6年10月半ば過ぎにオアシス発刊記念として「映画と実演の夕」という催しをする予定。

その他の号の寄稿者

昭和9年2月号
室伏高信の寄稿があった。
昭和10年5月号
この頃、作家の笹本寅が度々寄稿している。道子と知り合って10年近くと言う事で、春秋社からの縁だとみられる。(及川道子は昭和2年から春秋社で働いていた)

渡辺温関連寄稿者

昭和9年2月号の渡辺温追悼号以外で見られる関係者を記録する。

6巻3号(11年3月号)渡辺温の七回忌にあたる時。
俳句の投稿コーナーに温の父親・渡邊伊太郎が「かぜをひいて」というタイトルで俳句を6本投稿している。その内2篇には「亡兒の七周年忌にて」との表題があり、温の七周忌に俳句を寄せた物だと思われる。

5巻4号 昭和10年4月
「お茶の水驛」渡邊渡・作
主人公・新吉、妻・由子 新吉は或雑誌社の訪問記者として偶然に生計の道を立てるが……。若い夫婦の掌編。万世橋等も出てくる東京の話。
渡辺温の末弟「濟」氏と同じ「わたる」と読める名前。濟氏も句など創作を嗜む方であった。もしこれが濟氏の作であればこの時、満23歳。雑誌の訪問記者という処に亡兄・温との共通点を感じるが……如何なものだろうか。

3巻6号 昭和8年6月号
「ミス・ヨーロッパ」という映画の記事を寄稿している「H・S生」は長谷川修二ではないだろうか。内容はルイズ・ブルックス評など。温と共に道子の喫茶・オアシスに通っていた修二なので、道子とは知らない間柄じゃない筈。むしろ此の三人のファンとしては何故関わって居ないんだろう?とすら思って居る。

創刊第五年記念特別原稿募集

また、創刊5年記念としてあらゆる形式の文芸作品を募集しており、商品は以下のとおり。

  • 商品 特選 本誌一年分購讀券贈呈

  • 入選 オアシス原稿用紙

  • 佳作 道子嬢サイン入プロマイド

個人的には佳作の品が一番いいように思うが、ミッカ会の会員は毎月貰っているようなので、そう新鮮さがなかったのかもしれない。

会費など

創刊号によると毎月御送り下さいという事。多めに送ってカンパしていただくことも可能という話。(※毎月の会費をメモしてくるのを失念しました。また次の機会に調べてきます)

特典

関西のミッカ会は毎月及川道子のサイン入りブロマイドと劇場の割引券が届くとのこと。

発起人(五十音順)

及川道子の後援会「ミッカ会」の発起人一覧が創刊号に掲載されていた。作家や編集者など著名人が多く、及川道子の交友関係や支持者が見える貴重な資料だと感じた。また渡辺温の友人も何人か名を連ねて居り、どういうやりとりや心遣いがあったのか、という処も様々に想像してしまう。

昭和6年時点で何歳なのか、解る範囲で記載して置きます。
ちなみに及川道子は20歳、参考に渡辺温が生きて居たら29歳。

靑山襄 (30歳)
画家
油絵画家青山襄(じょう)について知りたい。 >

相坂佶(あいさかただし)
大阪エスペラント教会創立者
(1921年 国際通信社相坂佶ら大阪エスペラント協会(OES)創立:大阪エスペラント会 - Osaka Esperanto Societo - OES沿革

伊藤龍吉
写真家? 「写真修繕法」を昭和3年に刊行。

オリエンタル写真学校の関係者とみられる
https://auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f288945535

井上成意
早稲田ラグビー部初代主将で早稲田大学R.O.B.(ラグビー・オールド・ボーイズ)倶楽部初代会長。
早稲田ラグビー百年史 | 早稲田大学出版部

井上敏夫
国語教育に関する著書を出している人の方か、実業家の方か今一つ解らない。或いは別の人かもしれない。一寸不明。

及川武壽(37歳)
及川道子の「大阪のおぢさま」。道子の父、鼎寿の唯一の弟。米国貿易会社大阪支店勤務、昭和8年から大北電信大阪支店勤務。昭和10年10月19日(奇しくも道子の誕生日の前日)に心臓麻痺で42歳で逝去。(オアシス昭和10年11月号より)稀れに見る人格士とのこと。

