渡辺温が萩原朔太郎に送った原稿依頼の手紙
萩原朔太郎様
たいへんごぶさたいたしました
暑さの折がら お変りございませんか
甚だ突然で恐れ入りますが
新青年十月号へまた、この前に頂いたやうな
種類の散文詩をお書きくださいません
でせうかしら
何卒お願ひいたします
〆切は八月三日でございます
右お願い迄 ごめん下さい
七月二十一日
『新青年』 渡辺溫
博文館の原稿用紙にて、温にしては非常な丁寧な文字で書かれてあると感じられる。
また、文章自体も非常に気を遣って書かれているようで
この前に頂いたやうな種類の散文詩をお書きくださいませんでせうかしら
この一文なんかは、朔太郎を前にどう依頼していいものかと緊張しすぎている樣子が目に浮かぶようで微笑ましい。
「お書きくださいませんでせうかしら」は、通常なら「お書きいただくことはできませんか」や「お書きいただきたいのですがいかがでしょうか」とか「お書きくだされば非常にありがたく存じます」辺りの言葉になるのではないかと思うけれど。
この文章について僕の感覚で読み解くとこんな感じになる。
「お書きください」→原稿が欲しい
「くださいませ」→ぜひともおねがいします
「くださいませんでしょうか」→朔太郎氏さえよければ、絶対書いてくれというような図々しいことは言っていませんので…
「でしょうかしら」→「でしょうか」で終わると言葉尻が強すぎる気がするので、いやいやもうそんな僕らは偉い編集者ではありませんので、朔太郎氏にそんな風に言える立場にはありませんから……けれども僕らの誌面作りに一寸協力してくださればすごく嬉しいのです。
そんな気持ちが滲みでて、あの「くださいませんでせうかしら」になったのではないかと、僕は勝手に感じて居る。
人々の回想の中に居る温はとても人見知りだけど、手紙の上でもその樣子が見えるのは改めてやはり微笑ましい。
兄・啓助によると、温と啓助は水戸一中時代(※現在なら中高生時代にあたる)に萩原朔太郎を愛読していたとの事だ。
実は温も私も水戸の中学生であったころから、ビアズレーのさし絵入りのポーの小説集に心酔したり、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の初版本を手に入れ、その幻怪なレトリック(修辞)を楽しんだりした。
朔太郎のモダンなセンス、田舎への反骨精神、探偵小説の要素にも通じる浪漫、そして繊細さ……これらは渡辺温とも通じる所があり、温は単に愛読していた以上に朔太郎に思い入れがあった可能性は高いのではないかな、と個人的には思う。
朔太郎と温の共通点は置いておくとしても、10代の頃に愛読していた詩人への原稿依頼は、矢張り相当緊張したのではないだろうか。
それにしても7月21日に手紙を書いて、〆切が8月3日というのは早すぎやしないだろうか。当日から数えても13日後。この手紙は郵便じゃなくて、博文館のお使いの人に頼んで即日配達だったのかも知れないが、でもそれにしてもやっぱり〆切が早いのではないだろうか。
「恐れを知らない二人は」と横溝はこの編輯時代を振り返っているが、こういう所にもその雰囲気が現れているのかもしれない。
また「たいへんごぶさた」と書いて居るが、新青年への掲載は4月か5月なので、前回の依頼が2月か3月だと思われる。これはその4〜5ヵ月後に当たる。萩原朔太郎は新青年の常連ではないから「たいへんごぶさた」ではないような気がするのだが、彼らの時間の感覚なのか。それとも編輯部として朔太郎とはもう少し密な距離で居たいという気持ちの表れだったり、「忘れていませんよ!」というアピールなのか。此の当時の編集事情が分かれば、温の「たいへんごぶさた」の気持ちももう少し理解出来るようになるかもしれない。
こんな手紙からも、横溝・渡辺時代の編輯部の樣子や、温の感情や人となりが読み取れる気がしてすごく興味深い物です。
おしまい。
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