梅本 忠男(29歳)
報道写真系統の写真家
1928年、講談社に入社し、編集者として活動。

河野通勢(36歳)
画家版画家。 

桂近乎(かつらきんや)(30歳)
音楽評論家。別名・半井純。日本ビクター株式会社勤務を経て、茨城大学教授。https://lit.kosho.or.jp/%E6%A1%82%E8%BF%91%E4%B9%8E

加藤 一夫(44歳)
詩人評論家翻訳家トルストイの影響を受けて1917年『土の叫び地の囁き』を刊行し、民衆詩派の詩人として文壇に登場、また民衆芸術論という思想評論を唱える。1918年、春秋社創設に参画する。

加藤四郎
昭和5年、キネマ旬報で同名の寄稿文が見られる。

春日嘉藤次(51歳)
アルス西洋音楽大講座 第7巻にて打楽器(春日嘉藤次)を執筆。
アルス西洋音楽大講座 第7巻 | NDLサーチ | 国立国会図書館
元陸軍軍楽隊長、1880年生まれ
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如月敏(28歳)
映画シナリオライター (コトバンクより)

小泉竹雨庵(こいずみちくうあん)(58歳)
渡辺温の叔父、学者、教育者と思われる人物。本名:小泉秀之助
初代秋田市長の家に21歳の時に婿養子入りした人。
清朝及び現代民国の文学」の著者。

駒沢文一
作品社(雑誌社)主幹
<文芸家協会 編『文芸年鑑』昭和6年版,新潮社,昭和4-6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1077758 (参照 2025-09-30)>

佐藤冨治
東京高等工藝学校講師・工学士・
昭和5年『工学叢書』機械篇 工業力学,を出版。
<国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1188397 (参照 2025-09-30)>

佐々木邦(48歳)
作家英文学者慶應義塾大学教授、明治学院大学教授を歴任。

白柳 秀湖(47歳)
小説家社会評論家歴史家

菅 忠雄(32歳)
小説家編集者

鈴木 氏亨(46歳)
早稲田大学卒。新聞記者、編集者。菊池寛の秘書を務めたのち、1923年に創刊された月刊誌『文藝春秋』の編集に加わり、のちに文藝春秋社の専務取締役を務めた。

高橋哲二郎
松竹寫眞通信社 所属
<日本商工通信社 編『職業別電話名簿』第25版,日本商工通信社,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1112313 (参照 2025-09-30)>

土井通彦 
・早稲田同人誌「奇蹟」に谷崎精二らと共に執筆。
・大正9年〜10年にかけて春秋社の「杜翁記念文庫」内「メエテルリンク篇」を翻訳した。(杜翁=トルストイ)
<『日本文学講座』第十三卷,改造社,昭和9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1885010 (参照 2025-10-01)>
<紅野敏郎 著『白樺の本 : 文学史の林』,青英舎,1982.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12458750 (参照 2025-10-01)>

二階堂正治
「工業と經濟」発行人など。東京商科大 学士試験合格者。
<『工業と経済』(6月號)(54),日本工業協会,1937-06. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1538459 (参照 2025-09-30)>
<『東京商科大学一覧』昭和5年度,丸善,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1441633 (参照 2025-09-30)>

濱野彌一
「小売商店の秘訣」執筆
<『日本百貨店組合調査彙報』第6年(12),日本百貨店組合,1938-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1551896 (参照 2025-09-30)>

平林敏滋
平林初之輔の弟。
昭和5年「鹽と人生」を出版。
<平林敏滋 著『塩と人生』,三光書院,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1177161 (参照 2025-09-30)>

平井 美奈子(29歳)
声楽家ソプラノ)、歌手童謡歌手音楽教育者。及川道子に声楽のレッスンをしていた先生。

廣瀨将
文筆家。渡辺温、啓助の大学時代からの友人。新青年にもシナリオなどを多数寄稿している。昭和10年頃から戦争や時局に関する文章を多数執筆。クリスティーなど推理小説の翻訳も手がける。
昭和5年の時点で桂近乎、笹本寅らオアシス関係者と近い場所にいたよう。
<ロマン・ロラン 著 ほか『ベートオ[ヴェ]ン : 偉大なる創造時代』第1巻,春秋社,昭和5. https://dl.ndl.go.jp/pid/1227012 (参照 2025-10-02)>
<日本探偵作家クラブ 編『探偵小説年鑑』1951,宝石社,1951.. https://dl.ndl.go.jp/pid/12503525 (参照 2025-10-02)>

舟木重雄(47歳)
小説家。広津和郎・葛西善蔵らと文芸同人雑誌「奇蹟」を~創刊。(オアシス発起人の土井通彦 も同誌に執筆)志賀直哉との親交~も深かった。
コトバンクより

福田耕太郎 (31歳)
弁護士。「生きている兵隊」事件で作家・石川達三の弁護士を担当した。渡辺温、啓助の茨城の頃からの友人。3人で共に下宿していた事もある。ミッカ会では道子に茨城の宿を手配したりと、割と関わりを持っていたよう。

本郷保雄
大正12年、チェホフの記念祭を翻訳した人。
<近代劇大系刊行会 編『近代劇大系』第14巻 露西亜篇 2,近代劇大系刊行会,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/976830 (参照 2025-09-30)>

宮地嘉六(47歳)
佐賀県出身の小説家。戦前は無産派文学の旗手として知られた。

宮田新八郎
朝日新聞社勤務。渡辺温の慶應大学時代からの友人。また横溝正史の友人でもある人。

村尾薫
1928年から1939年まで鉄道省に属し、80本以上の宣伝映画を監督している人。
National Film Center, The National Museum of Modern Art, Tokyo

山本栄造
不明。どうしても解りませんでした。情報お待ちしております。

山本安英(29歳)
築地小劇場の女優。及川道子が姉のように慕っていた人ということ。

山田春男
不明。どうしても解りませんでした。こちらも情報お待ちしております。

柳田 泉(37歳)
明治文学研究者・翻訳家。明治文学に関する資料収集・編纂、実証研究で多大な成果がある

山梨稔
昭和9年よ寫眞科學研究所(株)配給部主任 
中央大学卒業後、実業関係の法律を研究し渡邊土地事件、星製薬事件、国民新聞事件の処理にあたる。昭和9年PCLに入る。
松竹興行株式会社【大株主】
<ダイヤモンド社 編『ポケット会社要覧』昭和10年 1月版,ダイヤモンド出版,昭和10. https://dl.ndl.go.jp/pid/1232712 (参照 2025-10-01)>
<活動新聞社 編纂『映画事業名簿』昭和10年 下期版,活動新聞社,昭和10. 国立 https://dl.ndl.go.jp/pid/1032452 (参照 2025-09-30)>
<帝国秘密探偵社 編『大衆人事録』第11版,帝国秘密探偵社[ほか],昭和10.  https://dl.ndl.go.jp/pid/8312058 (参照 2025-10-01)>

横溝正史(29歳)
作家、編集者。渡辺温の友人。この頃は博文館の編集者で「探偵小説」の編集をして居た時期だろうか。

横山 美智子(36歳)
小説家。夫の横山寿篤は出版社キンノツノ社社長。

和田精(38歳)
音響演出家。築地小劇場創立メンバー。日本における音響効果の創始者。渡辺温と親しくしていた。

編集同人

靑山襄、駒澤文一、濱野彌一、加藤四郎、高橋哲治郎、平林敏滋、
田村吉徳(※どういう人なのか解らず。情報お待ちしております)、二階堂正治、小泉竹雨庵

安彦好榮
オアシス・ミッカ会の窓口をしていたよう。
昭和24年日本ゴム工業(株)文書課長<高田巌『東京紳士録』下,ジャパン・クレヂット・ビューロー,1949. https://dl.ndl.go.jp/pid/8322710 (参照 2025-10-01)>

桂近乎

岩本市助
昭和12年に「樂翁公記念會と記念講演」を『救護事業 : 東京市養育院時報』に執筆した人。
<東京市養育院 [編]『救護事業 : 東京市養育院時報』第37年(7月號)(421),東京市養育院,1937-07. https://dl.ndl.go.jp/pid/1471812 (参照 2025-10-01)>

勝田成治
昭和14年に臼井正美という大学生の追悼本を編集して出版した人。
<勝田成治 編『有鄰』,勝田成治,昭和14. https://dl.ndl.go.jp/pid/1108683 (参照 2025-10-01)>

山梨稔

會員数

創刊号の時点での會員数は156名。男女比は恰度半々の78:78でした。会員の名前が居住地と共に掲載されています。東京が最も多く次いで兵庫、愛知。遠方では朝鮮(5名)や上海(1名)まで会員が居り、沖縄は居ませんでしたが、日本中殆どまんべんなくファンがいるような感じでした。

創刊号会員名簿より

その中から僕が気になった会員をピックアップします。他の方が見れば、もっとピンと来るお名前があるのかもしれませんが。

▲茨城縣(助川)渡邊常子
これは渡辺温の母「常」でしょう。茨城県助川は温の実家の住所。「子」を附けたのは周りに祕密にするために仮名にしたのだろうか。このオアシス誌、当初はこの会員のみへの頒布で自宅には屹度「常子」で送付された筈である。
温と道子の結婚を反対した両親だけど、温の死後もこうして道子のことを気に掛けて居たという事が解った。

▲東京市 (神田區)星周一
名前から星新一の親類か何かかと思ったが、偶然の一致かもしれない。

▲東京市街 靑山襄
オアシスの編集者であり、画家。

ミッカ会・オアシスの活動

全国に支部がある

関西には当初から関西のミッカ会が存在した。(※大阪ミッカ会だったか、関西ミッカ会だったか失念。また確認します。)
岡山にも昭和6年にミッカ会が在った模樣。

ミッカ会 岡山県庭瀬町558淀寿美郎方 編輯兼発行人・平松網夫
昭和6年1月15日 創刊号35P 編輯人・島汀二、淀寿美郎、泉比呂詩、 発行人・淀寿美郎

東京国立近代美術館研究紀要(https://dl.ndl.go.jp/pid/4425176

昭和9年に長岡ミッカ會の記載あり。(長岡ミッカ会からも台風の義援金を送ったという事)

茶話会や交流

東京のみならず、関西でも茶話会を開き、ファンが交流できる場をたくさん設けていたよう。及川道子の自伝「いばらの道」刊行記念の茶話会には本人も訪れた(仕事の忙しさと体調面で途中で帰ったそうだが)オアシス誌の読者のお便り欄でも、読者同士が私信を送り合い交流が盛んだった。

サイン本の販売

「いばらの道」をオアシス、ミッカ会経由で注文すると先着2000部に及川道子のサインを入れるという事だった。この2000部は即完売し、追加で仕入れた2000部も1700部があっという間に売れたということ。

著者肉筆サイン入り。本會へ直接ご注文の方に限り(但し先着二千名まで)口繪著者肖像寫眞に著者がサインして下さいます。お早くお申し越し下さい。

3巻6号 昭和8年6月/いばらの道 折り込み広告より

義援金の寄付

4巻11号 昭和9年11月
関西地方風水害義援金 東京ミッカ會として會員からの義援金を集めて、合計105円75銭 寄付をした。
及川道子は貳拾圓を寄付している。寄付金は10銭からあり、道子の20圓が一番高額のようだった。

写真のページ

毎号道子の肖像写真1枚と近況の写真が掲載されている。
楽屋でのヘアメイク中の写真や、小津安二郎と記念撮影した物もあった。(※個人的に小津作品に於ける原節子のような役どころを及川道子に演じて欲しかったので、面識があったことが知れて嬉しかった)
11年3月号には横光利一の外遊を皆で見送る写真(プライベートらしく道子の少し気を抜いた表情が見られる)、入院していた医師や看護師達との退院記念撮影などが見られた。

広告

人物写真がある広告は総て道子が出ているのだがオアシス用に撮影したか、後で文字を載せて合成したか、という感じの物もあった。(同誌の同じ衣装で複数の広告に出ている事から気が附いた)

また蓄音機など様々な商品の通販もあり「道子嬢経由で買うと少しお安くなります」という事だった。

ミッカピアノ教習所

お蔭様で當教習所も段々盛になつて参りました。私も皆樣とご一緒に樂しくお勉強をいたしております。
まだ充分御入所の餘裕がございますから御希望のお方はどうぞいらつして下さい。
 尚、詳細は私宅までお問合わせ下さいますれば早速御返事申し上げます。
及川道子
東京市渋谷區金王町53
電話 青山一七二七

オアシス

及川道子のピアノ教室の広告。ネットのどこかで見た記事には、道子が子供のためのピアノ教室を開きたいと考えて居ると書いてあった。それが実現した後の話だろう。子供たちがピアノに触れる場を作りたいという話で、道子自身もオアシス掲載の日記で子供好きな事を書いていた。

生理用品の広告

オール女性の必需品
理想的月経帯 バンド・ローザを愛用しませう!
女性の憂鬱は「毎月病」でせう。せつかく明日は道子さんの映畫を見て、思ひきり朗らかになりませうと樂しんでいても、翌日はすっかり陰気になつてしまつて「今日はやめませう」なんてさびしいことを

オアシス 5巻5号 昭和10年5月

※「せっかく明日は道子さんの映画を見て」とこんな處にまで道子を絡ませることで、ファン雑誌の濃度を高めて居て面白いと感じた。

どりこの

戦前文化愛好家界隈では有名な栄養ドリンク「どりこの」ですが、及川道子による写真広告と、道子一家も愛飲しているというコラムが掲載されていた。「弟はどりこのとのらくろが好きだと云います」と言った具合で、此の時代らしさを感じてよかった。どりこのはとても美味しいと言う事。
(※どりこのと道子のコラムは複写出來たので、何れ文字データにしてUPします)

養毛水と美白のサプリメント

「オン養毛水」という商品と、道子が宣伝する美白の「モンブラン錠」が見開きで並んで居るページがあり、こんな形で僕の念願「オンと道子のツーショット」が叶うとは、と笑ってしまった。このオン養毛水は確認した号のうちでは殆ど毎号掲載されて居り、ミッカ会が責任を持ってお勧めする!と書かれて居た事もあった。

痩せ薬

及川道子の写真と共に掲載されている痩せ薬の広告。これは表紙の見返しにあり、かなり推して居る様子だった。「道子嬢のようにスリムになりたい!」と思うファンを狙ってのかもしれないが、道子は病弱で痩せているのだから、そりゃないだろうと苦笑してしまった。


参照元

オアシス:創刊号 昭和6年9月、8年6月号、9年2月号、11月号、10年4月号、5月号、11月号、11年3月号


以上が8冊の「オアシス」を閲覧して、僕のアンテナに引っ掛かった処になります。他の方が読まれたら別の発見があるかもしれません。

此の記事が何かのお役に立てれば幸いです。
オアシスの原本を見せて下さる方、複写させて下さる方、お譲り下さる方も随時募集しております。お気軽にご連絡ください。

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幾野温|昭和四年のモダンボーイ 渡辺温や1920年代関連の研究に使わせていただきます。少しでもご支援いただければ幸いです。